interview

30代

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人と人、技術と技術をつないでいきたい

人と人、技術と技術をつないでいきたい

中村 実穂さん・俊也さん

人や技術をつなぐ。新たな関係から生まれるものを 見る角度や動きによって表情を変える木枠や、まるで星座のようにつながる糸とスチール、円を描きながらやわらかに連なる真鍮など、さまざまな形や素材、技術を組み合わせて、美しいモビールをつくり上げるのは、栃木県足利市にある「mother tool」。さらにステーショナリーや暮らしの道具など、全国各地の工場やデザイナーたちと連携しながら、数多くのオリジナルプロダクトを手がけている。 代表の中村実穂さんは、足利市の隣町、群馬県邑楽町(おうらまち)の出身。都内の短大を卒業し、インテリア・家具デザインの専門学校に進んだあと、両親が営んでいた組み立て工場を継ぐために地元へ戻ってきた。 実穂さん:「じつは親戚中に説得されて、しぶしぶ工場を継ぐ決心をしたんです。当時、主に手がけていたのはパチンコ台を組み立てる仕事。深夜までかかって何千台と組み立てる日もあれば、ぽっかりと数日空くこともある。納期が厳しく仕事に波があるうえ、依頼先からは『代わりの工場はいくらでもある』といわれることもあったりして、この仕事を続けていく意味が、なかなか見いだせなかったんです」 そんな状況のなか、実穂さんと俊也さんの心の中では「自らの手でものづくりをしたい」という思いが膨らんでいった。実穂さんはとにかく一歩を踏み出そうと、専門学校時代の先生である家具デザイナーの村澤一晃さんのもとへ相談に。そのとき村澤さんがかけた「組み立ては、パーツとパーツをつなぐのが仕事。その“つなぐこと”を意識してものづくりに取り組んでいったらいいのでは」という言葉によって、これからやるべきことが見えてきたという。それから実穂さんは、足利をはじめ、岐阜や徳島、福井、東京などの工場を見学したり、気になるデザイナーに会いに行ったり、全国各地を巡った。 実穂さん:「いろいろな方にお会いするなかで、それぞれの工場、デザイナーさんが得意とする分野や技術が分かってきました。その良さをより引き出す形で、人と人、技術と技術をつないでいきたい。それこそが、組み立て屋である私たちの役目だと思ったんです」 モビールは“組み立て屋”の腕の見せどころ 2006年2月にmother toolを設立し、最初に手がけたのが「木とアルミ」のシリーズだ。足利では戦前の飛行機から現在の自動車部品まで、アルミなどの金属加工が盛ん。その技術を代表するのが、ロクロのように回転する板状のアルミに、ヘラを押し当てながら形をつくる“ヘラ絞り”という職人技だ。 実穂さん:「熟練の職人さんが手仕事で生み出すパーツの誤差はほんのわずか。丁寧につくられた強固なアルミに、木目や色味など樹種のよさを引き出すことに長けた徳島の『テーブル工房 kiki』さんの木のパーツを組み合わせることで、やさしさもあわせ持ったステーショナリーをつくることができました」 その後、2011年にモビールづくりを始めたのは、村澤さんの「モビールをつくってみない?」という、何気ない一言がきっかけだった。モビールが大好きだったという実穂さんは「ぜひつくってみたい!」と、モビールをはじめプロダクトデザインを手がけるユニット「DRILL DESGIN」に相談。すると、「せっかくならオリジナルのモビールブランドを立ち上げよう」とDRILL DESGINが快くディレクションを担当してくれた。こうしてモビールブランド「tempo」が誕生。5人のデザイナーによる9種類のモビールに、いまではmother toolのオリジナルをくわえ10種類を展開。海外でも取り扱われるほど注目を集めている。 工場では俊也さんが、デザイナーが手がけた図面や模型をもとに試作を行い、どのスタッフが組み立てても均一なモビールになるよう、工程ごとのマニュアルや、パーツ・工具の作業位置を示す器具づくりなどを行っている。 「モビールは、各パーツをテグスなどでつないで組み立てていきます。そのとき、パーツとパーツの距離や角度が少しずれるだけで、せっかく職人さんがいいパーツをつくってくれても、表情や雰囲気が台無しになってしまう。モビールづくりは、まさに“組み立て屋”の腕の見せどころなんです」 さらに、実穂さんが続ける。 実穂さん:「モビールには金属や木、樹脂、ガラスなどさまざまな素材が使われます。そのため、いつか一緒にものづくりができたらと思っていた多くの工場と、新たに仕事ができるようになりました。モビールの展開を始めたことで、よりmother toolらしいものづくりができるようになったと感じています」 足利の地で育まれた技術や人を活かして 足利学校のほど近く、石畳の通りに面した建物に、2009年mother toolのお店がオープンした。「ものをつくるだけではなく、使う人に直接届けたい」「つくり手の思いや背景を伝えることで、つくる人と使う人をつなぐ役割も果たしていきたい」との思いから、店内にはmother toolの道具だけではなく、つながりのあるデザイナーや工場のプロダクトも数多く並べられている。さらに2014年には、工場も足利市内に移転。その理由は、足利にはさまざまな技術を持った工場が集まっているからだという。 俊也さん:「足利では金属加工だけでなく、古くから繊維業も盛ん。フットワークの軽い小規模な工場が多く、ありがたいことに、私たちと一緒に楽しみながらものづくりに取り組んでくださる工場も増えています。何か相談ごとがあれば、すぐに会いに行ける距離。雑談のなかから新たなアイデアが生まれることもあるんです」 実穂さん:「歴史ある建物が点在している足利の石畳エリアは、散歩をしていてとても気持ちがいい。のびやかな雰囲気が気に入っています。屋台をはじめ、おいしいコーヒー屋さんや個性あふれる飲食店など、個人が営む小さなお店が多いのも魅力ですね」 そんな足利の魅力を多くの人に知ってもらいたいと、実穂さんは地域づくりの団体「いしだたみの会」のメンバーとして、石畳エリアの魅力を伝える冊子「TALIRU」の制作にも携わっている。 「今後は足利に息づく技術をさらに掘り起し、新たなプロダクトとしてその魅力を発信していきたい」と考える二人。 地域で育まれた技術や人の強みを活かし、ほかの産地の素材や技術と組み合わせることで、新しい価値をつくり出す。mother toolのプロダクトは、東京などの大都市でなくとも面白いものづくりができること、地域に根ざしているからこそ生み出せるものがあることを気づかせてくれる。

誰かが一歩を踏み出すきっかけになる場を

誰かが一歩を踏み出すきっかけになる場を

辻井 まゆ子さん

鹿沼の魅力的な人たちにひかれ、4日で移住を決意 「時間があるなら、ぜひ鹿沼へ行ってみたら!」 そうすすめてくれたのは、日光にあるゲストハウス「巣み家」のオーナー夫妻だった。旅行で日光を訪れていた辻井さんは、その言葉をきっかけに鹿沼へ立ち寄ることに。ちょうどその日は、ネコヤド商店街というマルシェの開催日。鹿沼にお店を構える若いオーナーや作り手たちが出店し、街は多くのお客さんで賑わっていた。 「じつは、初めて足を運ぶまで、鹿沼のことはまったく知りませんでした。鹿沼は観光地などではない、いわば普通の街。けれど、魅力的な人がたくさんいることに驚いたんです」 魅力的な人とは、マルシェに出店していた若い人たちだけではない。この日、辻井さんは、鹿沼で16年続く「CAFE 饗茶庵」のオーナー・風間教司さんと知り合い、街を案内してもらった。すると「どこから来たんだい?」と、街の人たちが気さくに声をかけてくれた。 「この街で商売を続けている方や、地元の祭りに登場する彫刻屋台(山車)を手がける職人さんなど、長年鹿沼に住んでいる人のなかにも魅力的な人がたくさんいて。風間さんをはじめ若い人たちと一緒に、街を盛り上げようとしている様子が伝わってきました。そんな温かい人のつながりや、何か楽しいことが起こりそうな街の雰囲気に強くひかれたんです」 その後、京都に戻った辻井さんは、仕事で奈良に来ていた風間さんと再会。「鹿沼に移り住みたい」という決意を伝えた。なんと、初めて鹿沼を訪れてから4日後のことだった。 誰かが一歩を踏み出す、きっかけになる場所を 神戸の大学を卒業後、辻井さんは2年ほど京都・大阪にあるカフェやパン屋で働いてきた。けれど、「将来こうなりたい」という明確な目標はなかったという。それが、鹿沼を訪れたことで「ゲストハウスを開く」という目標が見えてきた。 「初めて鹿沼を訪れた日、楽しかったこともあり、あっという間に夕方に。鹿沼に泊まろうとしたのですが、宿泊施設がほとんどなくて、そのとき『ゲストハウスがあったらいいのに』『ゲストハウスを開いて、自分がひかれた鹿沼の人たちのことを多くの人に紹介したい』と思ったんです」 また、日光の『巣み家』に宿泊したことも、大きなきっかけとなった。 「私は、『巣み家』のオーナー夫妻に鹿沼のことを教えてもらったから、ここへ来ることができた。そんな、誰かが一歩を踏み出すきっかけになるような、ゲストハウスをつくりたいなって思ったんです」 オープン前から広がった、つながりの輪 2013年5月から2カ月間、「巣み家」で修業をした辻井さんは、鹿沼市観光物産協会の臨時職員を経て、風間さんのもとで働き始めた。その間も1年にわたり物件を探し続け、ようやく旅館だったこの物件と出会った。 「大家さんは、江戸時代から続いていた旅館をやむなく閉めた経験から、『ここで宿をやるのは、なかなか難しいよ』と首を縦にふってくれませんでした。それでも諦めきれずに何度もお願いにいくと、『そこまで決意が固いなら』と大家さんが了承してくれて、1年越しで貸していただけることになったんです」 2015年3月、作業が始まった建物には、多くの人たちの賑やかな声があふれていた。この日、現地では鹿沼に事務所を構える一級建築士の渡辺貴明さんに協力してもらいながら、平面図をつくるワークショップが開催された。 辻井さんは準備段階から多くの人に参加してもらおうと、風間さんとともに「日光例幣使街道・鹿沼宿旅館再生プロジェクト」を立ち上げ、掃除や壁紙はがし、ペンキ塗りなど、さまざまなワークショップを開催。街の人たちや鹿沼を出て首都圏で働いている人など、たくさんの人たちが協力してくれた。 「いつもお世話になっている鹿沼のおじちゃんやおばちゃんが差し入れを持ってきてくれたり、『巣み家』をはじめ、県内や秩父のゲストハウスの方が応援に来てくれたり、人の輪がどんどん広がっていくのが本当に嬉しかった。消防法の申請などの高いハードルも、なんとしても乗り越えなければと思ったんです」 目標は、鹿沼のファンを増やすこと 開店準備が佳境に差しかかったころ、ゲストハウスの名を「CICACU(シカク)」と決めた。“CI”は“Civic”で鹿沼の人たちを、“CA”は“Cabin”でゲストハウスに泊まる旅行者を、“CU”は“Culture”(文化)や“Curation”(共有・編集)を意味している。 「私はCICACUを、単なる宿泊施設ではなく、地元の人や旅行者が集まれる場所にしていきたい。いろいろ人たちが集い交流するなかで、鹿沼の伝統や文化が受け継がれつつ、新たな文化が生まれ発信されていくような場所に」 そこで、CICACUの2階にある大広間をレンタルペースとして開放。オープン前から、すでにヨガ教室や料理教室、音楽ライブなどが開催されている。 「これからも珈琲ドリップ教室や映画上映会など、さまざまなコンテンツを増やしていく予定です。ときには鹿沼の人が先生になったり、旅行者が主催者になったり、学びやイベントを通じて多くの人が集い、つながる拠点にできたらと思っています」 さらに、鹿沼で自転車の卸を手がける大倉ホンダ販売に協力してもらい、CICACUのオープンに合わせて「レンタサイクル」も始める予定だ。 「ぜひ自転車に乗って、鹿沼の郊外へも出かけてほしい。郊外には豊かな自然や田園風景が広がり、農業を頑張っている若い方や田舎暮らしを楽しんでいる移住者がいます。一方で、鹿沼の街中にも魅力的な方がたくさんいる。CICACUに2泊、3泊しながら、ゆっくり両方の魅力に触れてもらえたらと考えています」 さらに、辻井さんは続ける。 「鹿沼のいちばんの魅力は、街の人たちの温かさ。新しい何かを始めようとする人を、たくさんの人が応援してくれます。CICACUに宿泊したり、教室に参加したり、街の人とふれ合ったりするなかで、鹿沼に移り住んでみたい、ここで新しいお店や仕事を始めたいという人が増えていったら、何よりも嬉しい!」 春の足音が近づくころ、鹿沼の街にCICACUはオープンする。鹿沼に旅へ出かけたときはもちろん、カフェを訪れたとき、「ネコヤド商店街」に遊びにきたときなどに、ぜひ気軽に立ち寄ってみてほしい。新たな出会いや発見に満ちた、その場所に。

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