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地域おこし協力隊

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GROWTH WITH

地域の一員として
地域とともに成長する。

地域おこし協力隊

地域おこし協力隊とは、人口減少や高齢化などの進行が著しい地方に住民票を異動し、さまざまな地域協力活動を行いながら、定住・定着を図る取り組みです。
具体的には、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PRなどの地域おこしの支援農林水産業への従事住民の生活支援などを担います。地域での新しい仕事を創り出し、地域力を維持・強化するとともに、自身も地域とともに成長することを目的としています。
任期はおおむね1年から3年、任期終了後には起業・事業継承に向けた支援も受けられます。

 

INTERVIEW

インタビュー

持続可能な里山暮らしを目指して

持続可能な里山暮らしを目指して

後藤 芳枝(ごとう よしえ)さん

田舎での丁寧な暮らしに憧れて 群馬県出身の後藤さん。高校卒業を機に上京し、服飾専門学校へ。20代は東京での暮らしを満喫し、音楽活動や古本屋での仕事、キッチンカーでの弁当販売など、さまざまな仕事を経験した。 欲しいものや必要なものは全て買えば手に入るが、30代半ば頃から「東京での暮らしって、消費するだけだなぁ」と考えるようになったという。 「丁寧な暮らしを紹介する雑誌をよく読んでいて、ナチュラルな暮らしに憧れていました。東京での生活は、日々の生活音をとても気にしてしまい、そういったことを気にせずに暮らせるような田舎に移住したいな、と思うようになったんです」 田舎暮らし、移住。日々そんなワードを検索する中で、地域おこし協力隊のことを知った。 「でも、全国の活動事例を見ても目にするのは若い人たちが活躍する記事ばかり。若者しかなれないものだと思い込んでいたので、自分が協力隊になるなんて想像もしていませんでした」 実家がある北関東を候補に移住先を探していた際に、足利市での農業体験情報を見つけ、市に興味を持った。そこから行き着いたのが、市主催のコミュニティイベント『足カフェ』だ。 イベントへの参加をきっかけに、市職員や足利市地域おこし協力隊との繋がりができ、翌月には足利を訪れることになった。 「“田舎でこんな暮らしがしたい、という理想はあるけれど、その土地に必要なことで、生業にできることって何だろう?”と考えていて、足利市の職員の方に悩みを打ち明けたところ、“地域に必要とされていることを知るためにも、協力隊に応募してみたら?”と言われたんです。自分の歳で協力隊に応募できると思っていなかったので驚きましたが、それなら!と思いました」 足利市への訪問を機に、協力隊への応募を決意。それから3ヶ月後、後藤さんの足利暮らしがはじまった。 地域の“つなぎ役”として 協力隊のミッションは、“自らの足利暮らしを通じた移住・定住の促進に関する活動”とのことで、後藤さんは興味がある“農業・里山暮らし”に焦点をあてた取り組みをしたいと考えた。 「農業体験に力を入れて取り組んでいる名草地区を拠点に活動したい、と市役所に提案しました。市としても名草地区を盛り上げていきたいとのことで、割とスムーズに名草での活動をスタートすることができました」 とはいえ、農業の知識や経験は全くなかった後藤さん。 まずは自分の存在を知ってもらおうと、名草で地域活性をしている団体の方々に挨拶周りをし、皆さんの手伝いをすることからはじめた。 畑での農作業、草刈り、ハイキングコースの整備・・・さまざまな体験を通し、農作業に必要な準備や片付け、季節ごとの作業、農機具の使い方、農業における先人の知恵、暮らしのアイデアなど、里山での農ある暮らしを身につけていった。 「協力隊1年目は、各地域で活動している皆さんのお手伝いをしながら、里山での暮らしについて学ばせてもらいました。2年目には自分で畑を借りて、農業体験をやってみよう!と動き始めました」 借りた畑は『名草ちっとファーム』と名付けた。「畑をちっとんべー(“少しばかり”の意)やってます」という意味で、これが親しみがあってわかりやすい、と地元の人から好評を得た。 「自分で畑を借りて農作業を始めたことで、地域の方との関係性が良い意味で変わったなと感じました。それまでは手伝いだけで受け身だったのが、まだまだ同じ立場とまでは言えませんが、会話の内容も一段階上がったというか。人との繋がりも広がりましたし、やはり自分でやってみるって大切だなと実感しましたね」 少しずつ里山暮らしに手応えを感じていく中で、活動を形にしていこうと立ち上げたのが『名草craft』だ。 人と人を丁寧に繫ぐという思いと、自身も天然素材でものづくりをするような手仕事をしていきたい思いから、クラフトという言葉を選んだ。 「竹や麦などの素材を使って、かごやオーナメントを作っています。名草のような里山でも、かごを作れる人は少ないんですよ。そうした日本の昔ながらの手仕事を残していきたくて」 昔ながらの伝統でいえば、『名草生姜』も忘れてはいけない。 「協力隊3年目の時に、宇都宮大学の学生たちと地域課題を解決するための研究プロジェクトが始まりました。その中で、名草産の生姜に着目し、PRのためのワークショップや、商品開発、市内の飲食店の皆さんにも協力いただきレシピブックを作成しました」 協力隊の3年間を通じて後藤さんが感じた自身の役割は、“つなぎ役”になるということ。 「人と人を繋ぎ、ものづくりをしたり、誰かのやりたいことを形にしたり、困りごとを解決したり。つなぎ役がいることで実現することってたくさんある、ということを実感しています。その役割を担っていければと思っています」 里山で広がる人とのつながり 協力隊としてP Rに力を入れた『名草生姜』。後藤さん自身も名草生姜を守るべく、栽培をはじめた。 以前は名草地区でも複数の農家で生姜が作られていた。しかし、現在大規模に生姜を作っているのは、生姜農家の遠藤さんだけだという。 「生姜の栽培から、収穫、貯蔵、種作りまで、遠藤さんに教えてもらっています。わからないことがあれば、何でも丁寧に教えてくれるんですよ」 生姜に限らず、後藤さんは農業のイロハについて、遠藤さんをはじめ集落営農組合のおじいちゃん達にお世話になっている。 「米作りのこともアドバイスしてもらったり、農機具を貸してもらったり、とても助かっています。そのかわりに、農作業の後片付けや雑務などは私たち若い世代がやっているんですよ。持ちつ持たれつの関係ですね」 また、後藤さんがプライベートでも仲良くしているのが、同世代の奥村さんだ。 「とにかく話が合うんですよね。今欲しいものは・・・(二人が声を揃えて)耕運機!とかね。こんな暮らしがしたいとか、こういうことをやりたいとか、その感覚がとても近くて。話をしていて落ち着くんですよ」 ふらっと奥村さんの家を訪れては、お茶を飲んで何気ない会話を楽しんでいるという。 そんな奥村さんも、滋賀県から群馬県を経て、名草地区に魅せられてやってきた移住者仲間。養鶏を生業としており、「自分たちで作れるものは作る」という考えも後藤さんと通ずるところだ。 「狭い地域ではありますが、名草には魅力的な人が本当にたくさんいるんです。こうした人たちの存在が、私が名草にいる理由でもあります」 夢に描いていた暮らしができつつある 2022年3月に地域おこし協力隊の3年間の任期を終え、現在、後藤さんは足利市集落支援員として引き続き名草地区で活動している。 基本的には、協力隊時代に取り組んできたことを継続して行っているが、変化したところもある。 「協力隊の時は、自分のやりたいことで地域を盛り上げる活動をしていました。そのため、関わる人も既に地域で活動している人が多く、それ以外の方々と繋がるきっかけが少なかったと感じていました。集落支援員としては、もっと幅広く地域に貢献していきたいと思い、自分たちの活動を知ってもらうために新聞を作ったり、朝の太極拳をはじめました」 長年太極拳をやられている方がおり、朝のラジオ体操の感覚で太極拳の体験会をしてみたという。すると、これまで交流のなかったおばさま(お姉さま)世代がたくさん参加するようになり、また新たな人との繋がりができるようになった。 新たな人との繋がりは、新たな里山暮らしの知恵をもたらしてくれる。そうして、後藤さんは、ますます“名草の人”として地域に馴染んでいくのだ。 「そうして徐々にできることを増やしていって、いずれは自分の生業で地域に貢献しながら暮らしていけるようになりたいです」 「協力隊としては何もかも未知からのスタートでしたが、新しいことにチャレンジして周りに助けてもらいながら、色んな経験ができました。この歳になっても自分が成長できることってこんなにもあるんだ、と実感しています。時間はかかりましたが、今やっと30代の頃に描いていた理想の暮らしができつつあります。特別なスキルがなくたっていい。思い切って、ローカルでチャレンジしてくれる人が増えたらいいですね」

人を繋ぎ、みんなが笑顔になる街に

人を繋ぎ、みんなが笑顔になる街に

高橋 潔(たかはし きよし)さん

起業と農業、東京と矢板 栃木県内の高校を卒業後、大学は群馬県へ。社会人としてのスタートは、人材派遣会社の営業職だった。全国に拠点があり、東北や関東エリアを中心に経験を積んだ。20代後半で転職した会社では、人事や経営企画、秘書業務など経営層に近い部分に携わった。 「全国を拠点に、特に製造業への人材派遣をメインとしていたのですが、ここ十数年で多くの企業が工場の閉鎖や廃業するのを目の当たりにし、地方の危うさというか、将来への危機感を募らせていました。2011年の震災も経験し、何か地方を盛り上げることや地域に還元できることをしていきたい、と考えるようになったんです」 そして2014年、思い切って会社を辞め起業した。 「とにかく地方を盛り上げたい想いだけはあって、会社を作りました。以前、オンラインで全国会議をしたことがあり、この仕組みを使えば何かおもしろいことができるのでは?と考えたんです。今では当たり前のオンラインですが、10年以上も前だとまだそこまで一般的ではなかったですよね」 そうして立ち上げた事業のひとつが、オンライン配信サービスであった。当時はビジネスとしてはまだ競合も少なかったが、ニーズはあったため、順調に軌道に乗った。 「ただ、私自身はITまわりにそこまで強い訳ではなくて。社員に“配信はやらなくていいです”と言われるくらいでした(笑)そのため、配信の実務は当初から信頼できる社員に任せています」 会社を経営する一方、高橋さんがずっと気にかけていたのが、矢板市で叔父が経営するぶどう園だった。 「りんごの生産が有名な矢板市ですが、叔父は市内唯一のぶどう園を経営しています。ただ跡継ぎがおらず、今後どうするんだ、という話を以前からずっとしていました。先代の頃からワイン作りやワイナリーの夢もあり、叔父も自分も諦めたくない、という想いが強く、2015年の正月に話し合いをしました。起業して1年も経っていませんでしたが、自分が畑を手伝うことにしたんです」 こうして東京と矢板、オンライン配信サービスと農業という全く異なる分野での2拠点生活が始まった。 ぶどう園での手伝いから協力隊へ 2015年6月からぶどう畑で作業するようになった高橋さん。 日々の作業の中で、市役所の農業や広報の担当者と接点を持つ機会が増えた。当初は農業に関する話が多かったが、徐々に今後の矢板市について語り合うことも増え、「矢板市は、地域おこし協力隊の募集はしないのですか?」と尋ねたことがあった。 以前から全国の地域活動に目を向けていたため、地域おこし協力隊のことは知っていたという。ちょうど矢板市でも、募集に向けて動いているタイミングだった。 矢板で過ごす時間が増え、叔父のぶどう園だけでなく、周辺地域のこと、農業のこと、市の未来について考えることが多くなったという。 「自分が育った矢板を、どうにか盛り上げていきたい」という想いは、日々強くなっていった。 そんな中、矢板市での地域おこし協力隊募集が始まり、手をあげた高橋さん。 地域への想いや活動の実績が評価され、“中山間地域の活性化”をミッションに2017年4月から活動を始めることとなった。 「活動地域が泉地区という、ぶどう園とは異なる地域だったので、協力隊としては泉地区にコミットし、休みの日にぶどう園の作業、夜に自社の仕事をオンラインで、という生活スタイルでした。全く違う頭を使わなければならなかったので、切り替えは大変でしたね」 泉地区では、まず地域を周り、現状を知ることからスタート。矢板市の中でも過疎化が著しいこの地域では、住民たちも危機感を募らせていた。 そこで都内の大学生を呼び、地域課題に取り組むプログラムをコーディネートしたり、全国の地域課題に取り組む団体の方を講師に呼んで勉強会を開いたりと、様々な取り組みに着手。 2年目には、既に地域で活動している人たちのサポートに入り、一緒に事業の収益化を考えるなど、コンサルタントのような立場でまちづくりに取り組むようになった。 そんな中、矢板市で人口減少などの地域課題に取り組むための拠点(後の『矢板ふるさと支援センターTAKIBI』)を作る構想が立ち上がる。協力隊卒業後は市内で団体を立ち上げ、矢板に人を呼び込むような仕組みを作りたいと考えていた高橋さんは、市からの依頼もあり、協力隊2年目の途中から拠点の構築に取り組むこととなった。 「泉地区の皆さんには、3年間携われず申し訳ない気持ちも大きかったですが、関わった期間の中での取り組みにはとても感謝してもらえて。今でも飲みに誘ってもらえる関係を築けています」 TAKIBIの立ち上げ 新たなミッションとなった『矢板ふるさと支援センター』の構築については、拠点の場所探し、運営の構想、スタッフの採用、その全てを担った。 「人々が自然と集まってくるような場所。その時々でカタチを変えるような空間。薪を集めて火を灯すことがスタートアップのイメージにもつながることから“TAKIBI(焚き火)”という名称になりました」 スタッフとして新たに3名の地域おこし協力隊を採用。市内の空き家を借り、採用した協力隊と共に地元の高校生なども巻き込みながら自分たちで改修作業を行なった。 そして2019年6月『矢板ふるさと支援センターTAKIBI』として、地域内外の人々が気軽に集えるシェアスペースがオープン。 「自分の力を出し切り、やっと形になった時は嬉しかったですね」 その後、移住相談窓口やテレワーカーの仕事場、地元学生の勉強の場、イベントスペースなど幅広く活用された『TAKIBI』だったが、2022年8月に矢板駅東口からほど近い場所へ移転。現在、高橋さん自身もより広くなった新生『TAKIBI』を利用している。 「商業施設などとも隣接しているので、多くの方の目に触れやすく利用しやすい環境だと思います。シェアスペースやシェアキッチンを多くの方に利用いただきたいですね」 『TAKIBI』のスタッフの皆さん、顔馴染みの利用者さんと 地域での商売を、うまく循環させたい 今も変わらず、矢板と東京の2拠点生活を続けている高橋さん。協力隊卒業のタイミングが2020年3月だったこともあり、卒業と同時に会社のオンライン配信サービスの仕事が急激に忙しくなってしまったが、それぞれで仕事がある時に行き来しているという。 「協力隊卒業を見越して、矢板でNPO法人を立ち上げたんです。コロナのタイミングと重なりほとんど活動できていなかったのですが、少しずつ準備を整えていて、2023年はやっと動き出せそうです」 市内の空き物件を借り、整備を進めている。 「この空間を整備して、地域住民のための情報発信拠点を作ります!」 地元の商店主たちと話をする中で、「何かをやるにもPR手段がない」との声を多く聞いた。 広報物では情報発信までのタイムラグが生じ、SNSでは一部の人にしか届かない。誰でも聴けるラジオを通じて、リアルタイムの情報を地域の人に届けるサービスを展開したいと考えている。 「配信ツールは、会社の機材があるので整っています。例えば、飲食店の店主にスタジオに来てもらって“今夜のテーブル席、まだ空いてます!”といった情報を発信してもらえたらと。事前に日にちを決めて、数万円の広告費を払ってもらうのではなくて、発信したいときに来てもらって、ワンコインでもいいから気持ちを収めてもらう。その方が、お互いに気持ちよくサービスを続けられると思うんです」 目指すところは、この仕組みがうまく循環し、店主たちにとって“商売しやすいまち”となることだ。そのためにも、できるだけ気軽に立ち寄れるよう、普段から誰でも自由に出入りできるフリースペースも設ける。偶然ではあるが、情報発信拠点は地域の方が立ち寄りやすい場所にあるという。 「『くじら亭』という焼鳥屋があるんですけど、地元のみんなのたまり場みたいな場所なんです。縁があり、お店のすぐ隣の物件を借りられることになって。大将とは20年来の付き合いで、常連さんたちとも顔馴染み。これから地元の皆さんとの縁をより大切にしていきたいですね」 矢板への想い 「当面は2拠点生活を続けることになりそうですが、いずれは矢板を軸にという思いはあります。その時に、もっと矢板を生活しやすいまちにしたいと思っていて。そのために今種撒きをしている感じですね」 まずは情報発信拠点を稼働し、多くの人に利用してもらえるようにする。地元で商売をしている人だけでなく、移住者やテレワーカーなど、さまざまな人が交流し情報交換できる場になれば、と考えているという。 またぶどう園についても、まだまだやりたいことはたくさんある。現在、ぶどうジュースは道の駅や直売所で取り扱いをしているが、ワイン作り、ひいてはワイナリーへの夢は膨らむ一方だ。 「ワインで儲けたい。という訳ではなく、矢板市産のワインを作ることで地域を盛り上げるツールにしたいんです。ワイナリーを作ることができたら、雇用を生むことだってできる。この地域に人を呼び、ここに暮らして一緒に矢板を盛り上げる人たちを増やしていきたいです」

農業で町を盛り上げる

農業で町を盛り上げる

柴 美幸(しば みゆき)さん

日常の風景に魅了されてこの地へ 小学生の頃から「カメラマンになりたい」と考えていたという柴さん。栃木県内の高校を卒業し、都内の写真専門学校へ。その後、カメラマンとして様々な分野で経験を積み、30歳で独立した。 「仕事は順調でしたが、帰って寝てまた仕事という日常。例えば“趣味は?”と聞かれても答えられなかったんです。それって幸せなのかな・・・と考えてしまって。写真を撮るのは好きなのに、なんか違うなって。そんな時、市貝町役場に勤める友人に誘われて初めて市貝町を訪れました。それが転機になったんです」 目にしたのは観光名所でもオシャレなお店でもなく、市貝町の日常の風景。しかし、ありのままの里山の景色こそが、柴さんの心をとらえた。 「当時の働き方や今後の生き方についてその友人に相談した際に、“移住して仕事も栃木でしたいなら、地域おこし協力隊という制度もあるよ”と教えてもらいました」 “自分が身を置きたい場所で、やりたいことができそう”と感じ、協力隊として栃木県へ戻ることを決意。2017年10月、市貝町の地域おこし協力隊としての活動がはじまった。 町のみんなに喜んでもらえることを 活動内容はフリーミッションだったので、自身の武器である写真を軸に、観光プロモーション、観光協会会員向けの特産品の撮影、町民向けの写真講座などに携わった。写真を通じて、町のことを良く知ることができ、町民の方と広く知り合えるきっかけにもなったという。 「ただ、これまでプロとして働いてきたので、無料でいくらでも撮るよ、といった安売りはしませんでした。それによって仕事量の調整もできましたし、卒業後も継続して仕事をいただけているので、正しい判断だったと思います」 プロとしてのマインドを持って活動していた柴さんだが、以前の働き方と大きく異なったのは“定時”という概念だった。 「仕事を終えて帰宅しても、夜なにもすることがなかったんです。ふと、町の子どもたちはどう過ごしているんだろう?と考えて。この町で何か楽しい思い出ができれば、きっと町が好きになるし、将来戻って来たくなるんじゃないかって思ったんです」 そこで思いついたのが、野外シアター。お盆休みやハロウィンの時期に、役場の前に広がる芝生広場に大きなスクリーンを張り、ファミリー向けの映画を上映した。 「人が来るのか不安でしたが、いざ上映時間になると、この町にこんなに子どもがいたの!?と驚くほど集まって。みんなの笑顔が今でも忘れられません」 悔しい思いを乗り越えて今がある 市貝町観光協会を拠点に活動することも多かった柴さん。その時、新たに着任した事務局長の存在がとても印象的だったという。 「次から次へと新しい試みをはじめられて、“この町が変わる”という予感をひしひしと感じました。私だけでなく、多くの町の人が期待しているのが、手にとるようにわかりました」 その試みのひとつが、市貝町の情報誌『イチカイタイムズ』の発行。柴さんも企画や撮影など全面的に取り組んでいた。 しかし、協力隊2年目の終わり頃、事務局長が退任することに。 「私がその役割を引き継いでいければ良かったのですが、その時はまだ力が及ばず・・・。せっかく町全体の機運が高まっていたのに、みんなが落胆してしまいました。その後『イチカイタイムズ』の発行も打ち切り。本当に悔しかったです」 任期中、ゲストハウス運営にも真剣に取り組んだが、断念した経験もある。 3年間という活動期間は、うまくいくことばかりではない。そんな時、柴さんは初心に戻り、カメラに没頭する。すると、また気持ちを持ち直し、次へのチャレンジに向かっていけるのだという。 「挫折も色々味わいましたが、活動を通して学んだのは、道は1つではないということ。選択肢はたくさんあるので、可能性があることには何でもトライしてみるといいと思います。違うと思ったらやめればいい。動けば、何かしら広がりはあるので、まずは動くことが大事ですね」 卒業後に広がった人とのつながりと農への道 市貝町は主要産業が農業であることから、農家さんとの交流も多かった。 「活動中に自分が直接農業に携わるという機会は少なかったですが、卒業後に農に携わるご縁をいただくことが増えました」 市貝町のグリーンツーリズム事業『サシバの里くらしずむ』の企画、道の駅の移動販売『ピックイート』の運営、隣接する益子町の農と食に関する広報物製作、農業生産や加工品生産に取り組む『YURURi』の活動など、協力隊の活動中につながったご縁や、やってみたかったことが卒業後に形となっており、その範囲は市貝町にとどまらず広がりをみせている。 「私の実家は栃木県真岡市でいちご農家をしています。出荷できないいちごの行き場を探っていた時に、農や食をテーマに別の町で協力隊として活動していた友人と『YURURi』というチームを結成し、いちごジャムを作りはじめました」 現在は益子町の畑を借りて、加工品の原材料となる農作物を作っている。 「夏場は畑の作業が多いのですが、そのとき必ず立ち寄るのが益子町にあるカフェ『midnight breakfast』です」 畑からほど近く、コーヒースタンドなので気軽に入りやすい。何より、店主の早瀬さんは元地域おこし協力隊員で、柴さんの幼なじみでもある。お互い一度は県外に出たが、時を経て再び益子町で交流を深めている。 お店ではできるだけ地元産の食材を使用していることもあり、農作物の話や畑の進捗など、作業の合間のお喋りを楽しむのが日課となっている。 そして市貝町で無農薬・無化学肥料で育てた野菜や果物でジャムやピクルスを作る『ぴーgarden』さんとも、協力隊卒業後に、より交流が深まったという。 「『YURURi』で加工品を作るにあたり、いろいろ相談に乗ってもらいました。そうするうちに仲良くなって、今では何か悩んだり、話を聞いてもらいたいときにふらっとお茶しに来てます」 ちょっとした息抜きの時間が、新たな活動のヒントになったり、新たな人とのつながりが生まれることも。柴さんにとって、とても大切な時間となっている。  

MEMBERS

県内で活動する協力隊

長岡 周平

長岡 周平

先輩の武田隊員と協力して地域のプロモーションや市内の活性化などをやっていきたいと思います! また、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を活かして活動もしていきたいと考えています。 今後ともよろしくお願いします!

武田 真悠香

武田 真悠香

WEB制作やデザイン、動画制作など自分のスキルを活かしながら、市町の方と一緒に町の魅力を感じて頂ける企画に取り組みたいです!また、地域活動やプロモーションに関心のある方とご縁があると嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

林田 恭三朗

林田 恭三朗

綺麗な水や雄大な山が見える田んぼ、そして人々の魅力に惹かれて移住しました。 今後は、都会に住んでる方でも気軽に来て「田舎」を楽しめる環境を創る活動をしていきます。

FLOW

地域おこし協力隊になるには

自治体の募集情報を確認 FLOW1

気になる自治体へ申し込み FLOW2

選考後、採用決定! FLOW3

委嘱状の交付 FLOW4

住民票を異動し、活動スタート! FLOW5

地域おこし協力隊
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RECRUIT INFO

協力隊の募集情報

【日光市】地域おこし協力隊インターン募集中!(森林整備促進業務)

【日光市】地域おこし協力隊インターン募集中!(森林整備促進業務)

日光市では、令和6年4月から活動する地域おこし協力隊「候補者」として、実際に担う活動(ミッション)や日光市での暮らしを体験しながら、日光市での活動が自分にマッチするかどうかをイメージしていただくために、「インターン」を実施します。 インターン終了後は、本人の意向及び選考により、令和6年4月から地域おこし協力隊として最長3年間、インターンと同様の業務で活動していただきます。 詳細は、募集要項をご確認ください。(ページ下部のURLから日光市公式ホームページの募集ページへ!)

【日光市】地域おこし協力隊インターン募集中!(観光振興・誘客宣伝業務)

【日光市】地域おこし協力隊インターン募集中!(観光振興・誘客宣伝業務)

日光市では、令和6年4月から活動する地域おこし協力隊「候補者」として、実際に担う活動(ミッション)や日光市での暮らしを体験しながら、日光市での活動が自分にマッチするかどうかをイメージしていただくために、「インターン」を実施します。 インターン終了後は、本人の意向及び選考により、令和6年4月から地域おこし協力隊として最長3年間、インターンと同様の業務で活動していただきます。 詳細は、募集要項をご確認ください。(ページ下部のURLから日光市公式ホームページの募集ページへ!)

【日光市】地域おこし協力隊インターン募集中!(移住・定住推進業務)

【日光市】地域おこし協力隊インターン募集中!(移住・定住推進業務)

日光市では、令和6年4月から活動する地域おこし協力隊「候補者」として、実際に担う活動(ミッション)や日光市での暮らしを体験しながら、日光市での活動が自分にマッチするかどうかをイメージしていただくために、「インターン」を実施します。 インターン終了後は、本人の意向及び選考により、令和6年4月から地域おこし協力隊として最長3年間、インターンと同様の業務で活動していただきます。 詳細は、募集要項をご確認ください。(ページ下部のURLから日光市公式ホームページの募集ページへ!)

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一般社団法人移住・交流推進機構が運営するニッポン移住・交流ナビ「JOIN」では、地域おこし協力隊に関する基礎知識から募集情報、インタビューまで、知っておきたい情報をまとめて発信しています。
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