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▼12月2日「もしも地域で暮らす人・想いを発信し繋げるライターが塩谷町にいたら ~地域おこし協力隊募集イベント~」を開催しました。

▼12月2日「もしも地域で暮らす人・想いを発信し繋げるライターが塩谷町にいたら ~地域おこし協力隊募集イベント~」を開催しました。 | セミナー・フェア

塩谷町の紹介や募集に至った経緯の説明、そして地域で活躍しているゲストを交えてのトークセッションもあります。

こちらを見て頂ければ、より塩谷町に興味が湧いてくるはずです!!

ぜひ一度ご覧になってください。

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ご応募お待ちしています。

応募期間:令和4年11月1日~令和4年12月28日

活動業務:地域づくりライター兼移住コーディネーター
募集人数:1名
活動地域:塩谷町全域
募集条件:
・まちの人の想いに共感を寄せられるひと
・人やまちの魅力を伝えることが好きなひと
・文章を書くことが好きなひと
・「なぜだろう?」と疑問を持ったらとことん知りたくなってしまう人
・自分の話をするのは苦手だけれど、人の話を聞くのが好きな人
・人の相談に乗ることが好きな人

 

詳しくは、

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https://www.town.shioya.tochigi.jp/info/1982

塩谷町について

塩谷町

栃木県の中央よりやや北部に位置する塩谷町。
鬼怒川温泉日光、那須・塩原温泉といった観光地に囲まれています。

北部には日光国立公園の一部である高原山(活火山)がそびえ、その中腹から名水「尚仁沢湧水」が流れ出ています。
一級河川である荒川と鬼怒川が町の東西を囲みながら南流しており、豊かな水と良質の土壌により古くから農業が盛んな地域です。

塩谷町の先輩移住者の声

Uターン起業で挑む、 <br>小さなまちの大いなる可能性<br>を引き出すまちづくり

Uターン起業で挑む、 小さなまちの大いなる可能性を引き出すまちづくり

高塚 桂太(こうつか けいた)さん

世界を見た末に選んだ、人口1万人のまち バックパッカーとして世界中を旅し、フィリピンへの1年間の交換留学を経験するなど、大学在学中、精力的に活動していた高塚さん。外務省管轄の独立行政法人に内定し、卒業後はタイで日本語教育の普及に携わる予定だった。 そんな矢先、世界中を新型コロナウイルスのパンデミックが襲う。国内待機が言い渡された高塚さんは、卒業後、東京のゲストハウスで働きながら渡航を待つことに。だが、一向に目途が立たない……。先の見えない日々の中で、高塚さんは自身のキャリアを見つめ直した。 「これからどうしていきたいのか、何をしたいのか。考えた末に、地元である塩谷町に戻ろうと決意しました」 内定を辞退し、Uターンを決めた高塚さん。その背中を押したのは、地元の幼馴染や応援してくれる地域の大人たちだった。 「大学時代からローカルスタートアップに興味があって、地域への感度は高かったんです。幼馴染たちと『何か面白いことができないか』と話し合い、イベントを企画したり地元の人たちとつながったりできるようなコミュニティスペースをつくろうというアイデアが生まれました」 栃木県塩谷町。人口約1万人の、県内でもっとも人口の少ない小さなまちだ。世界を見てきた高塚さんが、このまちを選んだ理由とは。 「この規模感だからこそ、できることがたくさんあると思いました。自分が表現したいこと、やりたいことが実現できる場所だと」 小さなまちだからこそ、自分たちの手でゼロから何かを生み出せる。その可能性に魅力を感じた高塚さんは、新たな挑戦への第一歩を踏み出した。 サウナから始まる、まちづくりの物語 Uターン後、高塚さんは早速、コミュニティスペースづくりに取り組み始めた。しかし、右も左もさっぱり分からない。それでも、夢やビジョンを伝え続けることは忘れなかった。 「ある日、コミュニティスペースづくりの進め方について地元の事業者さんに相談すると、『資材やお金は全部用意するから、君は仲間だけ集めてくればいい。任せなさい』と言ってもらえて。その後も、私のビジョンに共感する方が集まり、気づけば100名近い方が関わってくださいました」 こうして誕生したのが、コミュニティスペース「Step One」だ。ここを拠点に、高塚さんたちの活動は大きく広がっていく。 「塩谷町を面白くするための『地域会議』を開いたり、『朝サウナ』を実施したり。朝サウナはまさに裸の付き合い。朝6時に河原に集合して、サウナでまちの未来について語り合うんです」 朝サウナには、地元の若者のほか、役場の課長クラスの方たちも集まった。ここから生まれたアイデアは、次々と実現していく。 「町営キャンプ場を貸し切ってサウナフェスを開催したり、さまざまなプロジェクトが生まれました。サウナで語った想いに共感してくれた人たちが、今は当法人の役員になって日々の業務を支えてくれています」 高塚さんは、自分の想いや迷いすらも正直に伝えることで、周囲の支援を得てきた。 「分からないことや困っていることは、言葉にして伝えるように心がけています。ビジョンは描いているけれど、そこに至る道が見えない。そう正直に伝えると、多くの方が助けてくれます」 高塚さんの熱い想いが大きなうねりとなり、小さな塩谷町でのまちづくりが動き出していった。 設立間もなく、塩谷町の地域活性化を担う存在に コミュニティスペース「Step One」で実績を重ねた高塚さんは、2023年4月にまちづくり会社「ローカルキャンバス」を設立した。主な事業は、塩谷町役場からの地域活性化に関する受託業務だ。地域おこし協力隊の伴走支援や関係人口の創出、高校生の地域定着促進に関する事業などを展開している。 「『朝サウナ』で築いた人間関係が、今の事業にもつながっています。振り返ってみても、ビジョンを伝え続けることの大切さを実感しますね」 高塚さんの学びへの姿勢は貪欲だ。全国各地の地域創生の現場を巡り、さまざまな事例やノウハウを吸収してきた。 「イベントの収益を握りしめて、多くの市町村を訪れました。現地のトッププレーヤーに会って話を聞いたり、人脈を広げたりという経験が今の仕事の糧になっています」 ビジョンの発信、積み重ねた実績、そして現場で得た確かな知識。これらが、ローカルキャンバス設立からわずか1年足らずで、想いを形にする原動力となっている。 高塚さんが現在、特に注力しているのが地域おこし協力隊の伴走支援だ。 「『チャレンジできるまちづくり』が、私たちローカルキャンバスの使命です。新しいことを始めるには、時に苦しくとも走り続けなければならないこともあります。そんな時もともに走り続け、安心して挑戦できる環境を整えることで、新たな取り組みを促進していきたいと考えています」 ローカルキャンバスは、高校生向けの郷土愛育成プログラムにも取り組む。 「子どもたちが普段関わるのは、たいてい親か学校の中の人だけですよね。でも、地域には魅力的な大人や、自分の想いを表現している事業者さんがたくさんいます。そういう方たちとの出会いの場を設けることで、子どもたちの視野を広げていきたいです。子どもは大人の背中を見て育つものだと思っているので、地域の大人たちがワクワクしながら仕事をしている姿を見て欲しいですね」 高塚さんの活動は、塩谷町に新しい風を送り込んでいる。挑戦する人を増やし、地域全体で新たな取り組みを推進する。そんな高塚さんの想いが、確実に実現化しつつある。 小さなまちで見つけた大きな可能性 Uターンした高塚さんにとって、塩谷町の見え方はどのように変化したのだろう。 「子どもの頃は正直、『何もない』と感じていました。でも大人になった今は『余白がある』と捉え直せています」 この「余白」こそが、クリエイティブな活動の源泉になっているという。東京では常にサービスを受ける側だったが、ないものが多い塩谷町では、自分たちで作り出す必要がある。そこに楽しさがある。人口約1万人の小さなまちに、高塚さんは無限の可能性を見い出している。 「完成されていないからこそ、自分が関わる余地があります。それが塩谷町の最大の魅力だと思います」 人とのつながりも、塩谷町ならではの魅力だという。 「顔を合わせれば自然と挨拶ができたり、突然焚き火の誘いが来たり(笑)人との温かいつながりが豊かな暮らしを形成しています」 さまざまな年齢層の方と交流できることも、大きな特徴だ。 「都会ではどうしても同世代の人たちだけと関わりがちですが、私が塩谷町で日々関わるのは、小学生に30代のママ、40代のイケオジ、60代の人生の大先輩と、本当に幅広い年齢層の方たちです。多様なコミュニティとのつながりが、自己表現の幅を広げてくれています」 都会と比較すると塩谷町には「完成されたもの」は少ないかもしれない。しかし、何でも「創り出せる環境」がある。自分で何かを生み出したい、新しいことに挑戦したい人には最適な環境だといえるだろう。 塩谷町を「チャレンジできるまち」へ 今や塩谷町の未来をリードする高塚さん。Uターンして良かったと感じる点を尋ねると、即座に答えが返ってきた。 「大切な仲間ができたことですね。切磋琢磨しながらともにプロジェクトを進める仲間、わいわいとプライベートを楽しめる仲間、辛い時に支えてくれる仲間……。仲間と過ごす一瞬一瞬がとても楽しくて温かくて、彼らとの出会いは私にとってかけがえのない財産になっています」 素晴らしい仲間に囲まれる高塚さんが思う、仲間づくりの秘訣は、弱みをさらけ出すことだという。ビジョンを発信することはもちろん大切だが、かっこつけず、ありのままの自分を表現することで、頼れる仲間ができる。 塩谷町を舞台に、挑戦を続ける高塚さんの今後の抱負は―。 「塩谷町をチャレンジできるまちにすることです。地域おこし協力隊や移住者など、新しいことを始めようとしている方たちの背中を押し、支援していきたいです。塩谷町には、温かさがある一方で田舎ならではの厳しさもあります。困難に直面しても、何としてでも前に進む。その覚悟を持って、地域と共に成長していきたいですね」 最後に、塩谷町の可能性について語ってくれた。 「塩谷町は栃木県で一番人口の少ないまちです。小さなまちだからこそ、アイデア次第でどうにでもできる。支えてくれる仲間もたくさんいる。塩谷町は表現の場として最高の環境です。この環境を活かして、塩谷町をもっと面白いまちにしていきたいです」 高塚さんの挑戦はまだ始まったばかり。情熱と行動力で塩谷町に新たな風を吹き込む彼の描く未来図が、この小さなまちをどう変えていくのか。高塚さんの活動とともに、塩谷町の変化にも注目が集まりそうだ。

創造力育む、</br>「余白ある」暮らし

創造力育む、「余白ある」暮らし

天谷 浩彰(あまや ひろあき)さん
渡部 幸恵(わたべ ゆきえ)さん

「ゆっくりできる」その本当の意味を理解した 移住前、職場の関係で、塩谷町が持続可能なまち「オーガニックビレッジ」を目指していくという話を聞き、約30名とともに塩谷町に足を運んだ。 訪れたのは冬。どうしてもいきいきとした印象は受けない。 「正直、第一印象としてはピンと来ませんでしたね」と浩彰さん。 同じく視察に来ていた元同僚で友人のともちゃんが塩谷町に移住したのは、視察からわずか2、3ヶ月後のことだった。ともちゃんが移住したことで、浩彰さんと幸恵さんのお二人は月に1回ほど塩谷町に遊びに行くようになり、まちへの印象も徐々に変わっていった。 人の数や時の流れ。体がついていけないほどに、塩谷町と首都圏ではまったく異なっていた。 「ゆっくりできるとは、こういうことか」塩谷町での滞在中、その意味を感覚的に味わった時、塩谷町への移住は着実に近づいていた。 そもそもお二人には「家族と動物たちがゆったりと豊かに暮らせる"楽園"をつくる」という構想があった。周りが木々に囲まれた野球場ひとつ分ほどの土地。畑や田んぼもあって、動物たちが自由に走り回れるような……。そんな舞台を求めていた。 長野県の安曇野市や伊那市、南箕輪村なども訪ねたが、まちの雰囲気、そして人のおもしろさに惹かれたのが塩谷町だった。 「都内の大学に在学中にバックパッカーとして旅をして、タイで働く予定だったんですが、コロナの影響で塩谷町にUターンしたけいちゃんという若者がいて。彼からまちづくりへの想いを聞いて、『こういうことを考えている若者が住む塩谷町はおもしろくなるな』そんな直感がありましたね」と浩彰さん。 まちづくりに取り組む若者との出会いもあり、塩谷町への移住を決めた。 懐に飛び込めば、あっという間に心が通う まちづくりについて熱く語ってくれたけいちゃん、「竹細工をやってみたいな」という幸恵さんの一言で竹を切り、竹細工を教えてくれた友人宅の大家さん。 「気持ちの通い方が早いっていうんですかね……。みんなあったかいし、人懐っこい。スピーディにコトが進むというか」 新しい土地、特に田舎での移住生活。人付き合いがうまくいくのかと心配する方も多いだろう。 「最初は不安もありましたよ。でも、自分たちがよそ者である以上、自分から距離を詰めていかないと、というのは思っていて。自分から声を掛けずに仲良くしてもらおうなんて、そんな美味しい話はないですからね。自分から行動して関係性を築いていく。あとは、『自分がやるべきことを、ちゃんとやる』。結構、見てくれているので」 浩彰さんは続ける。 「移住者として見られるし、自分から行動しないといけないし、移住するにあたって自分なりの軸がしっかりしていないと、苦労するかもしれないです。暮らしが全然違うので、当たり前ではありますよね」 浩彰さんの言葉は、田舎暮らしを検討している方にぜひ知ってほしい、リアルな声だ。 自ら行動を起こしたお二人は、友人に驚かれるほど、あっという間に地元の方とのつながりができたという。地元の方と、年代に関係なく、一緒にお酒を飲むこともある。“はじめまして”の時には、知り合いを通して、相手とつながるようにしているそうだ。 「人との直接的なコミュニケーションが、都会よりも頻度・重要度ともに高いのかもしれないですね」と幸恵さんが教えてくれた。 「栃木県の中でも、塩谷町の知名度は低いかもしれないですが、だからこそいいと思います。刺さる人にだけ刺さる、隠れた魅力に溢れるまちです」 口を揃えて言ったお二人の言葉がとても印象的だった。 手づくりの結婚式を自宅で 2023年5月、自宅で結婚式を挙げた。 「この集落に根を下して暮らしていこう」移住後に二人でそう再確認したことが決め手だった。 「集う」をコンセプトに、円を描くように形作られた畑に、大好きな家族や仲間が集う。近い未来に実現させたい「馬のいる暮らし」をちょっぴり先にお披露目するように、幸恵さんが馬に乗って登場する。手づくりの草冠を互いに授けあう……。 自分たちでアイデアを出しあいながら計画を立て、仲間の協力も得ながら、一つずつ準備を進めた。「馬のいる暮らし」を見せてくれたサラブレットのグランデくんは、地元牧場・UMAyaカントリーファームのゆうきさんとみおさんのご厚意もあり、馬運車で運ばれてきた。 結婚式をやると決めてからの50日間は、怒涛で濃密で豊かな時間だった。 結婚式の中で、お二人独自のアイディアのパートがあったそうだ。題して、祝婚の宴。 参列された方について、お二人との関係性を赤裸々に語り、紹介された方からも言葉をもらう。これを、参列者全員に対して行った。 笑いあり、涙あり。当初2時間の予定が4時間に延びるほど、想いに満ち溢れていた。あっという間に陽は傾き、あたたかい西日がみんなの笑顔を照らし出す。 18時を知らせる音楽がまちに鳴り響くと同時に、祝宴の宴も幕を閉じた。 結婚式に参列した浩彰さんのご両親は、祝婚の宴でのやり取りを見て聞いて、友人との関係性やあり方など、普段目にしない浩彰さんの姿に、見え方が180度変わったのだとか。 浩彰さんのご実家がある藤沢市から塩谷町に移住したことも、関係性が変わる一つのきっかけとなった。 「近くにいてほしい、という気持ちはあったでしょうが、今も隔週くらいで藤沢に帰っているので喜んでくれていますよ。幸恵と会えることも楽しみにしてくれています」と浩彰さん。 「浩彰のご両親には、実の両親と同じように言いたいことを言おうと決めていて。ぶつかったりできるのも生きているからこそだよねって感じられるようになった出来事もあり、どんどん関係性が濃くなっていると感じます」と幸恵さんも振り返った。 離れているからこそ分かることや見えるもの、伝えられることはあるのかもしれない。お二人の実体験がそう教えてくれた。 思いを形にできる場所で、チャレンジの連続 結婚式を自宅で。これはお二人のその後の考え方にも大きな影響を与えた。 すべてを自分たち、仲間内、友人たちとで準備したからこそ、「自分たちで、自宅で、何でもできる」という考え方を得られたのだという。 そんな経験を糧に、結婚式ができるなら、と自宅で“えんがわらいぶ”と題する初ライブを開催した。ライブ後、参加者全員との語らいの時間には、地元のカフェ“風だより”のケーキや、“稲と珈琲”のコーヒーが振舞われた。 お二人の行動力とそれによって紡がれてきたつながりが、ライブというひとつのカタチになったのだった。 それ以外にも、塩谷町に移住後、たくさんのチャレンジを重ねている。……というより「チャレンジしかしていない」んだとか。 たとえば、米づくり。都会であれば、何をどうやって始めればいいのか見当もつかない。 お二人が米づくりを始めたきっかけが、「近所の農家さんに挨拶した時に『うちの田んぼを2枚使っていいよ』と言われた」ことだというから驚きだ。都会では決してありえないシチュエーションである。 田んぼ2枚、二人ではとうてい作業しきれないからと友人に声をかけ、友人から友人へと広がり、イベントという形で稲刈りを行った。昔ながらの手植え、手刈り。曲げた腰の痛みをはるかに上回る、ワクワクとドキドキがあったに違いない。 自ら働きかけるお二人。ここでもつながりが広がっていく。 古民家の古材や廃材をいただき、移住後に飼い始めたヤギの“はなちゃん”の小屋も自作した。 「やればできる。それは移住前も頭では理解していましたが、塩谷町ではすべてが揃っていて、本当にチャレンジできる環境があるなと感じます。『あ、本当にできるんだな』と感じることがどんどんと出てきていますよ」と浩彰さん。 都会に行けば確かに何でもモノが揃っているが、ここには環境や素材、そして余白がたっぷりとある。 思いを形にできる、創造力を育んでくれる土地なのだ。 お二人のこれからと、塩谷町のこれから 移住前、浩彰さんは川崎市へ、幸恵さんは都内に通勤しており、帰宅は19時、20時頃になるというのが当たり前だった。今はリモートワークや畑仕事を中心に、自然のサイクルに合わせたリズムで生活を送る。 食卓には自分たちで種を蒔き、成長を見守ってきた、採れたての食材が並ぶ。スーパーで買うものよりも、味が濃く、野菜の個性を感じられる。ほうれん草が実は甘かったり、包丁で切ったきゅうりの断面から水分がにじみ出るのを目の当たりにしたり。さつまいもの収穫時期には、暖を取るストーブでつくったふかし芋が、朝食やリモートワーク中のおやつにもなった。 「日々のご飯が一番美味しい」 幸恵さんのその言葉には、毎日の暮らしへの満足感があふれていた。 2024年4月には、一日一組限定のプライベートキャンプ場もオープン予定だ。 お二人の自給農園“にゃす”で育った採れたて野菜を味わったり、ヤギのはなちゃんと触れ合ったり、焚火を囲んで語り合ったり……。 塩谷町で暮らすように泊まり、静けさと動物の息吹を味わえるキャンプ場だ。 「演出ではなく、私たちの暮らしのリアルを一緒に体験していただく、そんな場所です。『あっ、こんな暮らしもありだな』と、キャンプ場で過ごした時間によって人生の新しい選択肢が生まれたらうれしいです。」 お二人がこれから望むこととは―。 「私たちのように家族で土地を耕し、環境も生き方もデザインされる方が増えてほしいと思っています。その舞台として塩谷町を選んでいただけると一番うれしいですが、栃木県のほかの市町でも構いません。仕事も大切ですが、それ以上に家族が豊かであること、何気ない日常の幸せを感じられることの方が重要で大切なことだと考えています」 移住を機にお二人の生活は大きく変化したが、お二人の存在は周囲に、そして塩谷町にも影響を与えていそうだ。 お二人が移住した時期は、塩谷町がまちづくりに、より力を入れ始めたタイミングでもあった。移住・定住支援サイト「塩谷ぴーす」を開設し、近々移住コーディネーターも設置される予定である。 「まちも、自分たちも、まさに変化の中にいると感じます。変わり始めた今だからこそ、塩谷町はこの先5年、10年が一番おもしろい時期でしょうね」 お二人の楽園づくりは、着実に根を張りめぐらし、苗木から若木へとバージョンアップしているようだ。 創造力が沸き立つこの土地で、まちをも巻き込みながら、楽園づくりを進めていく。

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