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人との繋がりを感じながら自分の手で作っていく暮らし

人との繋がりを感じながら自分の手で作っていく暮らし

池田 絵美(いけだ えみ)さん

「移住=永住」と重く考えずに、まず自分のありたい姿に素直に向き合うこと 今回、益子の暮らしについて教えてくれたのは、ベーカリー「Natural Bakery日々舎(にちにちしゃ)」を営む池田さん。 自家製酵母と国産小麦をベースにした、毎日丁寧に焼かれるパンやベーグルは、地元民の食卓を支えているのはもちろん、県内外から訪れる常連も多く、閉店時間前に売り切れてしまうほどの人気ぶりだ。 東京から移住してお店を構えた池田さんだが、「ここで開業しよう」と最初から考えていたわけではないという。 「益子に住む前は、渋谷でオーガニックカフェの調理の仕事をしていました。“健康でナチュラルな料理を追求して行きたい”と思っているのに、忙しすぎて余裕のない、自分の暮らしに矛盾を感じていたんです。そんな時、プライベートで度々訪れたのが益子。自然が身近にあり、自分たちの手で丁寧に暮らしを作っている様子や、地に足がついた営みに惹かれていきました。」 スタッフ募集をしていたギャラリー&カフェ「starnet」の門をたたき、2006年に移り住むことを決意。数年で東京に戻るつもりで移住したものの、土地に馴染んでいくにつれ離れられなくなった池田さん。その後、結婚・出産を機に2年ほど育児に専念し、縁があって益子町観光協会に勤めることになった。 「観光協会のホームページの記事を書くために、ものづくりに打ち込む魅力的な人々に会い、たくさん刺激をもらいました。そこから、日々舎をオープンしたのは2014年。当時からお世話になっていた宿泊施設『益古時計』のオーナーが、施設の敷地内にある物件を紹介してくれました。そこにはパンが焼けるオーブンもあり“これは今なのかな”と。自分の構想では、開業はもう少し先だったのですけどね。」 「移住=永住」と重く考えずに、まず自分のありたい姿に素直に向き合うこと。 ひとつ前に進むことがその先の未来へ繋がる、という経験をした池田さんの話に、たくさんのことを教えてもらった。 移住者を温かく受け入れ、人と人とが繋がる土壌 池田さんが移住してわかったのは、益子特有の自由で開放的な気風があることだ。 「古くからの伝統や文化がある町ながら、陶芸を志す人を昔から受け入れてきた積み重ねがあるので、閉鎖的な雰囲気は全くなく、移り住む人の活動を見守る懐の深さがあります。その寛容さも益子の魅力のひとつかもしれません。」 そんな空気感に惹かれるように、今でも新たな人や店が集まって来る益子。 仕事や暮らしに焦点がいきがちだが、家族の形態が変化していったとき、子育て環境としてはどうだったのだろうか。 「私が育児をスタートした頃は『Nobody’s Perfectプログラム』という、子育て中の親を支援する取り組みがちょうど始まった年でした。育児の悩みを相談しあえる場ができ、初めてママ友という繋がりができました。友人の中には陶芸家も多く、彼女たちは時間を自由に使えることもあって、店仕事が忙しい時間帯には、子どもを一緒にみてもらうことも。かなり助けられましたね。」 人と人を繋げるネットワークはいくつもあり、安心な食をテーマにお母さんたちが始めた青空市もそのひとつ。毎月決まった日に、地場産の野菜や加工品、雑貨や古着などが並び、この地に暮らす人たちが交流できる場になっている。 「都会のように公園に行けば誰かいる、という環境ではないからこそ、母親同士が声を掛け合って集まっては、楽しんで子育てできる時間を自分たちで作ってきました。子どもと一緒に工作をしたり、自然食の情報交換をしたり……都会生活にはない近所付き合いが、益子暮らしの醍醐味。だからといって、作り手や開業する人だけのコミュニティというわけではありません。益子で暮らしながら、宇都宮など県内に会社通勤しているご家族も多くいます。」 地域に支えられながら店を営む人、週末の家族時間を楽しんでいる人、それぞれの形で育まれる益子の暮らし。 土地が織りなす家族の風景が、そこにはあった。 そんな益子の今を教えてくれた池田さんに提案していただいたのは、1人で訪れても家族でステイしても楽しめる2泊3日のプラン。 < ショートステイのすすめ1「中心地エリアを散策して、益子の文化に触れる」 益子に訪れたらまず、益子本通りから城内坂通りにかけてのメインストリートを散策。軒を連ねる益子焼のショップやギャラリーをのぞくだけでも、釉薬の表情、味のある造形、作り手の個性を知ることができるので、益子焼の魅力にどっぷりとハマれるはずだ。 「益子初の益子焼専門店民芸店ましこ、新しい作家に出会えるギャラリーショップもえぎ城内坂店、江戸時代創業の藍染店日下田藍染工房など、この土地の手仕事に触れられるスポットがたくさんあり、時間を忘れて楽しめると思います。あと、プランには入っていませんが、濱田庄司記念益子参考館もおすすめ。日本有数の焼き物の産地として栄えるに至った歴史を学んだり、古い建物を生かした展示品を見られるので、時間があればぜひ行ってもらいたいですね。」 益子は農業が盛んなエリアでもあるので、器と農業が交わる「食」にもぜひ目を向けたいところ。自然食が味わえるつづり食堂、地産産の野菜を使ったイタリアントラットリア トレ アーリ、益子焼に盛られた彩り美しい料理を味わえるYOUNOBI Cafe and Bistroなど、この土地ならではの“おいしい”がたくさんある。 ショートステイのすすめ2「田畑や原生林からなる里山の風景を肌で感じる」 今回のショートステイの宿泊先は、池田さんが営む日々舎と同じ敷地内にあるB&B形式の宿泊施設益古時計。池田さん自身が益子で家探しをした際にも利用しており、居心地の良さはお墨付き。 「町の中心部に位置するので、徒歩やレンタル自転車で動く場合にも便利。何も考えずに朝ごはん付きにしてもいいし、朝から自由に過ごしたければもちろん素泊まりでもいい。アレンジがしやすいのでショートステイに最適です。」 2日目の朝は、益古時計で朝食をとって出発。 「器を扱うお店は益子に数多くありますが、山の麓にあるショップ&ギャラリーもえぎ本店はぜひ訪れて欲しいところ。建築関係の仕事をされているオーナーさんが手がけるだけあって、樹々に囲まれた環境と建物のバランスが本当に素敵。展示している工芸品も見ごたえがあり、私も時間が空いた時にはふらっと訪れています。そして、せっかく益子に来たならぜひ陶芸体験も! 自分の手によるものづくりの楽しさを実感できると思いますよ。」 本通りから少し離れた場所にある小峰窯では、本格的なろくろ回しや、自由に器を作る手びねりの他、小さい子どもでもクレヨン感覚で描けるパステル絵付けなどが体験可能(要予約)。 その他、山の中にひっそりと佇むアジアごはんの店作坊 吃(ゾーファンチィ)でランチをとり、地元の人のパワースポットでもある国指定重要文化財綱神社を参詣。自然のエネルギーを感じながら、ここに住む未来に想いを馳せるのもよいかもしれない。 ショートステイのすすめ3「暮らす視点で、訪れてみる」 最終日は、より移住を視野に入れて、おさえておきたい3つのスポット巡り。 まずは、モーニングセットを目がけて、朝7時からオープンしているカフェMidnight Breakfastへ。益子産の卵を使ったアメリカンなスイーツが並ぶ可愛いドリンクスタンドは、地域おこし協力隊として活動していた店主が営む店。タイミングがよければ、移住や起業にまつわる話を聞けるかもしれない。 2つ目は、益子を離れる前に訪れたい道の駅ましこ。「私たちにとってはスーパーと同様、日々の食材の買い出しに欠かせません」と池田さんがいうように、新鮮な農産物や暮らしにまつわる工芸品を目がけた観光客ばかりか、地元の人も通う場所。施設内には移住サポートセンターもあるので、空き家バンクや仕事などハード面の情報もあわせてチェックして。 最後3つ目は、そのまま足をのばして隣接する真岡市へ。真岡市は、いちごの生産量日本一を誇る“いちごのまち”としても名高いエリア。益子とはまた異なる静かでのんびりとした空気を肌で感じながら、人気カフェ喫茶ロクガツでひと休みを。 ショートステイの旅を終える頃、ますます益子が好きになったり、もっと深く関わりたいという気持ちが芽生えたり…自分の中で意識の変化があったら、それは移住への第一歩になりそうだ。 益子のいちばんの魅力は、とにかく“人” 「長年住んでいても日々刺激をもらえる理由は、益子に住む“人”が面白いから。それを感じ取っていただくためにも、お店の人とコミュニケーションを取ってみると、一歩踏み込んだステイができるかもしれません。私自身も、店頭で接客しているときに“移住を考えているんです”と声をかけられることがあります。益子で働く人は、いい感じにおせっかいな部分があります。散策しながら地元の人にリサーチして、“暮らす”イメージを膨らませて帰ってもらえたらうれしいですね。」 小さくとも個が光り、自分の暮らしを自分たちで作っていく気風に満ちた町。短い滞在でも暮らしの香りを感じ取れるこの町へ、出かけてみるのはどうだろうか。 ※この記事は、NEXTWEEKENDと栃木県とのコラボレーションで制作しています。

考えるより行動。動いていたら、やりたいことが見つかった

考えるより行動。動いていたら、やりたいことが見つかった

疋野 みふ(ひきのみふ)さん

転職を考えたときに知った“地域おこし協力隊”という働き方 前職は旅行会社勤務。5年間働き、これからのライフプランを考えたときに「どこか地方で、全く別の仕事を経験してみたい」と考えていた疋野さん。転職の相談をしていた先輩が「こんな働き方もあるみたいよ」と教えてくれたのが、地域おこし協力隊だった。 全国の市町村が、さまざまな活動内容で協力隊を募集していることを知り、「これだ!」と思ったそう。北は北海道、南は沖縄までさまざまな地域を調べた中で目に留まったのが栃木県日光市。 「旅行会社で働いていたので、もちろん日光市のことは知っていました。観光地に住んでみるのもおもしろそうだな、と思いましたし、最長5年間勤務できるという市独自の支援制度(※現在は廃止)は魅力的でした。また同じ関東圏なのでどこか安心感があったという点も決め手になりました。」 選考を受け、採用となった疋野さんは、2016年4月より日光市地域おこし協力隊として栗山地域で活動することとなった。 「栗山地域に初めて来たときの印象は、“思った以上に山の中だな”とは思いましたが、移住するなら街でも山でも、どっちでもいいと思っていたので、特に不安はなかったですね。」 まずは地域を知ることで、やるべきことを見つける 日光市の募集内容はフリーミッション。栗山地域の活性化のために、活動内容は自分で考えるというものだった。 「正直、来る前から“あれをやろう”“これがしたい”という明確なものはなかったんです。地域を見て、地域の人と話をする中で、何が求められているのか。それを見つけて、課題解決に取り組めたらいいなって。」 周りの人たちにも恵まれた。栗山地域で協力隊を採用したのは疋野さんで4期目。既に先輩たちの活躍があったので、地元の人たちも「新しく来た人だね〜」とすんなり受け入れてくれた。 また市役所の上司も「1年目は、まず地域のことをしっかり知ることが目標。くらいの気持ちで活動してみて。」と優しく見守ってくれた。 そのような環境だったからこそ、疋野さんも安心して、地域に入っていくことができたという。 そうした中で、力を入れて取り組んだのは女子旅ツアー。旅行会社での経験を活かし、栗山地域に人を呼ぶ企画を考えた。また、都内の大学生に来てもらい、地域を巡って名所や暮らす人たちを紹介する冊子『あがらっしぇ栗山』を製作。(※「あがらっしぇ」とは「あがっていきな、寄っていきな」というニュアンスの栗山地域の方言)いずれも好評を得て、成果を感じられたという。 しかし、活動を続けていく中で、徐々に課題も見えてきた。 「若い世代が仕事を求めて栗山地域を離れていく。どうすれば仕事を生み出せるかな、ということを考えるようになりました。」 未経験からの革製品づくり 地域に仕事をつくる。そんな想いでたどり着いたのが“鹿革”を使った革製品だ。シカの食用以外の用途として皮革を資源化し、活用する取り組みをしているグループ『日光MOMIJIKA』に出会ったことがきっかけであった。 「東京にいた時は、野生動物による鳥獣被害なんて全く知りませんでした。農作物や植物への被害を減らすために、増えすぎてしまった野生動物は捕らえないといけないんです。」 ただ、ひとりでこの問題に取り組んでも意味がない。仲間を見つけることからはじめた。 「“鹿革塾をやります”というチラシを作り、地区内の回覧板で受講者を募りました。講座に参加してくれたメンバーに加え、その後に出会った手芸が得意なメンバーが加わり、現在8名が在籍しています。」 それまで、革製品づくりは未経験だったという疋野さん。 「会社員時代は毎日帰宅が夜中になるのが日常だったのですが、協力隊になったら定時上がりで。帰宅しても時間が有り余っていたんです(笑)それでアクセサリーづくりをはじめてみたのですが、それが案外楽しくて趣味となり、革製品づくりへと繋がっていきました。」 現在、『Nikko deer』というブランド名で活動しており、アクセサリーやキーホルダーといった小物から、バッグやサンダルといったものまで製作している。 「デザインは各メンバーの発案で、みんなが“いいね!”と言ったものを、作り方を共有して製作しています。どんどん新作ができていくし、それぞれのアイディアも良いものになっていくので、日々進化を感じますね。」 コロナ禍で、集まって製作する機会は減ってしまったが、疋野さんが各家を周って打ち合わせをしたり、出来上がった作品を回収したりしながらコミュニケーションを深めている。 「作品はイベントを中心に販売しています。Webショップもありますが、実際に手に取って、背景にある鹿革の話も知ってもらいたいので、今後もイベントには力を入れていきたいですね。」 これからの夢と、伝えたいこと 2児の母でもある疋野さん。同じ栗山地域で活動していた先輩隊員の男性と結婚し、子育てと仕事を両立する働くママでもある。 「育児については、夫と役割分担をしながら何とかこなしています。近所の方にも、みんなに可愛がってもらっているので、ありがたいですね。」 そんな疋野さんも、2023年3月に協力隊を卒業する。 「卒業後は、引き続き鹿革製品の販売や製作体験に取り組んでいきます。新たに、店舗販売も考えていて、現在物件の交渉中です。また、それとは別にキッチンカーでの移動販売もやりたくて。将来的には、キッチンカーと店舗を併設して、ジビエをやりながら鹿革製品の販売ができたらいいなぁと考えたりもしています。」 卒業後に向けての夢がどんどん膨らんでいるという。 「協力隊になった当初は、“自分に合わなければ、3年で東京に戻ればいい”そんな気持ちでした。でもこんなにも地域の方に受け入れてもらえて、地域の方と一緒にやりたいことが見つかって、そしてまさか結婚して、子どもが生まれるなんて。協力隊になったことで、人生が大きく変わりました。だから最初から“こうあるべき”と気負わずに、“なんとかなる”くらいの精神で移住先に飛び込んでみてもいいんじゃないかな。ひとまず動いてみて、ダメならダメでまた別なことを考える。考えすぎると悩みが増えるだけなので、とにかく行動する。それが私からのアドバイスですね。」

変化を受け入れ、新たな試みも

変化を受け入れ、新たな試みも

児珠大輔さん

移住の決め手は通勤のしやすさだった 下野市へ移住するまでは、埼玉県狭山市から東京都品川区のオフィスまで約2時間かけて通勤する日々。 こまめな乗り換えが多く通勤ストレスを抱えていたことと、IT企業で働いているため「いずれはテレワークになるだろう」という思惑もあり、「家を建てるときは地方でも良いかもしれない」との想いは長年あった。 自身は埼玉県の生まれだが、両親の転勤で中学から大学卒業までは宇都宮市で過ごした。また、奥様の出身は栃木県。土地勘のある栃木県は、必然的に移住候補地のひとつだった。 移住先を決める上でのポイントは、「通える範囲であることと、通勤のしやすさ」。埼玉県内のターミナル駅や宇都宮線、高崎線沿線などを候補に挙げたが、最終的に選んだのは下野市。始点・終点にもなる「小金井駅」があることが最大の魅力であった。 「宇都宮線は“小金井止まり”という電車も多く、都内からでも下野市までであれば本数は結構多いです。」 移住により通勤ストレスが軽減されたものの、埼玉県から栃木県に移住したことで、同僚は「通勤、大変じゃないのか」と気にかけてくれるようになった。 「通勤時間で言えばそれほど大きな変化はないのですが、埼玉県から通勤していた時は乗り換えが多くて、まとまった時間が取れなかったんです。座れないことも多く、とにかく通勤が苦痛でした。下野市からは乗り換え無しで通勤できるので、読書したり、映画を観たり、睡眠が取れたり。時間を有効活用できるのが嬉しいですね」 テレワークで変化した、仕事環境とライフスタイル 下野市からの通勤は苦ではなかったと話す児珠さん。2020年3月末までは毎日オフィスへ出社する日々が続いていた。 しかし、東京都で緊急事態宣言が発令される直前に、状況は一変。完全にテレワーク生活となった。 「栃木から通勤していた自分に限った話ではなく、全社員がテレワークになりました。幸い、我が家には自室があったので、そのまま仕事部屋になりましたが、都内に住む同僚たちは部屋数が限られる人も多いので、家族との折り合いは大変そうですね」 そんな児珠さんにも、テレワークを機に買い足したアイテムが2つある。 情報漏洩を防ぐためのヘッドホン、そして背景用のグリーンバックだ。テレワーク当初は、毎朝グリーンバックをセットするところから仕事の準備が始まったという。 また、作業環境を整えるために、長年取り付けたいと思いつつ後回しになっていたキーボードスライダーをDIYで設置した。これにより、作業効率がアップ。 「もっと早く設置すればよかったのですが、毎日使うデスクではないのでなかなか重い腰が上がらなかったんですよね」と苦笑い。デスク周りの環境を整えられたことも、テレワークを機とした変化のひとつである。 そして、テレワークによってもたらされた生活面での変化も。 また市役所の上司も「1年目は、まず地域のことをしっかり知ることが目標。くらいの気持ちで活動してみて。」と優しく見守ってくれた。 そのような環境だったからこそ、疋野さんも安心して、地域に入っていくことができたという。 そうした中で、力を入れて取り組んだのは女子旅ツアー。旅行会社での経験を活かし、栗山地域に人を呼ぶ企画を考えた。また、都内の大学生に来てもらい、地域を巡って名所や暮らす人たちを紹介する冊子『あがらっしぇ栗山』を製作。(※「あがらっしぇ」とは「あがっていきな、寄っていきな」というニュアンスの栗山地域の方言)いずれも好評を得て、成果を感じられたという。 これまで1時間40~50分ほどかかっていた通勤時間を、そのままウォーキングの時間に充てたことだ。 下野市に移住して2年ほど経った頃から、生活習慣の改善としてウォーキングをはじめたが、当初はそれほど長い距離ではなかった。しかし、テレワークをきっかけに距離を伸ばし、今では毎朝8kmほど歩いているそう。 「毎日歩いていると、季節の変化を感じられるんですよ。夏は田んぼの稲が少し伸びたな、とか。秋だと葉が色づきはじめたな、とか。純粋に自然を楽しんでリフレッシュすることが多いですが、今日仕事でこなしたいタスクなど、始業前に頭の中を整理する時間でもあります」 歩くことは週末も欠かさない。お子さんも一緒に歩いてくれることは、週末だけのウォーキングの楽しみだからだ。 テレワークで大切なのは同僚との信頼関係 朝6時に起床。ウォーキングと朝食を済ませ、8時50分には自室のデスクへ。正午に1時間の休憩をはさみ、18時~19時に仕事を終えるというのが現在のワークスタイル。 オフィスへ出勤していた頃と比較して一番大きな変化は、終業時間が2~3時間早まったことだ。 「自宅だと、自分でやらなければいけない作業に集中できるので、とても捗ります。会社だと、誰かに声をかけられると作業が中断してしまうので。一人で取り組む仕事が多い場合、テレワークは本当に良いなと感じています」 逆に、デメリットについては、「他の人と連携して取り組まねばならない仕事はスムーズにいかなくなった、と感じています。隣の席にいればちょっとしたことでもすぐ聞けたことが、できなくなった。あとで聞こうと思って、そのまま忘れてしまうことも。長期的プロジェクトだと、些細なことがあとで大きなトラブルにもなりかねないので、その点は気をつけなければと思っています」 完全にテレワークが始まった2020年3月末以降、同僚のサポートもあり2回しか出社していないという児珠さんだが、出社をした際に、やはり同僚と直接顔を合わせてコミュニケーションが取れる時間もいいな、と感じたという。 「贅沢なわがままかもしれませんが、本音を言うと、月に2~3回くらいは出社するスタイルが、自分には一番合っているかもしれません」とはにかむ。それも下野市からの通勤に苦痛がないからこそ思えるのだ、とも。 テレワークをうまく実践するための、児珠さん流のコツを聞くと、 「見られていない分、しっかり仕事して結果は出さないといけない。わからないことは誰かに聞いて、すぐに解決する。結局テレワークは”信頼関係”によって成立するものだと思うんです。一度でも相手を疑ってしまうと、関係がギクシャクしてしまう。そうなると、仕事もうまくいかなくなってしまいますから」 テレワークを通じて見つけた、 自分の住むまちでやりたいこと 下野市で過ごす時間が増え「自分も何か地域に貢献できないか」と意識するようになったという。 まずは地域のイベントに参加してみようと、情報を探していた時に見つけたのが、下野市が開催していた「しもつけクエスト」だ。 関係人口の創出や、まちづくりに関わる人材の育成を目的としたもので、児珠さんはそこで市役所の職員、市内で活動する若手プレイヤーなど、多くの出会いを得た。 「やりたいことは、どんどん発信しないとできないよ!」。イベントのプレゼンターが発したこの言葉が、児珠さんの背中を押した。 「自分には、仕事を活かしたパソコンのスキルがある。例えば子どもたちにスマホの使い方を教えたり、おじいちゃん・おばあちゃんが遠方に住む孫とテレビ電話ができるようにサポートしたり、地域の為にできることはあるんじゃないかと思っています。今後は、そういった自分のスキルを発信し、まちに貢献できる人になりたいですね」と力強く語った。 テレワークを通じて、またこのまちに新たなプレイヤーが現れようとしている。そう感じた瞬間であった。

子育て、家事、仕事。今がちょうど良いバランス

子育て、家事、仕事。今がちょうど良いバランス

冨永美和さん

山形、栃木、茨城、やっと見つけた定住の地 山形に生まれ、就職も山形で。冨永さんが長年の慣れ親しんだ土地を離れたのは、結婚がきっかけであった。夫も同郷の出身だが、栃木県内で働いていたこともあり、2015年に山形から栃木県下野市へ移住。 冨永さんの会社は都内にも事業所があり、仕事は辞めずに転勤という形で東京に通勤することになった。その後、夫の転職を機に一度は茨城県古河市へ。 ちょうどその頃、第一子が生まれたこともあり、古河近辺でマイホームを建てたいと考えるようになったという。 東京通勤が可能な街を条件に、茨城県、埼玉県なども調べてみたが、条件に一番合ったのが現在暮らしている小山市であった。 下野市や古河市に住んでいた頃は、東京・港区のオフィスまで電車で通勤していた。在来線なので電車に乗る時間は1時間30分程度。ドアtoドアだと2時間ほどかかっていたという。 「下野市に住んでいた時は、まだ子どもがいなかったので東京通勤でもよかったのですが、出産後、古河市に移住し通勤していた時は、子どもと触れ合える時間がとても少なかったんです」。 朝は子どもが起きる前に家を出ていたため、コミュニケーションを取れるのは帰宅後のわずかな時間のみ。 「私の中で、子どもと会話する時間を確保することはとても大切で。通勤していた時の働き方ですと、いずれ会社を辞めなければいけないな、と考えていました」。 育児と仕事の両立の難しさに悩む中、第二子出産のため産休を取ることに。 ちょうど小山市に建てたマイホームも完成し、2018年4月、冨永さんファミリーは小山市に移住し、新たな暮らしが始まった。 仕事、育児、家事、全てをこなせるのはテレワークのおかげ 育児休暇の最中、世の中の動きが一変した。 新型コロナウイルスの影響で、2020年4月から所属する部署の社員は全員テレワークに。冨永さんは2020年8月に職場復帰するも、他の社員と同様にテレワークという形での復帰となった。現在もテレワークは続いているが、事務処理のため月に一度だけ出社している。 テレワークになったことで、生活は大きく変化したという。これまで通勤に充てていた時間で家事ができるようになったので、夜に家族とくつろぐ時間がとれるようになった。 「毎晩、子どもに絵本を読んであげられるようになりました。テレワークになったことで、仕事、育児、家事、全てが効率よくこなせられるようになったのはとても嬉しいですね」。 またテレワークのメリットとして、「昼休みを有効活用できるのは大きい」という。 細々した家事を昼休みの間にこなしたり、気分転換に外出し、簡単な買い物を済ませることもできる。最近は家にいる時間を心地よく過ごせるよう、花を買いに行くことも増えたそうだ。 逆にデメリットも多少なりともある。 2020年8月の職場復帰の際に部署が変わったのだが、同僚全員がテレワークだったため、顔と名前、担当業務を十分に把握しきれていない部分があった。そのため作業の非効率を感じることが稀にあるそう。 「私の場合、異動とテレワークのタイミングが重なってしまったという稀な状況ではありますが、全員がテレワークだとこういう難点もあるんだな、と感じています」と苦笑い。 それでも、チャットですぐ連絡が取り合えるため大きな支障はなく、テレワークの継続は強く望んでいるという。 取り入れたいヒントがたくさん、 冨永さん流テレワーク環境と実践のコツ 冨永さんの主なワークスペースは、リビングとキッチンの間にある。一般的な住宅の間取りではあまり見慣れない、半個室のようなスペース。 たまたまなのか、意図的なものなのか伺うと「もちろん意図的です。職場に数名、以前からテレワークをしている方がいたんです。地元に戻られて仕事を続けている方たちで。前例があるので、いつか私もテレワークができるかも。という思いがあり、家を建てる際に作業スペースを確保しました」。 専用の部屋を作らず、あえてリビングとキッチンの間にレイアウトした点が、仕事と育児と家事を両立したいという冨永さんらしい。 「ここなら、子どもがいる時でも目を離さずにちょっとした作業ができますし、昼休みや終業後、すぐ家事に取りかかることができるのでとても便利な場所です」。 良い点は他にも。「1つの部屋に、自分のデスク、リビングテーブル、ダイニングテーブル、3つの机があるんです。仕事では主に自分のデスクを使いますが、食事や気分転換したい時は使うテーブルを変えています」。 同じ部屋にいながら作業する場を変えるというのは、気分転換の方法として誰でも気軽に取り入れられそうだ。 そしてテレワークを楽しむために冨永さんが実践しているのが、飲み物を充実させることだ。「珈琲や紅茶は専用のマシンを使って、様々なフレーバーを楽しめるようにしています。毎日麦茶では、なかなかモチベーションが上がらないので」。 仕事をする上で心がけていることを聞くと「会社の方から連絡があった際は、すぐにレスポンスします。また、社内の方とはチャットを使ってやり取りしているので、できるだけ簡潔に、わかりやすく相手に伝えるよう意識しています」。 相手から見えない分、常に仕事をしている姿勢を示すことで信用を失わないようにすること。また相手もスムーズな仕事ができるよう心がけて対応すること。このようなことはテレワークによって学べたことだ、と話してくれた。 テレワークと小山の暮らしがもたらした日々の幸せ テレワークはしばらく続きそうではあるが、会社としては一時的な対応であるという。 「ただ、私としてはこのままテレワークを続けたい。会社にも相談しています」と話す。 仕事、家事、育児、全てがこなせる今のバランスが良いのはもちろんだが、その場所が小山であることもポイントになっている。 「今まで、いくつかの街で暮らしましたが、小山での暮らしがとても気に入っているんです」。 その理由として、気候が良いこと、広い公園が多いこと、子どもも楽しめるマルシェが多いことなど、子育て環境の良さがまず挙がるという。 またテイクアウトを行なっているお店や、SNSで情報発信してくれるお店も多く、小さな子どもがいるママにとってはとてもありがたいのだそう。 「お店の方の、地域を盛り上げよう!という気持ちが、SNSやマルシェを通じて伝わってくるんです。地元への愛着がとても強いんだなぁって。そんな街に暮らせて、本当に良かったと思います」。 小山で暮らしはじめて新たに見つけた趣味もある。 「次男が生まれてから、洋裁を始めたんです。息子たちの洋服を作ったり、洋服を作ってお友達にプレゼントしたり。子どもの為でもありますが、自分の趣味でもあるので、楽しいです。そういった時間が取れるようになったのもテレワークのおかげですね」。 東京から近く、新幹線も停車する小山市。その利便性の良さから、人口が増え続けている街でもある。 東京通勤している方も非常に多いが、小さなお子さんを持つママであれば、少しでも子どもと一緒にいる時間を確保したいところ。 テレワークによりお子さんとの時間をしっかり確保しながらも、月に1度の東京通勤は気軽に行ける、そんなバランスが子育てママにはちょうどいいのかもしれない。皆さんも、とちぎでテレワークをしながら、理想の暮らしを実現してみませんか。

テレワーク移住で、暮らしとビジネスのクオリティUP

テレワーク移住で、暮らしとビジネスのクオリティUP

岡田陽介さん

東京近郊でやっと見つけたベストな移住先 2020年12月に那須塩原市へ移住した岡田さん。以前から旅行で那須エリアに訪れていたのかと思いきや、初めて訪れたのは僅か2ヶ月前、10月のことだという。 新型コロナウィルスの感染拡大により世界の状況が変わり始め、2020年3月には早々にオフィスを移転。全社員テレワークに切り替えた。住まいを地方に移したり、働き方を変えるなど、テレワークを前向きに捉え、より自分に合った働き方を選択してくれる社員が増えたという。岡田さん自身も「今後、日本の経済モデルは、東京一極集中ではなく地方に向いて行かないと立ち行かなくなる」。そう感じて、早々に地方への移住を考え始めていた。 移住先に求めたのは主に3点。程々の広さ、インターネット環境、東京へのアクセス。週に1、2回は東京へ行くことを想定し、1時間圏内を中心に探した。当初は神奈川県の逗子や葉山周辺などを具体的に調べていたが、東京と比較してそこまでのメリットを感じられなかった。東京近郊で様々な地域を検討するも、なかなか思うような場所が見つからない中、2020年10月、たまたま夫婦旅行で那須塩原市を訪れた。 訪れる前は「東京から新幹線で70分だし、この辺りもいいかもね」くらいの軽い気持ちではあったが、実際に訪れてみると、新幹線駅がありながらもまだ開発途中で、他地域と比べ格安で新築一軒家を購入できることに驚き、直感で「ここだ!」と思い立ったという。そして翌月には家を購入、翌々月には移住という急展開を迎えることとなった。 周りにも勧めたい、那須塩原市での暮らし 実は那須塩原市に移住したことを、これまで周辺にはあまり話をしていなかったという岡田さん。移住して3ヶ月が過ぎ、デメリットよりもメリットの方がはるかに多い今の暮らしを通じて、この選択は間違いではなかったと確信を得ている。 「この働き方が日本の基準になっていくと思うんです。東京のヒト・モノ・カネを地方に循環させるというのは、モデルとして正しいと思うので」。 現在の暮らしについて聞いてみると、夫婦揃って「何を食べても、素材がとても良くて美味しい」というのが一番感じていることだそう。新鮮で美味しい野菜は近所の直売所で、乳製品や精肉も高品質のものが気軽に手に入る。ドラッグストアやスーパーマーケットなど、生活に必要なものも数分圏内にあるので、何ひとつ不自由はしていない。自宅から15分ほどで行ける温泉も複数あり、その日の気分で使い分けている。そんな那須塩原市での暮らしに「クオリティオブライフは確実に上がりました」と断言。 「庭もあるので、暖かくなったら友人を呼んで、バーベキューをしたいですね」。 那須塩原市での暮らしは、都内に住む友人や会社の同僚にも勧めたい、と笑顔で話してくれた。 経営者自らも実感しているテレワークの良さ 東京に住んでいた頃は、朝6時30分に起きて身支度し、ほぼ終日取引先まわりの日々。現在はおおよそ8時から仕事を始めるが「テレワークは朝起きて、すぐ仕事に取りかかれるので本当にいいですよね」と、身支度や通勤時間がカットできたのは大きいと喜ぶ。日中はほぼテレカン(WEB会議)で、19時頃まで仕事が続く。夕飯・風呂を済ませ、少し寛ぐ時間を設けた後、自身のデスクワークに2時間ほど時間を費やす。 仕事に欠かせないアイテムは、パソコン、モニター、Airpods(Apple社のワイヤレスイヤホン)、主にこの3点だ。自宅が職場になったため、デスクや椅子にもこだわりがあるかと思いきや、そこは意外にも無いという。その理由のひとつはAirpodsを活用しているためだ。 日中はほぼオンライン会議になったが、必ずしもパソコンを前に行うものばかりではないため、Airpodsをつけてリビングであったり、家の中を動きながら参加することもあるという。場所を変えること自体が気分転換にもなる。 また、ウォーターサーバーやコーヒーメーカーも大活躍しているという。外に出ない分、飲み物を充実させることは多くのテレワーカーにとって大切なポイントだ。 テレワークになって一番大きな変化について聞くと「会食がなくなったこと」という意外な回答であった。以前は、ほぼ毎日会食続きで、深夜まで続くこともしばしば。今は平日の夜にこなしているデスクワークだが、当時はその時間が取れなかったため、週末に回すことになり、休日はない状況であった。そういった意味で「テレワークによって本質的な仕事ができるようになりました」と語る言葉に重みが感じられた。 メリットは多く聞けたので、栃木でテレワークすることのデメリットを伺ってみたが「特に無いんですよ」と一言。何かあれば東京に行くこともあるが、新幹線に乗れば1時間で到着するため、デメリットと言うほどではないという。 社員からも好評だという岡田さん流テレワークのすすめ 現在、岡田さんの会社では全社員がテレワークだ。IT企業のため、従来から週1でのテレワークを認めていた。また、東京オリンピック前後は交通機関が麻痺することを見越して、週2、3でテレワークができるよう環境整備はしていた。そのため、いざ完全にテレワークになっても特に問題はなかったという。 「テレワーク、テレカンを取り入れる必要性は絶対に出てくると思っていましたし、もともと海外オフィスとのやり取りもあったので、皆オンラインでの対応に慣れていました」。 2020年3月時点で以前のオフィスは解約し、本社機能はフレキシブルオフィスのWeWork内に移転。 都内在住者は自宅に仕事部屋がある人は少ないため「仕事をする場がない」という声もあるが、そのような場合はWeWorkのオフィスを使えるため、総じて好評だという。 テレワークのためのサポートも充実させた。例えば、元々のオフィスに備え付けていた椅子やモニターを、希望者が買い取れるようにした。また、自宅の環境整備のため月額の支援金も支給した。 テレワークは生産性が上がる、という声がある一方「一日中誰とも話さなかった」など、コミュニケーションの面ではネガティブな声も聞く。コミュニケーション不足を解消するために、社員同士がslack上でカフェテリアのようなスレッドを作り、雑談ルームで息抜きをしたり、昼休みにみんなで一緒にzoomランチ会をするなど工夫を凝らしている。「経営者として、テレワークは社員の業務状況のチェックだけでなく、メンタルケアもしっかり行うことが大切です」。 那須塩原で考える今後の展望 那須塩原市に住み始めてまだ3ヶ月ほどではあるが、移住の際に市の移住促進センターを利用したことで行政関係者との繋がりも生まれ、広がっているという。 「地方にはまだまだデジタル化していない部分は多いですが、暮らしの各部分にデジタルを導入することで、価値が生まれることがたくさんあると思います。それにより税金が効率的に使われるようになれば市民サービスも向上し、自分たちにもメリットとして返ってくるので、そういう流れが作れたらいいな、と感じています」。 また新たな取り組みとして動画配信を取り入れたいとも語る。 「動画を活用することで、より業務を効率化できる部分もあるので、自室を活用して撮影にもチャレンジしたいです」。 経営者にとってもメリットが数多くあるというテレワーク。 縁もゆかりもない土地への移住でも「クオリティオブライフは確実に上がった」と話す岡田さんの言葉に、背中を押される方も多いのではないでしょうか。 みなさんも栃木でテレワーク、はじめてみませんか。

小さな幸せが日常の中に

小さな幸せが日常の中に

春山良子さん

農業研修や移住体験施設を活用して候補地探し 「どこかに移住しようか……」 そう切り出したのは充さん。2021年1月、東京に2回目の緊急事態宣言が出されたときのことだ。当時のことを、良子さんはこう振り返る。 「私たちは二人とも東京出身なのですが、私は小さいころから田舎暮らしに興味があって。夫もキャンプなどのアウトドアが趣味で、だんだん自然豊かなところで暮らしたいと考え始めたようです。これまでは東京を離れる理由がなかったのですが、コロナ禍でお店を思うように開けられないのを機に夫婦で話し合い、東京で居酒屋を経営しながら、もう一つの拠点を地方に持とうと動き出したのです」 最初に参加したのは、「農家のおしごとナビ」というサイトで見つけた、県北エリアで行われた国主催の農業研修。4泊5日の研修中に出会った農園のオーナーやスタッフのみなさんは裏表がなく、とてもやさしく接してくれた。県北エリアでは多くの移住者を受け入れているからか、オープンな人が多いところにも惹かれた。 「ただ、雪が降ったときの車の運転が、ちょっと心配でした。そんなとき、研修で知り合ったある年配の方が、『大田原市だったら、雪はそれほど降らないよ』と教えてくれて、移住先の候補に加えたんです」 次に利用したのは、東京・有楽町の「ふるさと回帰支援センター」内にある「とちぎ暮らし・しごと支援センター」だ。そこで、主に県北エリアを候補として考えていると伝えたところ、それぞれの担当窓口を紹介してくれた。なかでも、最初に連絡がついた大田原市に、まずは見学に訪れることに。 このとき滞在したのは、市の南部にある「ゆーゆーキャビン」というログハウスの移住体験施設。ここを拠点に移住コーディネーターに案内してもらいながら、農家や移住者のもとを訪ねて話を聞いたり、空き物件を見学したりして回った。そのなかで訪れた、裏にきれいな川が流れる小さな一軒家がとても素敵で、「こんなところに住んでみたい」と感じたという。その帰りに、近くの小学校に立ち寄ると、校長先生が「どうぞ見学していってください」と案内してくれた。 「児童数40人ぐらいの学校だったのですが、板張りの校舎は明るくきれいで、一人一台パソコンが支給されていました。校長先生は、『うちには不登校の子も発達障害の子もいますが、みんなで支え合いながらやっています』と話されていて、ここならうちの子たちもやっていけそうだと思ったんです」 さらに、2カ月のお試し移住を経て大田原に 4泊5日の滞在を終えて、東京に戻った良子さんは充さんと相談し、大田原市への移住を具体的に考え始めた。見学の際に気に入った小さな一軒家は築年数が古かったこともあり、近くで別の物件を探し、現在のこの一軒家(下写真)と巡り合った。 「ただ、賃貸ではなく売買物件だったので躊躇していたところ、大家さんが『試しに2カ月住んでみて、それで決めてくれたらいいよ』とおっしゃってくれて。2021年7月に私(良子さん)と子どもたち二人で、とりあえず引っ越してきたんです」 この2カ月間が、地域を知るために大いに役立った。 「近所のみんなさんはフレンドリーで、地域のことを教えてくれたり、虫取りが大好きな息子に捕ってきたクワガタをくれたり、本当に親切にしてくれました。そのうえ、家の周りの山々は緑が濃くとてもきれいで、夜には満天の星空が眺められるんです。夫は東京の居酒屋を経営しながらだったので、滞在は1週間ほどでしたが、もう早い段階で『ここに決めよう』と話していました(笑)」 近所の皆さんは地域のことや野菜づくりのことなど、親切に教えてくれる。 子どもたちが楽しそうだと、こっちも明るくなる! こうして新たな暮らしのスタートを切った春山さん家族。良子さんと子どもたち二人は大田原に移り住み、充さんは東京で居酒屋を経営しながら、月に10日間ほど大田原に滞在するという二拠点生活を続けている。 大田原に移り住んで一番うれしい変化は、子どもたちが学校に楽しく通うようになったことだ。 「二人とも、見学に訪れたときに校長先生とお会いした小学校に通っているのですが、学校に楽しく通えるようになりました。学校の行事にもちゃんと参加しているので、いろんな思い出ができて良かったなと思っています。何よりもすごく明るくなりましたね!子どもたちが楽しそうだと、こっちも明るくなります」 先生たちの顔が見えることもポイントで、安心して子どもを預けられるという。 「児童数が多すぎるというのもあると思いますが、東京にいた頃は担任の先生以外はほとんど顔も知らない方ばかりでした。それがこっちでは校長先生まで出てきてくれますからね。学校全体でちゃんと子どもを受け入れてくれていると感じます」 良子さん自身も、移住後すぐに家の前にある畑で野菜づくりを始め、最近は中古の耕運機も手に入れた。 「ジャガイモや玉ねぎ、ニンニク、スナップエンドウなど、いっぱい収穫できました。とれたての野菜は本当においしく、東京のスーパーに並んでいる野菜との違いに驚いています。子どもたちも、喜んで食べていますよ」 さらに、良子さんは近所にあるガソリンスタンドで、1日4時間ほどだがアルバイトもしている。 畑で野菜が多く収穫できたときは、自分で袋詰めをして、ガソリンスタンド内の商店で販売している。 「おばあちゃん、おじいちゃんをはじめ、地域の人が買い物に来てくれて、良く世間話をしています。バイトを始めたことで、地域について詳しくなりました」 一方、ご主人の充さんの楽しみは、庭に張ったテントで過ごすこと。ハンモックでくつろいだり、家族みんなでカレーを食べたり、「キャンプ場に行く必要がなくなった」と喜んでいるそうだ。 ハーブの栽培や道の駅での販売にもチャレンジしたい 春山さん家族は、大田原市西部の、周囲に山々が広がる地区に暮らしている。 「大田原市の中心部も見ましたが、街中では東京の暮らしと大きく変わらないのではないかと思い、あえて自然が豊かな地区を選びました。私たちはお店を始めるためでも、おしゃれな田舎ライフを楽しむためでもなく、家族で生活をするために移住先を探していました。それには自然が豊かで、地域の人もあたたかい今の場所が、ぴったりだと感じたんです」 他の移住者のように、「移住先でお店を開いた」、「新たな事業を始めた」というような“大きな変化”はないが、子どもたちが外を元気に走り回っていたり、充さんは庭でキャンプができてうれしそうだったり、毎日食べる野菜がおいしかったり、そんな“小さな幸せ”をたくさん感じるようになった。 それだけではない。東京ではどこへ出かけても人が多く、スーパーなどで騒ぐ子どもたちをつい怒ってしまうことや、些細なことでイライラすることがあったが、そんな小さなストレスも移住してからはなくなった。物理的な広さやゆとりがあると、気持ちにも余裕が生まれるのではないかと話す春山さん。 「子どもをやたらと怒らなくなった」 これも移住して良かったと感じることの一つだという。 「当面は、東京で居酒屋の経営を続けながら、徐々に大田原での生活も築いていきたい。これからは畑でハーブを育てたり、市内の道の駅で野菜を販売したりと、新たなことにもチャレンジしていきたいです」

日常にワクワクを!

日常にワクワクを!

王生雄貴さん

その瞬間にしか味わえない、生きたライブを その日、即興ライブを行うという「Cafeくりの実」(栃木県下野市)を訪ねると、王生さんは他のお客さんと同じようにカウンターに座って、野菜が鮮やかに盛られたカレーを食べているところだった。 「流しでライブをやるときは、事前にお店の雰囲気を感じておかないと、なかなかうまく演奏できないんです。臆病なので(笑)」 そう謙遜する王生さんだが、お客さんの様子を目にしたり、会話を耳にしたりすることで、その場所に合った、その瞬間だけの生きたライブになる。実際のゲリラライブを見させてもらい、そう強く実感した。 以前、「ベリーマッチとちぎ」でも紹介した布作家の倉林真知子さんが手掛けた衣装を身にまとい、バイオリンを奏でながら王生さんが登場すると、店内には笑顔があふれた。 「リクエストのある方はいらっしゃいますか? ぼくの頭のなかで曲が流れれば、そのまま弾くことができます!」と王生さんは、リクエストされた曲を即興で演奏。お客さんも楽しそうにバイオリンを奏でる王生さんにつられて、手拍子がどんどん大きくなっていく。 そしてライブを終えると、お客さんのなかには目に涙を浮かべる女性が。聞けば、リクエストした曲が、1年前に若くして亡くなられた息子さんをイメージした曲で、息子さんのことを思い出したとのこと。「今日、偶然訪れたカフェで素敵な演奏を聴くことができて、本当にうれしかったです」と、その女性は話してくれた。 2年にわたり全国を旅して栃木県へ 現在、王生さんは「Philharmony Wedding(フィルハーモニーウエディング)」というエンターテインメントな空間演出に特化した楽団を運営し、カフェやバー、式場、イベント会場など、あらゆる場所でライブを開催。バイオリンの演奏だけでなく、ジャグリングやタップダンス、バルーンなどのパフォーマーとコラボした演出も手掛け、栃木県を拠点に全国各地でワクワクを届けている。 そんな王生さんが姉とともにバイオリンを習い始めたのは3歳のころ。それからもさまざまな習い事に挑戦したが、高校卒業まで続いたのはバイオリンだけだった。歌うことも好きで、ポップシンガーを目指して19歳で上京後、縁あってレゲエの道へ。バイオリンを奏でながらボーカルも務めるという、独自のポジションを確立。有名ミュージシャンのレコーディングに参加したり、ライブで共演したりと活動の幅を広げていった。 「けれど、憧れていた人たちと一緒に演奏ができるようになると、『失敗したらどうしよう』『嫌われたらどうしよう』と余計なことばかり考えるようになって。純粋に音楽が楽しめなくなってしまったんです」 そこで、24歳で「日本一周流しの旅」へと出かけたのは、最初に述べたとおりだ。王生さんは全国を駆け足で回るのではなく、訪れた街に一定期間暮らすように滞在し、近隣のバーなどで流しのライブをして旅の資金を得て、またヒッチハイクで次の街へ移動するという日々を過ごしていた。 「各地を巡るなかで、全国に一生付き合える友達をつくることが目的でした。そういったつながりが、今後の人生や音楽活動の財産になると思ったんです」 こうして訪れた栃木で、王生さんは奥さんのめぐみさんと出会い、結婚を決意。「流しの旅」を、ここで終えたのだった。 豊かな暮らしと、音楽に没頭できる環境を栃木で実現 「とっておきの場所があるんです」 そう言って王生さんは、近所にある森に囲まれたツリーハウスのような場所へ案内してくれた。高台にあって田んぼが見渡せ、木々の間を抜ける風が心地いい。 「誰がつくったのかわからないのですが、時々おじゃまさせてもらって、ここでバイオリンを弾くと、とてもリラックスできるんです。全国を巡って、それぞれの街にはそれぞれの良さがあることを感じました。そのなかで、栃木ならではの良さといえば、こんなにも自然が豊かなのに、東京へも気軽に行けるところだと思うんです」 さまざまな刺激が得られる東京も魅力的だが、生活するのはゆったりとした田舎がいいと、以前から考えていた王生さんにとって、栃木県はうってつけの場所だった。 自宅に戻ると、めぐみさんが料理に取りかかっていた。この日は、夕方から友達家族を招いてバーベキューを開催。土間のある開放的なリビングにつながる庭で、大勢でバーベキューができるのも、ゆったりとした敷地が確保できる田舎だからこそ。肉と一緒に焼く野菜は、自分たちで育てたものだ。 この家は断熱性や気密性が高く、隣の家ともある程度離れているので、リビングでバイオリンやギターを演奏しても、近所まではほとんど聞こえないという。そのうえ、家の一角には、王生さん専用の「音楽室」も設けられている。 「どんなに大きな音を出しても、外には聞こえません。こうやって作曲や練習に没頭できる環境があるのは、本当にありがたいこと。東京などの都会では、なかなかこういった空間は、確保できないと思うんです」 路上ライブが日常的に行われる、文化を根付かせたい 全国を巡る旅を終えて、変わったこともあるが、変わらなかったこともある。 「それは、自分でいうのもなんですが、ポップな性格です。旅に出る前は、音楽好きの玄人が集う世界のなかで、ポップな自分の性格はコンプレックスでした。けれど、2年間の旅を経てもこのキャラクターは変わらなかった。ならば、それを生かせることを仕事にしようとたどり着いたのが、日常にワクワクを届ける『フィルハーモニーウエディング』の活動だったんです」 現在、王生さんは音楽活動に加えて、別の仕事にも就いている。めぐみさんと結婚して長男が誕生し、就職したばかりのころは、その仕事にやりがいを見いだせず、腐りかけたこともあった。 「ライブで、『日常にワクワクを』と言っているのに、自分がワクワクしていないな……と思って。もう一度、街角やカフェ、バーなどでバイオリンを即興で演奏する“弾き流し”を、県内をメインに毎週のように行っているんです」 そうやって弾き流しの活動を続けることで、ミュージシャンが路上で演奏することを、当たり前と感じてもらえるような文化を根付かせていきたい。多くの人の日常に音楽が調和し、ワクワクがあふれるような世の中にしていきたい。そう願いながら、王生さんは今日もどこかでバイオリンを奏でる。

鹿沼の人や自然、文化に魅了されて

鹿沼の人や自然、文化に魅了されて

武藤小百合さん

自分が惹かれた街で、暮らしを楽しみたい 武藤さんが鹿沼に移り住むきっかけとなったキーパーソンの一人が、新鹿沼駅前にあるレンタサイクルショップ「okurabike」の鷹羽(たかのは)さんだ(下写真左)。武藤さんは、okurabikeが主催するサイクリングツアーに何度か参加し、鹿沼の魅力に触れたことで移住を決意。さらに、移住後も鷹羽さんに街のことを教えてもらったり、プライベートでも相談に乗ってもらったりと、とてもお世話になっていて、武藤さんは“鹿沼のママ”として慕っている。 そんなokurabikeのサイクリングツアーで鹿沼を巡りまず感じた魅力が、身近に広がる自然だ。 「街中から自転車で少し走るだけで田畑や里山が広がり、きれいな川が流れる豊かな自然に出会えます。例えば、新鹿沼駅から自転車で10分ほどにある『出会いの森総合公園』は(下写真)、春には大芦川沿いの桜並木がとても美しく、5月下旬から6月上旬にはホタルも見られます。自然と人が共存しているところに、とても惹かれました」 もう一つ感じた鹿沼の魅力が、いきいきと暮らす街の人たち。サイクリングツアーで出会った、400年の歴史を持つ麻農家が営む「野州麻紙工房」の店主や、秋まつりに登場する彫刻屋台が展示されている「屋台のまち中央公園」の方をはじめ、カフェや飲食店を開業したり、新たなことに挑戦したりしている人たちも多く、個性豊かで面白い街だなと感じた。 「鹿沼はもともと人が行き交う宿場町だったこともあり、移り住む人に対してウェルカムな雰囲気があり、新しいことに挑戦する人をあたたかく応援してくれます。何よりも皆さんとても優しく、一人で移り住んでもなんとかやっていけそうだなと感じました」 さらに、長年受け継がれている街の文化にも強く惹かれた。サイクリングツアーでは、絢爛豪華な彫刻屋台が鹿沼の街を練り歩く、歴史あるお祭りを特等席で見学。街の人たちが一丸となって文化を継承している姿に心震えた。 武藤さんは、これまで客室乗務員として、いろいろな地域を訪れ、さまざまな街を目にしてきた。そこで感じたのは、「どこに行っても変わらない暮らしはできる」ということ。 「東京は確かに便利ですが、地方でも必要なものはそろうし、どこへ行ってもそれほど変わらない生活ができる。だとしたら、自分が惹かれた街で、惹かれた人たちと、したい暮らしをすることが大切なのではないか。そう思って、鹿沼へ移り住むことを具体的に考え始めたんです」 東京の郊外に引っ越すような感覚で 人と自然、文化に加えて、東京からのアクセスの良さも、鹿沼に惹かれたもう一つの理由だ。「新鹿沼駅」からは、特急で都心まで1時20分ほど。これまで、羽田や成田へ1時間半ほどかけて通勤していた武藤さんにとって、鹿沼は意外と近いと感じた。 「移住と言うと、山の中などへ一大決心をして移り住むイメージがありますが、私にとって鹿沼への移住はそれほど大袈裟なものでなくて、東京の郊外に引っ越すような感覚でした。鹿沼に限らず栃木県全体に言えることかもしれませんが、東京へのアクセスの良さが、移住を考える人にとって一つの魅力になっていると思います」 とはいえ、転職は大きな決心だった。締め切り数日前に見つけた市役所の採用試験に応募し、見事に合格したことで、鹿沼への移住は現実のものとして一気に動き出した。こうして2020年9月、武藤さんはこの街での新たな暮らしをスタートした。 鹿沼市役所の中でも、教育委員会事務局で働く武藤さんは、主に奨学金貸付業務と入札業務を担当している。 「部署の上司や同僚たちは、鹿沼歴が浅い私のことをとても優しくフォローしてくださいます。仕事のことはもちろん、鹿沼のことも、もっともっと詳しくなって、地域の役に立てる職員になりたいです」 日々の小さな喜びの積み重ねが、QOLを高める 鹿沼に移り住んでからは、市役所で働きながら、休日にはランニングやカフェ巡り、ボタニカルキャンドルづくり(下写真)を楽しんだり、日光や宇都宮まで車で出かけたり、ときには東京まで遊びに行ったりと、充実した毎日を過ごしている。 「私は移住とともに起業したり、新たにお店を始めたりしたわけではなく、平日は仕事をして休日に趣味などを楽しむという生活スタイルは、大きく変わっていません。それでも、日々の食事や通勤、ウォーキングなどの満足度が、ちょっとずつ上がり、全体として暮らしが豊かになったなと実感しています」 例えば、この街では、おいしい地元の食材が手軽に入手できる。自転車通勤の途中に美しい花が咲いていたり、虫がいたり、夜には星が見えたり、ときには雷が鳴ったり、四季の移り変わりを肌で感じながら生活できる。鹿沼には何かにチャレンジする人が身近に多く、自分も頑張ろうと刺激を受けられる。もちろん、家賃などが安いのもうれしいポイント。東京と同じ金額で、より広く新しい住まいに暮らすことができる。 こうした積み重ねが、いわゆるQOL(Quality of Life)の向上につながっている。 そして、移住して2年目の2022年に、武藤さんは結婚。ご主人も東京からこちらへ移り住んだ。 「主人はシステムエンジニアで、リモートワークが定着してきたことで、仕事を辞めることなく鹿沼に移住できました。彼はキャンプが趣味なので、これからはもっとアウトドアのアクティビティも満喫していきたい。2024年にはスノーピークが運営するキャンプフィールドが、鹿沼市にオープンするのもとても楽しみです!」 今後、数年間中止となっている「秋まつり」や、さまざまなイベントが開催されるようになったら、積極的に参加して、地域の人や移住者どうしのつながりをもっと広げていきたいと考える武藤さん。 「勇気を持って一歩を踏み出し、鹿沼でのコミュニティを築いていきたい。そして、これから鹿沼に移り住む人が、安心して移住できる環境をつくるなど、大好きなこの鹿沼に恩返しをしていきたいです」

大人も子どもも“やりたいこと”が広がる暮らし

大人も子どもも“やりたいこと”が広がる暮らし

冨永美和さん

Iターンで、小山市にマイホームを 山形生まれの山形育ち、就職も地元企業。同じく山形県出身のご主人と結婚したが、ご主人の勤め先が栃木県内の企業だったこともあり、結婚を機に山形を離れ、栃木県下野市へ。冨永さんが勤めていた会社は都内にもオフィスがあったため、そちらに転勤し、下野市から都内のオフィスへ通勤していた。 ご主人の転職に伴い、一度は茨城県古河市へ。その後、子どもが生まれたことで「家を建てたい」という想いが強くなった。 「山形に戻ることも考えましたが、今後のライフプランを考えた時に、関東にとどまることにしました。栃木県、茨城県、埼玉県で土地を探す中で、自分たちの理想にぴったりの場所を小山市に見つけ、念願のマイホームを建てることにしました。」 第二子出産とほぼ同じタイミングに家が完成し、家族4人での小山市暮らしがスタート。 「駅からそれほど離れていませんが、静かな土地で、周りには子どもの同級生も多いので、安心して子育てできます。日常生活に必要なものは15分圏内で全て揃うので、暮らしの利便性はとても良いですよ。」 また、一戸建てに住んで良かった、と今になって強く思うことがある。それは、子どもたちがとても元気なこと。 「息子たちの今のブームは“戦いごっこ”。喧嘩ではないのですが、何をしていてもすぐに戦いごっこが始まり、毎日大騒ぎです。アパートやマンションに住んでいたら、常にご近所さんのことを気にしていたでしょうね・・・(苦笑)」 子どもに色々なことを経験させてあげられる環境 住まいには庭もあるので、2021年春からは家庭菜園をはじめた。 「ナス、トマト、とうもろこし、ブロッコリーを植えました。子どもたちも野菜が育つ過程や収穫を楽しんでいます。ただ、とうもろこしだけは収穫直前に鳥に食べられてしまいました。植えれば採れるというものではないこと、どうすれば無事に収穫できるか、など、失敗から学べることもありました。」 そして今年の夏は初めてカブトムシを飼うという経験もした。 「子どもたちは昆虫が大好き。毎日餌やりなど世話をしていました。生き物なので、お別れもありますが、生き物を育てることの難しさや楽しさを学んでくれたと思います。」 そして、これからは「アウトドア」にも挑戦してみたいという。 少し前からご主人の趣味が登山やキャンプになり、休日はアウトドアを楽しんでいる。 「せっかく身近にこれだけの自然環境があるのだから、そろそろ子どもたちもアウトドアデビューさせたいと話しています。」 県内には小さなお子さん連れでも登りやすい低い山から、本格的に登山を楽しめる山まである。川遊びやキャンプなども各地で楽しめるので、アウトドア好きにとって行き先に困ることはない。 「毎日外を走りまわって、笑って過ごしていることだけで十分ですが、身近でいろんな経験ができるので、その都度成長を感じられます。」 親が選んだこの地で、子どもたちも楽しく過ごせていることもシンプルに嬉しいという。 遊びに行ける場所の選択肢が多い 子どもが小さい頃は、市内で開催されるマルシェや近所の公園に行くことが多かったが、成長に伴い遊ぶ場所も変化してきた。 ご主人もいる週末は、一日は近場で、一日は遠出するというのが最近の過ごし方。 「近場では、市内のショッピングモールや、近隣市町の公園に行きます。遊具が充実した公園は子どもたちのお気に入りで、毎回行き先を変えることで飽きずに楽しんでくれます。」 遠出の場合は、那須エリアにあるファミリー向けテーマパークや、茨城県、群馬県に足を伸ばすことも。高速を使えばどこへ行くにも1時間程度なので、行き先に困ることはないという。 「調べてみると、宇都宮市や佐野市の商業施設にも、キッズスペースが充実しているところがあるみたいで。子どもを遊びに行かせるだけでなく、大人も買い物を楽しみながら、子どもも楽しめるというのは良いですよね。」 情報通の冨永さん。普段の情報収集については、「イベントなどは、市内のお気に入りのお店のS N Sをフォローして、出店情報をチェックして把握しています。子どもの遊び場は、友人が調べたものを教えてくれるんです。」 友人というのも、小山市に移住して来られた移住者仲間。 冨永さんが移住してきた当初、市が主催している移住者交流会『welcome! Oyama beginner』に参加したことをきっかけに、地元のキーパーソンや移住者同士とつながることができた。その時に知り合ったママ友とは、普段から情報交換をしたり、子どもと一緒に遊びに行くこともあるという。 「小山市はイベントが多いですが、最近はイベントで地元の方と交流するより、家族と公園や遠出して過ごすことが多かったなと気づきました。気になるお店もどんどん増えていますし、原点回帰でまたイベントに参加したいですね。」 子育てしながら在宅でできる仕事を 2022年春まで、都内の会社に在籍していた冨永さん。 会社がテレワークを導入していた際は、子どもと触れ合う時間が十分確保でき、仕事と子育てのバランスが非常に理想的だったという。しかし春にコロナが落ち着いたタイミングでテレワークが終了。会社との話し合いも重ねたが、子どもの幼稚園入園のタイミングとも重なり、一度子育てを優先する決断をし、退職した。 「仕事はしたいと思っているので、情報収集はしています。私も驚きましたが、在宅で働くことを望む主婦向けの求人情報って、栃木には意外とたくさんあるんです。」 働き方の変化に伴い、求人情報も世の中のニーズに合わせたものに変化している。 「在宅のみの仕事であれば、通勤アクセスを気にせずに、仕事内容で選ぶことができます。これからは、より一層栃木での暮らしを満喫しながら、仕事も子育ても充実させていきたいですね。」

日々を豊かにする器を

日々を豊かにする器を

茨木伸恵さん

長く愛される、普遍的な美しさを形にしたい 工房におじゃますると、ちょうど茨木さんが土をこね、作陶の準備をしているところだった。新しいものなのに、何十年と時を重ねたような味わい深い質感やフォルム、水色やグレーなどの美しい色合いが魅力の器たちは、一つずつ手びねりでつくられている。 「ロクロよりも、地道に手びねりで成形していくほうが、自分には合っているんです」 新潟県の出身で、文化服装学院で服飾デザインを学んでいた茨木さんが陶芸の道に進んだ理由にも、じっくりものづくりに向き合いたいという同じ思いを感じた。 「どんどんトレンドが移り変わっていく、ファッションデザインのサイクルの速さに違和感を感じて。もっと長く愛されるものづくりがしたいと思うようになったんです」 こうして文化服装学院を卒業後、1年かけて資金を貯め、岐阜県の多治見市陶磁器意匠研究所に入学。2年にわたり陶磁器のデザインを学んだ茨木さんは、多治見の焼き物メーカーに就職し、そこで働きながら自身の作品も製作する日々を過ごしていた。けれど、当たり前だが、最初から現在のような作品がつくれたわけではなかった。 「私は、古代ペルシアやギリシアなどの美術が好きで、展覧会に行くと感動して、わーって舞い上がってしまうほどなんです。その“根源的な美しさ”を、なんとか形にしたいと試行錯誤を重ねて、ようやく目指す色合いや質感が表現できるようになってきたのは、意匠研究所を卒業して5、6年が経ったころからです」 ヨーロッパから国内まで、各地で作品を発表 ちょうどそのころ、二つの大きな転機が訪れる。一つは、作品の販売について。2013年に、パリにある有名なセレクトショップ「Merci(メルシー)」のバイヤーが多治見を訪れたとき、茨木さんの作品が目にとまり、同店で扱ってもらえるように。それをきっかけに、デンマークやイギリスなど、ヨーロッパ各地で作品を発表し、スウェーデンで個展も開催。国内でも全国各地で個展を開くなど、活動の場が広がっていった。 さまざまなクラフトフェアにも出展していた茨木さんだが、ある年の「クラフトフェアまつもと」に参加したとき、事情があり開催時間に遅れてしまった。出展場所が、来た順番に埋まっていくなかで、最後まで空いていたのが木陰の小さなブース。そのとき、たまたま隣になったのが、山根さんだった。 「僕はギターが直射日光に当たらないように、あえて木陰を選んで出展していたんです」(山根さん) この偶然の出会いがきっかけとなり、二人は2015年に結婚。茨木さんは、山根さんの地元である佐野市に移り住むことに。これが二つ目の大きな転機だった。 自然も街も身近にそろうのが佐野の魅力 現在、茨木さんは、ご主人の山根さんと長男(5歳)、長女(3歳)の家族4人で、佐野市に暮らしている。佐野で生活して実感するいちばんの魅力は、冒頭にも書いた「ちょうどよさ」だ。 「佐野は、身近に自然が豊富にありながら、生活に必要なものは近くでなんでも手に入り、交通の便もいい。ちょうどいいバランスで、本当に住みやすいんです。『佐野市こどもの国』などの大きな公園から、唐沢山や美しい川まで、子どもたちと出かけられる場所もたくさんあって、子育てがしやすいところも魅力ですね」 この日は、関東平野を一望する唐沢山の山頂へ出かけた。唐沢山は、山根さんがよくランニングに訪れる場所。茨木さんは、唐沢山の近くの浅間山山頂から松明を持って山を降りる「浅間の火祭り」にも、参加したことがあるという。 一方で、東京へのアクセスの良さも、大きなポイントだ。高速バスで、約1時間30分で都心まで出られるので、美術館の展覧会に出かけたり、ギャラリーを巡ったりと、インプットなどを目的にフットワーク軽く訪れることができる。 「交通の便がいいので、友達もよく遊びにきてくれます」 人との出会いが、新たなチャレンジの刺激に 佐野に移り住んでから巡り合った“人”も、大切な財産になっている。例えば、今年80歳になる陶芸の先生は、足利市の山奥に薪窯をつくり、主にお茶の道具などを教室の生徒たちと10日間かけて焼き上げている。 「私は、作品の幅を広げたいと思い、ロクロを習いに通っています。先生は技術だけでなく知識もとても深く、茶道の道具のことや薪窯のことなど、たくさんのことを教わっています」 人との縁が刺激となり、ものづくりの本質的な部分に向き合い、新たなチャレンジをしていきたいと感じるように。ご主人の山根さんも、そんなプラスの影響を与えてくれる一人だ。 「彼のものづくりの姿勢は本当に真面目で、1本のギターをコツコツと3カ月ほどかけて、丁寧につくり上げるんです。私も、じっくりと製作に向き合い、日々を豊かにする器を、これからも目指していきたい」

体当たり取材で感じた、まちなかの魅力を紙面に込めて。

体当たり取材で感じた、まちなかの魅力を紙面に込めて。

多里(たり)まりなさん

実感したことを、自分の言葉で紡ぐことを大切に 中心市街地の活性化と、新聞社のさまざまな情報を発信する新たな拠点として、宇都宮まちなか支局が誕生したのは、2012年4月のこと。実は、1階にあるカフェ「NEWS CAFE」も、下野新聞社が運営。2階にはイベントスペースも設けられている。 京都府出身の多里さんは、最初の1年間は栃木支局で経験を積み、2年目からまちなか支局へ。ここでは、毎週日曜日に掲載される「みやもっと」面(2ページ)を、主に担当。紙面では、記者が自ら体験したことを、紹介することをコンセプトにしている。 例えば、本サイトでも紹介した宇都宮の「きものHAUS」が企画した、オリオン通りを約70人の花魁(おいらん)姿の女性が練り歩く「宮魁道中(みやらんどうちゅう)」に、多里さんも花魁の一人として参加したり、ジャズの街としても知られる宇都宮で活動しているアマチュアのビッグバンドに、ピアノとして加わり演奏したり、1カ月で百人一首をすべて覚えて大会に出場してみたり、まさに体当たりで、街なかで起こる新たな取り組みに飛び込み、そこで実感したことを言葉にしている。 「通常の紙面とは逆に、『みやもっと』では、自分で体験したからこその感想や、そこから見えてきた街や人の姿、魅力を、自分自身の言葉で書くことを心がけています」 最初は顔には出さないけど、みんな歓迎してくれている 多里さんは、原稿を書くとき以外は、街へ出かける。移動は、徒歩が基本だ。 「暖かくなったら自転車にも乗りますが、街なかでは歩きが便利! 車のように駐車場を探さなくていいから、気になった場所へ身軽に立ち寄れるんです」 商店街を歩いていると、いろいろな人が声をかけてくれる。立ち止まって世間話をするなかで、意外な人から思わぬ情報を得られることもある。 「だからこそ〝枠〟をつくらず、できる限り幅広く、たくさんの人と会うように心がけています。もう一つ大切にしているのは、自分のことをオープンにすること。こちらから壁をつくらず、何でも話すようにしていると、相手も心を開いてくれる。これは、記者としての変わらぬ目標でもあります」 取材の途中に立ち寄った、「村山カバン店」の店主夫妻(上写真)も、家族のように接してくれる。コーヒーを出してくれたり、「おなか減ってない?」と、ときには一緒にお店のカウンターでお昼を食べさせてくれたりすることもある。 手作りパンを使ったサンドイッチ専門店「小時飯屋(こじはんや)」の店主も、いつも多里さんのことを気にかけてくれる(下写真:小時飯屋の店内の様子)。 「実は、就活で下野新聞社を受けるために、初めて宇都宮を訪れた帰りに、偶然立ち寄ったのが、小時飯屋さんだったんです。そのときお父さんが、『どこから来たの?就職活動? 栃木の人は表情には出さないけど、すごく温かいし、みんな外から人が来てくれるのをうれしく思っているから、大丈夫だよ!』と言ってくださって。もし受かったら、栃木に来よう!と前向きに思ったのを、今も覚えています」 世代間をつなぐ〝橋渡し〟の役割を、これからもっと このように地域と密接に関わる多里さんに、普段感じる「宇都宮の街なかの魅力」をうかがった。 「宇都宮は、東京や大阪ほど街の規模が大きくないぶん、初対面の人でも話してみると共通の知り合いがいたりして、コミュニティを築きやすいのが魅力だと思います。だからか、皆さん、職場や家庭以外にも、自分の趣味や好きなものに関する〝居場所〟を持っている人が多い。私も、よく近所のミュージックバーに行くのですが、2、3週間ほど間があいただけで、店主の方が『大丈夫?』と声をかけてくれる。そういう人の温かさに、日々支えられていますね」 もう一つ実感しているのは、幅広い年代の人たちが、地域をよくしようと活動していることだ。 「私も参加させてもらった『宮魁道中』をはじめ、若い人たちの新たな動きが、街なかで活発に生まれています。一方で、長年、商店街でお店を営んでいる上の世代の方たちも、地域の文化を受け継ぎながら、商店街を元気にしたいと考えている」 例えば、街の中心部にある二荒山神社の門前には、昭和30年代ころまで浅草のような仲見世があったという。 「初めてこのことを知った若い世代の人たちは、『復活させられたら、きっと面白いだろうな』とワクワクすると思うんです。そんな世代と世代をつなぐ〝橋渡し〟の役割を、これから果たしていきたい」 実は、春の人事異動により、3月から多里さんはまちなか支局を離れ、宇都宮総局へ異動することが決まった。けれど、まちなか支局で大切にしてきた、仕事や地域に対する思いに変わりはない。 「この2年の間に多くの人と接するなかで、実は日常のなかに〝いいもの〟がたくさんあることを気づかせてもらいました。これからも、外から来た人間だからこその視点で、何気ない宇都宮や栃木のいいものをたくさん再発見し、発信していきたいと思います」

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