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20代

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大好きな温泉を通じて、地域を元気に

大好きな温泉を通じて、地域を元気に

水品沙紀さん

初めてのアルバイトも、卒論のテーマも「温泉」 「私が温泉に興味を持ったのは、旅行好きな母親の影響が大きくて。休日には、家族で温泉をはじめさまざまな場所へ出かけていたんです」 そう話すのは、2年間閉館となっていた日光市中三依にある「中三依温泉 男鹿の湯」を、25歳の若さで復活させた水品沙紀さん。千葉県出身の水品さんは子どものころから温泉が大好きで、高校2年生のときには、近所の温泉施設に「働かせてください」とメールするほどだったという。実際には受験が終わり大学へ進学してから、その温泉施設でアルバイトをスタート。このころから日本の名湯百選を巡り始め、現在までに国内外1000カ所以上の温泉へ足を運んだ。さらに、卒論のテーマも温泉。まさに筋金入りの温泉好きだ。 「私は、大衆演劇も好きで。健康ランドで公演することが多い大衆演劇の役者になれば、いろいろな温泉施設を知ることができ一石二鳥だと思い、ある劇団に体験入団して、岡山や福島の温泉施設を巡ったこともあるんです」 大学を卒業後は、埼玉県内を中心に温泉施設を運営する会社に就職。温泉施設で働きながら、運営や経営についても学んだ。そこで2年半働くなかで、「自分の目線で温泉施設を運営したい」「泉質のいい場所で施設を持ちたい」という思いが大きくなっていった。そんなとき、SNSで「男鹿の湯 オーナー募集」の記事を目にする。水品さんはすぐに連絡を取り、男鹿の湯へ向かった。 地元の人の温かさと、のどかな環境にひかれ中三依へ 2015年9月、初めて中三依を訪れた水品さんは、ひと目でここの雰囲気が気に入った。 「男鹿の湯から歩いて3分ほどにある無人駅をはじめ、チェーン店がなく個人商店がぽつぽつと続く様子など、のどかな町の雰囲気に一目ぼれしました。温泉の裏にある男鹿川(下写真)の水も本当にきれいで。ここは観光地ではないですが、古き良き里山の風景がそのまま残っている。きっと都会に暮らす人の中には、こうしたのどかな環境でゆったりと過ごしたいという人も多いのでは、と思ったんです」 こうして「男鹿の湯 オーナー募集」に応募した水品さんだったが、一番不安だったのは、ボイラーなどの機械がちゃんと動くのか、修理にどのくらいのお金がかかるのかということだった。それを業者に調べてもらうとしていたちょうどその頃、豪雨が発生し、風呂場と機械室が泥水に浸かってしまった。 「大変な状況の中、地元の方々が集まり、泥の撤去作業を手伝ってくださいました。みなさんの温かさ、この温泉を大切にしたいという思いに触れて、なんとしても復活させたいと思ったんです」 そこで水品さんは、クラウドファンディングを活用して資金を集め、機械や内装を修復。そんな開店準備を、家族や友人をはじめ、地元の人たちも手伝ってくれた。営業許可申請も無事にクリアし、2016年4月、ついに「男鹿の湯」を復活させた。 この地域ならではの魅力を生かした、新たなプランを 「男鹿の湯」には温泉施設のほかに、コテージやバーベキュー場、キャンプ場が併設されており、水品さんはすべての運営を手がけている。オープンした当初は、日帰り温泉の利用者が大半だったが、ホームページなどで、中三依の魅力を発信するうちに、週末にはコテージが予約で埋まるように。 「できれば、ゆっくりと3泊ぐらい滞在していただきながら、美しい男鹿川や里山を散歩したりと、のんびり過ごしていただけたらと思っています」 温泉の1階には「おじか食堂」があり、水品さんの中学高校の同級生で、運営をともに手がける豊島さんが打った「十割そば」などが味わえる。そばは、100%地粉を使用。添えられた温泉を煮詰めた温泉塩をつけて食べると、よりそばの味と香りが引き立つ。また、「おじか食堂」ではお酒も提供していて、地元の人が集まる憩いの場となっている。 「自治会や消防団など、地域の集まりがあるたびにここを使っていただいて。地元のみなさんにも受け入れてもらえているのが、本当にありがたいなと思っています。今後は、渓流釣りやキノコ狩りなど、この地域ならではの遊びを学んだり、周囲の魅力的なお店と連携したりして、中三依をより楽しんでもらえる新たなプランを提供していきたいです」 さらに、将来的には温泉で病気を癒やしたり、仕事のパフォーマンスを上げたりと、日常的に“温泉の力”を活用するライフスタイルを広めていくことが目標だ。 「日本には都市部から離れているために、あまり利用されていない、いい温泉がたくさんあるんです。そんな極上の温泉を、より多くの人に楽しんでもらいたい。そのために、温泉情報の発信も手がけていけたらと思っています」

長く手元に置きたくなるデザインを

長く手元に置きたくなるデザインを

惣田紗希さん

より長く、その人の生活のなかにあるものを どこか切なく透明で、でも、奥底に強い意志を持っている。惣田紗希さん自身が“女の子”と呼ぶそのイラストをはじめて目にしたとき、そんなふうに感じた。 「この女の子は、誰でもなくて。描き始めたのは、あるコンテンポラリーダンスの映像を見たことがきっかけでした。同じ格好の女性が建物のなかでひたすら踊るシーンを目にしたとき、『体のラインがキレイだな』って思って。人の体を描きたいという思いから、半袖半ズボンになって、鼻と口が省略されていって……。最初は仕事とは別に、自分の日常の記録というか、考えを整理するために描いていたんです」 都内のデザイン事務所で、実用書などのデザインを手がけていた惣田さんは、2009年に退職。ちょうどその頃、友人に頼まれて「cero」というバントのジャケットデザインを担当したことをきっかけに、音楽関連のデザインを数多く手がけるようになった。仕事でイラストを描くようになったのも、CDジャケットがきっかけ。 「描きためていた“女の子”のイラストを、『ザ・なつやすみバンド』のメンバーが、『無機質だけどポップな雰囲気もあっていいね』と気に入ってくれて。ジャケットに女の子のイラストを描かせてもらったところから、キャラクターとして広まっていって。書籍や雑誌でのイラストの仕事も増えていったんです」 それまで、グラフィックデザイナーとして活動してきた惣田さん。イラストの依頼が増えるにつれて、「本業として経験を積んできたわけではないのに、自分がイラストレーターと名乗っていいのか」という葛藤もあった。 「でも、デザインの先人を見ると、自分でイラストを描き、デザインも手がけている人はけっこう多くて。どちらからの視点も、自分の仕事には大切な要素が多いことに気づいてからは、イラストの仕事も楽しくなってきました。今では、写真家やイラストレーターなど、いろんな人の力を借りて誌面をつくり上げるデザイナーの仕事も好きだし、イラストレーターとして誰かの力になることも面白いなって感じています」 現在、仕事の割合はデザインとイラストで半々。そのどちらの仕事をするうえでも、大切にしていることがある。 「音楽も本もデータで買える時代に、せっかくモノとして届けられるのなら、より長くその人の生活のなかにあり続けられるものをつくりたい。だから、『ジャケットを部屋に飾っています』『ブックレットを繰り返し読んでいます』などと言ってもらえたときは、本当に嬉しいんです」 惣田さんは、イラストを仕事で手がけるようになってから、1日1枚を目標にイラストを描き、SNSにアップしてきた。それられのイラストが韓国の出版社の目にとまり、『Waving Lines』という作品集として出版されている。 足利だからこそ生まれた、新たな作品 足利で生まれ育った惣田さんは、産業デザイン科に通っていた高校の頃、先生に『STUDIO VOICE』や『relax』などの雑誌を見せてもらい、デザイナーの仕事に憧れを持った。そして、桑沢デザイン研究所を卒業後、前述の都内にあるデザイン事務所へ。 「そこでは、グラフィックデザインの基本をみっちり学ばせていただきました。けれど、担当した本が、どんなふうに求められて、どんなふうに届いているのか分からないことが不安になって。一度デザインの現場を離れて、もう一度本まわりのことを勉強しようと思ったんです。本がお客さんの手に届く現場を見てみたくて、本屋さんで働いたこともありました。そのうちに、だんだん音楽関係の仕事が増えていって、フリーランスとして活動するようになりました」 それまで東京を拠点としていた惣田さんが、足利にUターンしたのは2013年春のこと。それ以降も、都内から依頼される仕事を中心に手がけている。 「都内で打ち合わせがあっても、足利からは特急で1時間、普通で2時間で行くことができるので、不便さはあまり感じません。むしろ東京にいなくても、自分で立てたスケジュールに合わせてのんびりと、面白い仕事ができることを日々実感しています」 自然が身近にある環境も、仕事にいい影響を与えてくれている。 「足利に戻ってからは、四季の移り変わりをはっきり感じるようになりました。例えば、仕事の息抜きによく散歩する渡良瀬川の土手も、季節によって緑の色が全然違うんです。それを記録するように描いていたら、自然と植物のイラストが増えていって。女の子と植物を組み合わせたイラストが、新たなテイストとして加わったんです」 若手作家が、気軽に作品を発表できる場所を足利に 2016年秋には、足利の「西門 -SAIMON-」というスペースで個展を開催。足利に戻ってから描きためた女の子と植物のイラストを中心に展示。紙だけでなく、木や布などの新たな素材にも挑戦した。 「木の絵を木材にレーザーで彫刻してみたり、風に吹かれる女の子を描いたイラストを布に落とし込んで、実際に布がゆれることで風に吹かれる様子を強調したり、いろいろな試みを盛り込みました」 20日間近くにわたり開催された個展には、「cero」や「ザ・なつやすみバント」のファンをはじめ、地元の若い人たちも多く足を運んでくれた。 「そんな子たちに話を聞いてみると、『足利には遊んだり、買い物したりするところがないから、市外や東京まで出かけている』という声が多くて。ちょっともったいないなって思いました。足利には『mother tool』さん(下写真)や『うさぎや』さんをはじめ、自家焙煎の喫茶店など、個性があって魅力的なお店や店主の方がたくさんいます。そんな足利の魅力を、もっともっと若い人たちに伝えていけたら」 現在、惣田さんは、共に受験した桑沢デザイン研究所を一緒に卒業し、同じフリーランスのグラフィックデザイナーとして足利にかかわっていこうとしている友人とともに、個展を開いた「西門」の活用法を考えるプロジェクトにも参加している。 「足利には本格的な美術品を扱う画廊はあるのですが、若手の作家が作品を発表できるところは少なくて。『西門』が若手の作家が気軽に展示やイベントを開催でき、若い人たちが立ち寄れたり、地元を離れている人が帰ってくるきっかけになるような場所にできればと考えています」

暮らしと仕事のつながりが楽しい

暮らしと仕事のつながりが楽しい

早川友里恵さん

のびやかな街の雰囲気にひかれて 「就活を始めたばかりの頃は、東京で働きたい、栃木に戻りたいといった希望はまだ明確にはなくて、当時は就職氷河期だったので、興味のある企業を必死になって受けていました」 そう話す早川友里恵さんは、宇都宮市の出身。茨城県の筑波大学で学び、就職活動では東京や愛知などにある食品メーカーを中心に回った。「岩下食品」を受けたのは新生姜やらっきょうなどのファンで、普段からよく食べていたからだという。 だんだんと選考が進み、どの企業に就職するのか、これからどこで暮らしていきたいかを真剣に考えたとき、頭に浮かんできたのは栃木市の街並みだった。 「岩下食品の面接の日に早く着いてしまって、蔵が残る巴波川沿いなど、栃木の街を歩いて回ってみたんです。そしたら、街の雰囲気がすごくゆったりしていて、荒物屋さんや駄菓子屋さんなどのレトロで懐かしいお店もあれば、おしゃれな飲食店などの新しいお店も充実している。とても暮らしやすそうな街だなって感じました。逆に、面接でよく訪れていた東京は、立ち並ぶビルの圧迫感などに疲れてしまうことが多くて。私には、実家にも近く、のびのびとした雰囲気のこの街が合っていると思ったんです」 また、岩下食品では、高校で美術部に入っていた頃から独学で覚えた、イラストレーターやフォトショップの技術をいかせそうだったことも、大きな決め手に。こうして早川さんは2011年4月に栃木にUターン。岩下食品で働き始めた。 “しんしょうがくん”のブログをきっかけに、新プロジェクトへ 入社後、商品企画部に配属になった早川さんは、プレゼン資料や商品のポップ、チラシの制作などを担当。商品PRを目的としたイベントの企画・運営なども手がけてきた。3年目からは、ウェブサイトの更新も行うようになり、大幅なリニューアルも担当した。 「更新をタイムリーに、内容も自社で自由に作り替えられるように、というのが会社の方針で。主要なところだけを制作会社さんにお願いして、あとは“HTML”や“CSS”について勉強しながら、なんとか自分たちでリニューアルを行いました」 その後、ネット通販も担当。入社5年目の現在では、サイトの運営だけではなく、得意先に納品に出かけたり、集金を行ったり、注文を受けてから商品を届けるまでのあらゆる仕事に携わっている。 そんななか、入社2年目から若手の先輩社員たちと一緒に、自発的にスタートしたのが「ちょっとそこまで新生姜」というブログだ。 「ブログの主人公は、私がフェルトで手づくりした“しんしょうがくん”というキャラクター。この“しんしょうがくん”と一緒に、岩下の商品を使ったメニューを提供してくれている飲食店へ出かけたり、イベント出店の様子をレポートしたり、栃木の街並みを紹介したり、私たち自身も楽しみながら200件以上の記事をアップしてきました。すると、『なんか面白いことをやっている若手がいる』と社長の目にとまり、新たにオープンするミュージアムのプロジェクトに参加させてもらえることになったんです」 小さな会社だからこそ、多くのことに挑戦できる ミュージアムとは、2015年6月に栃木市内にオープンした「岩下の新生姜ミュージアム」のことだ。館内には、商品に関する展示だけではなく、新生姜を使った料理が味わえるカフェや新生姜の被り物をかぶって記念撮影できるコーナーや、岩下漬けの体験コーナーなど、遊び心あふれるコンテンツが充実している。 「私は主に『新生姜の部屋』を担当しました。ここは人間サイズになった新生姜が暮らす部屋をイメージして、細部まで新生姜にまつわるネタを散りばめています。新生姜と恋人になった気分で、さまざまな写真が撮影できるフォトスポットです!」 このほかにも、新生姜の被り物の企画や館内にあるジンジャー神社のおみくじ、絵馬のデザインなどを担当。クリスマスなどのイベント時には、飾りつけなどもすべて自分たちで行っている。 「ミュージアムに来てくれたお客さまに『あの展示がすごく面白かった!』『初めてこの商品を食べたけど、おいしかった!』などの声をいただくと、ますますやる気がわいてきます。岩下食品の魅力は、大きな会社ではないので、いろんな仕事に携われるところ。自発的に動くことで、さまざまなことに挑戦できます」 どんどん広がっていく、街の人たちとのつながり 毎朝、自転車で会社に向かう早川さん。通勤時間はわずか10分ほど、渋滞や満員電車に悩まされることはない。一方、住まいから栃木市の中心部へは、歩いて10分ほど。休日には散歩がてら、雑貨店や飲食店などに出かけることも多いという。 「栃木市には、おいしい飲食店が多くて、先輩たちとよく通っている市内のリゾット屋さんがミュージアムの料理を監修してくれたり、ファンだった洋菓子店が新生姜のマカロンを提供してくれたり、暮らしと仕事がつながっているところが楽しいですね。仲良くなったお店の方と一緒に、イベントやライブに出かけることもあるんです」 また、ここ数年で栃木市の街中には、シェアスペース「ぽたり」や古道具と雑貨の店「MORO craft(モロクラフト)」など、若い人たちが営むお店が次々と誕生している。早川さんも、ぽたりで開催されているライブやワークショップ、飲み会などに参加。ぽたりをきっかけに知り合った大工さんが開催する、木工教室のサポートも行っている。 「ここ1、2年で、地元の友達が本当にたくさん増えました。今、栃木市では、同世代の若い人たちが地域を盛り上げようとさまざまな活動をしていて、街に活気があふれています。私も、さらにつながりを広げていきたい。そして、ウェブなどの得意分野をいかして、地域の活動にも積極的に関わっていきたいです」 早川さんにとってこの栃木の街は、仕事に打ち込む場所であり、普段の暮らしを楽しむ場所。さらに今では、新たな出会いが広がっていく大好きな場所に。

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