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【7/27開催】保育の魅力発信「こどものほいくとあそびフェス」

【7/27開催】保育の魅力発信「こどものほいくとあそびフェス」 | セミナー・フェア
開催期間 令和6(2024)年7月 27日(土) 10:00~16:00
開催場所 ライトキューブ宇都宮 1F大ホール
URL https://tochigi.couleur-mama.net/topics/25205/

保育の魅力発信「こどものほいくとあそびフェス」

(1)現役保育士インフルエンサー「てぃ先生」の特別講演
(2)保育のお仕事相談ブース(雇用保険求職活動実績対象)
(3)県内保育士養成施設によるオープンキャンパス
(4)親子で楽しむあそびひろば

1 日時

 令和6(2024)年7月 27日(土) 10:00~16:00

2 場所

 ライトキューブ宇都宮 1F大ホール(宇都宮市宮みらい1-20)

3 内容

 保育のお仕事に少しでも興味がある方に向けて、保育の魅力を発信するイベントです。
 相談ブースでは、保育のお仕事案内や就職相談ができます。保育の現場で働いている保育士から実際に話を聞くこともできます。
 オープンキャンパスでは、学校の説明やステージショーを通じて、キャンパスライフや学校の雰囲気が感じられます。
 各メディアで活躍中の「てぃ先生」の、たのしい保育たのしい子育てをテーマにした特別講演や、親子で楽しめるあそびひろばもあります。

 詳細は、こちら(外部サイトへリンク)をご覧ください。

 

宇都宮市について

宇都宮市

県のほぼ中央に位置する、宇都宮市。
人口は50万人を超え、県内の企業・行政機関が集積した北関東最大の中核市です。東京から東北新幹線で最短約48分と近く、東北自動車道や国道4号・新4号国道をはじめとする道路網も整備されているほか、羽田・成田空港にリムジンバスが定期運行するなど東京圏のアクセス性に優れています。

また宇都宮市では、全国初の全線新設のLRTが令和5年8月26日に開業!!さらにLRTの開業と合わせて、既存のバス路線をLRTと接続する路線などに再配置するほか、LRTとバス・地域内交通を乗り継いで利用した際の運賃がどこから乗っても中心市街地まで500円以内となる運賃負担軽減サービスを導入するなど、公共交通を利用して便利に生活できるまちづくりを進めています。

宇都宮市の
移住体験プログラム

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宇都宮市の先輩移住者の声

非日常としての自然ではなく、日常としての自然が身近にある暮らし

非日常としての自然ではなく、日常としての自然が身近にある暮らし

藏所 千尋(くらしょ ちひろ)さん

新しい発見や出会いがある、宇都宮市(大谷町)エリア 「移住をしたのは、娘が小学校に上がるタイミングでした。当時住んでいた東京にあるNPO法人ふるさと回帰支援センターへ行ってみたのが最初です。そこで宇都宮市の移住担当者の方に出会ったのがきっかけで、宇都宮市内の大谷地域の今を知り、自分のこれまでのキャリアを生かせるような気がしました。そこから縁があって今の仕事にも出会え、わくわく感を持って大谷地域に移り住みました。」 東京では、印刷会社やミュージアムショップ、デザイン事務所などで働いてきた藏所さん。“大谷地域に新たなムーブメントが生まれている”という噂を以前から聞いていたため、興味があったエリアだという。 「ただ、実際に生活環境を確かめる必要があると感じ、移住前に大谷地域へと何度か自分の足を運びました。また、東京在住中に、地方移住することを早めに周りに公言したことで、“知り合いがいるよ”“あそこのお店知ってる?”と情報が自然と集まったりも。引っ越してから…ではなく、移住前にアンテナを張って行動しておくことが大切かもしれません。」 宇都宮市は、東京から新幹線で約50分と都市部からのアクセスも便利。その中でも大谷地域は、古くから「大谷石」の産地として栄えた独自の文化が息づく場所だ。 藏所さんが管理人を務める「OHYA BASE」は、コワーキングスペースなどを備えた多目的施設。「大谷でできることを増やす場所」を指針に掲げ、周囲の個性豊かな店々やクリエイター、スモールビジネスを営む人とも繋がっており、人と人との橋渡し役を担っている。 この取材中にも、定休日にも関わらずOHYA BASEに訪れる人がちらほら。地元の人が気軽に立ち寄り、地域に根ざしたコミュニティ活性の場であることを物語っていた。 「移住した土地に馴染むためには、ハブになる場所や人に出会えるかがポイント。ショートステイをする際も、移住前に地元の人と少しでも繋がれると、自分が生活するイメージもつきやすいと思います。」 そう語る藏所さんが提案してくれたのが、大谷地域を中心に、隣接する地域にも足をのばす2泊3日のショートステイプラン。 リモートワークができるシェアスペース、地域に愛されるお店、子どもと休日に過ごすスポットなど、暮らしを楽しむために欠かせない要素を組み込んでくれた。 ショートステイのすすめ1「人が行き交う場所を拠点にする」 藏所さんが東京から移住して最初に実感したのは、ここでの生活には車が必須ということ。今回のショートステイプランでも車移動を想定している。 「移住を意識したステイなら、その土地の人が行き交う場所を拠点にすると、自分の中に新しい視点が生まれてきやすいと思います。私が働くOHYA BASEもそのひとつ。コーヒーを飲みながら仕事をしたり、ローカルな情報収集をしたりと、便利に活用できる場所です。また、地域に根付いているカフェやご飯どころも、生活するなら知っておきたいところですよね。地産地消の食材を使った料理が味わえるOHYA FUN TABLE、イタリア料理を軸にした大人も子どもも気軽に楽しめるPunto大谷町食堂は、どちらも店主が県外からの移住者。地域の人々の雰囲気もわかるし、県外からの滞在者にも優しい。東京から来た友人を必ず連れて行く、私のお気に入りです。」 前述の「OHYA FUN TABLE」、築90年の石蔵をリノベーションしたベーカリー「POSTE DE BLÉ」など、大谷石を建築に使った店舗も多く点在しているので、その建築を見ながら町を歩いてまわるのもおすすめだそう。 ショートステイのすすめ2「その土地の文化や自然に触れる」 栃木に来て変わったことのひとつが、小学校4年生の娘さんとの週末の過ごし方。そんなライフスタイルの変化も、この場所に越してきて良かったと思える部分だという。 「東京では美術館などの作られた場所に行くことが多かったのですが、移住してからは、夏は川遊びや湖畔の散歩、冬は周囲の山々をぐるりと見渡せる開放的な屋外リンクでアイススケートをするなど、自然の中で思いっきり遊ぶことが増えました。今回のプランに入っている、(宇都宮市の隣に位置する)鹿沼市の大芦川は、関東随一の清流と呼ばれる透明度。冷たい水に足を投げ出してみるだけでも最高にリフレッシュします。豊かな自然が近くにあるのも栃木の魅力なので、ご家族でステイする際にもぜひ訪れてもらいたいですね。」 非日常としての自然ではなく、日常としての自然が身近にある。五感をフルに使って体と心で感じたことは、子どもにとっても大人にとっても大切な記憶になるに違いない。 また、ショートステイプランの最初に体験する、大谷地域に広がる地下空間を巡る観光ツアー「OHYA UNDERGROUND」(事前オンライン予約必須)は、藏所さんが働く「OHYA BASE」の看板アクティビティ。 普段は立ち入り禁止の大谷採石跡地を、ラフティングボードで探検するクルージングは、ここでしかできない貴重な体験だ。古代遺跡のような石造りの巨大空間が見どころの観光スポット「大谷資料館」の見学も含め、その土地の歴史を知れる機会は、ぜひ予定に入れておきたい。 その他にも、宇都宮市民のソウルフード「正嗣(まさし)」の餃子を食べて、道の駅「ろまんちっく村」の天然温泉に浸かって…と、地元民御用達の魅力的なスポットがぎゅっと詰まった2泊3日。 ショートステイを終える時には、どのように感じて、どんな想いが生まれるのか。それを確かめるためだけでも大きな価値になるはず。まずは1歩、気軽な気持ちで訪れてみるのはどうだろうか。 ショートステイで自分の“これから”を見つめ直す 「もちろん都会に比べたら情報量やスピード感が違うので、最初は戸惑いもありました。ただ、地域に暮らす人々との何気ない会話で得られる情報には、また違った豊かさを感じられるもの。東京へはすぐに行けるので、いまでは物理的な距離感もそこまで感じません。つい最近も上京して、好きなアーティストのライブを楽しんできたところなんです。」と話す、藏所さんの明るい笑顔が印象的だった。 「アクションを起こせば人とすぐ繋がれるのが、地方のいいところ。」と藏所さん。 「これが好き」「それ面白そう」と、同じ価値観を持つ仲間たちに出会い、深めてきたコミュニティは、年々、輪が広がっているようだ。 今後、町全体がより一層盛り上がっていきそうな予感に満ちている。 「私を含め、音楽が好きな仲間が多いんです。他の土地にはない風情のあるこの環境で、音楽フェスのイベントができたら…!というのが夢ですね。大谷地域にはまだまだ余白があるからこそ、自分が好きなことを持ってきて、自分たちの手で何かを実現することができる。そんな可能性を日々感じています。」 新旧の良さがバランスよく共存する宇都宮市大谷町。ここでの「ショートステイ」という経験が、理想のライフスタイルを考えるきっかけになれば何よりだ。 ※この記事は、NEXTWEEKENDと栃木県とのコラボレーションで制作しています。

東京と栃木の人がつながるハブのような場所を

東京と栃木の人がつながるハブのような場所を

大倉 礼生さん

栃木にも素晴らしいものがたくさんある 取材当日の朝、大倉礼生さん、結衣さん夫妻と待ち合わせたのは、宇都宮市の中心部から車で10分ほどの距離にある「BROWN SUGAR ESPRESSO COFFEE」(下写真)。 「ここのコーヒーが本当においしくて、休日にはブラウンシュガーさんか、こちらに豆を卸しているムーンドッグさん(MOON DOGG ESPRESSO ROASTERS)に立ち寄るのが、ルーティーンになっています」(礼生さん)。 休日には出かけることが多いという二人は、おいしいお店があると聞けば、県内外問わずどこへでも足を運ぶ。栃木市でパンを買って、佐野市でコーヒーを飲んで、宇都宮市でランチを食べて……と、1日に5、6軒のお店を巡ることもあるという。 「おいしいものを食べたり、素敵な空間で過ごしたりするのが好きで、楽しいのはもちろんですが、やっぱりいいものに触れると仕事のインプットにもなります。味やサービス、お店づくりなど、『自分はこれができていなかったんだ』とハッと気づかされることも多く、いろんな場所へ出向くのは大切だと実感しています」 そう話す礼生さんは、若いころは「栃木になんて何もない」と思っていたとのこと。けれど、東京で15年以上過ごし、いいものに多く触れた後、栃木県に戻ってみると、地元にも素晴らしいお店や魅力的な人がたくさんいることに気づいた。 「東京だと行列に並んで買うようなおいしいコーヒーが、こっちでは並ばずに買えて、店主との会話を楽しみながらゆっくり味わえる。こんなふうに魅力的な人とつながりやすく、深い付き合いができるのも、戻ってきて感じた栃木の魅力ですね」 まだ世にあまり出ていない燻製料理店を宇都宮に 東京で美容師を経て、駒沢のカフェで働き始めた礼生さんは、料理もサービスも担当し、瞬く間に店長となり、そこで10年にわたり経験を積んだ。 「オーナーが異業種の方だったこともあり、お店のことは任せてくれたのですが、僕は飲食店で修業したわけでもなく、とにかく自分で調べてやるしかなかった。ご飯を食べに行っておいしいと思ったら、『これはどうやってつくるんですか?』と聞いたり、『この音楽は誰のですか?』『この椅子はどこで買ったんですか?』と尋ねたり、そうやって自分がいいなと思ったもの、やりたいことを調べて形にしていくのが楽しくて。20代後半には、もっと自由にできる自分のお店を開きたいと考えるようになったんです」 なかでも惹かれたのが、好きでよく食べに行っていた燻製料理だ。カフェはコーヒーがあったり、食事も出していたりとオールジャンルなところが魅力だが、逆に何か一つに特化した、他にはないようなお店をやってみたいと思うようになった。 スモークマンの人気メニューの一つ「燻製の前菜盛り合わせ」(1680円)。魚介や生ハム、ナッツ、野菜と一度にいろいろな種類の燻製が味わえる。 「その点、燻製料理は、ソーセージやベーコンなどの一般的な燻製以外は、多くの方がまだ味わったことがなく、未知の領域だと思うんです。燻製なら、まだ世に出ていないような、自分のお店でしか味わえない料理が提供できるのではないか。そう考え、友人の燻製料理店で修業をさせてもらうことにしたんです」 こうして燻製料理を学んだ礼生さんは、2015年に地元の栃木県へUターン。宇都宮市の中心部にあるこの物件と出会い、2016年2月に念願だった「燻製レストラン&バー SMOKEMAN(スモークマン)」をオープンした。 宿泊施設を営む夢に向けて一歩ずつ お店を開く場所として、東京ではなく宇都宮を選んだのは、なぜですか? そんな疑問を礼生さんに投げかけると、「僕は、いつかホテルやペンションのような宿泊施設を開くのが夢なんです」と話してくれた。 「その宿泊施設にはカフェやサウナなどもあって1日ゆったりと過ごすことができる、そんな旅の目的地になるような場所をつくりたい。食事を提供して、サウナを楽しんでもらい、心地よい部屋を用意して、翌朝お見送りする。サービス業のなかで、お客さんの1日により深く携われるホテル業がとても面白そうで、独立を考え始めたころからいつかやってみたいと思っているんです」 宿泊施設を開くことを考えたとき、家賃などのコストが多くかかる東京は現実的ではなく、地方で開きたいと考えるように。なかでも、地元の栃木県は東京からのアクセスもよく、宿泊施設を開くにはうってつけの場所だと感じた。こうして礼生さんは、夢への第一歩である燻製料理店を、宇都宮にオープンした。 燻製のメニュー開発は、まるで実験のよう この日は、特別に厨房の中を見せてもらった。厨房の一角には、特注の大きな燻製器が鎮座。このほか、小型の燻製器や鍋を食材ごとに使い分け、礼生さんは燻製をつくっている。新しいメニューを考案するためには、トライアンドエラーが欠かせない。 お店には結衣さんも立ち、調理やサービスを手がけている。 例えば、ランチの燻製ハンバーガーは、パティの牛挽肉を燻製しているのだが、温度は何度で、どのくらいの時間、どの木でいぶすかによって、仕上がりが大きく変わってくる。また、パティを燻製するのか、ソースを燻製するのかなど、決められた答えはない。 「だから、試作はまるで実験のようです。失敗することもめちゃくちゃ多いのですが、そのぶん、『これだ!』という味を実現できたときの喜びは大きいですね」 目指すのは、食材そのものの良さを生かしつつ、燻製の香りも楽しめる料理。スモークマンでは、すべてのメニューが燻製料理のため、香りが強くなりすぎないよう絶妙な燻製加減を何度も試作して追求している。 最近では、遠方に住んでいるなどの理由でなかなか来店できない人にも、気軽にスモークマンの燻製料理を楽しんでもらいたいと、オンライン販売にも力を入れている。30度以下で燻製する「冷燻法」という手法で、16時間もかけて燻製したチーズをはじめ、燻製ナッツや燻製オリーブ、燻製牛タンジャーキー、燻製調味料などを販売中。これからは道の駅や百貨店などにも置いてもらえるよう働きかけていこうとしている。 ランチの定番「SMOKEMAN BURGER」(1250円)。パティは牛肉100%に、和牛の牛脂を加えてうま味をプラス。ブリオッシュパンのバンズの甘みが燻製されたパティとよく合う。 オンラインでの販売をスタートした「燻製ナッツ」(1100円)。 東京での経験を活かし、栃木を盛り上げていきたい 休日にはおいしいお店を巡るだけでなく、ゴルフも楽しむ礼生さん。東京にいたころからゴルフはやったことがあったが、本格的にハマったのはUターンしてからだ。 「栃木県内にはゴルフ場が多く、近くて料金も比較的安いので、本当に気軽に楽しめます。僕は、土日に店があるので、友人たちとはなかなか休みが合わないのですが、ゴルフだとみんな日程を合わせて平日に有給を取ってくれて、一緒に遊べる機会が増えました。また、ゴルフを通じて、普段は出会わないような人とのつながりが広がるのもいいですね」 もう一つ、礼生さん、結衣さんが共にハマっているのがサウナだ。栃木県内をはじめ、新潟や東京などのサウナまで出かける“サウナ旅”も楽しんでいる。 「サウナに入ると疲れがすっと取れて、気持ちがリセットできるところが気に入っています」と話す礼生さんは、将来の夢である宿泊施設を手がけるための足がかりとして、現在、地元の塩谷町に貸し切りサウナを開こうと動きはじめている。 「栃木県をはじめとした地方なら、東京と同じ家賃で何倍もの広さの物件が借りられ、やれることの幅も大きく広がります。お金を稼ぐことももちろん大切ですが、僕はそれよりも、やりたいことを我慢せずにできることが何よりも幸せだと思うんです。地方でもレベルの高いものを提供していれば、全国からお客さんが来てくれたり、オンラインで各地へ販売できたりと、大きく広がっていく可能性もあります」 宇都宮に今年の夏オープンした大谷石蔵の貸し切りサウナ「KURA:SAUNA UTSUNOMIYA」を訪れたときの一枚。 サウナが実現できたら、次はいよいよ念願の宿泊施設の開業にチャレンジしたいと考えている礼生さん。 「東京で15年以上過ごしてきた経験やつながりを活かして、東京と栃木をつなぐハブ的な役割が果たせるような、ホテルとカフェやサウナが一体となった場所をつくり上げたい」 そこには、地域の特産品を販売するコーナーがあって、地元の生産者と東京などの都心部から訪れた人が気軽にコミュニケーションをとることができる。コーヒー店をはじめ、栃木で素晴らしいお店や活動を展開する人たちとコラボしたイベントも定期的に開催されている。そんなワクワクするような場所を形にし、地元・栃木を盛り上げていきたいと礼生さんは考えている。 栃木、東京の大切な人たちを招き開催した結婚式の思い出の一枚。

体当たり取材で感じた、まちなかの魅力を紙面に込めて。

体当たり取材で感じた、まちなかの魅力を紙面に込めて。

多里(たり)まりなさん

実感したことを、自分の言葉で紡ぐことを大切に 中心市街地の活性化と、新聞社のさまざまな情報を発信する新たな拠点として、宇都宮まちなか支局が誕生したのは、2012年4月のこと。実は、1階にあるカフェ「NEWS CAFE」も、下野新聞社が運営。2階にはイベントスペースも設けられている。 京都府出身の多里さんは、最初の1年間は栃木支局で経験を積み、2年目からまちなか支局へ。ここでは、毎週日曜日に掲載される「みやもっと」面(2ページ)を、主に担当。紙面では、記者が自ら体験したことを、紹介することをコンセプトにしている。 例えば、本サイトでも紹介した宇都宮の「きものHAUS」が企画した、オリオン通りを約70人の花魁(おいらん)姿の女性が練り歩く「宮魁道中(みやらんどうちゅう)」に、多里さんも花魁の一人として参加したり、ジャズの街としても知られる宇都宮で活動しているアマチュアのビッグバンドに、ピアノとして加わり演奏したり、1カ月で百人一首をすべて覚えて大会に出場してみたり、まさに体当たりで、街なかで起こる新たな取り組みに飛び込み、そこで実感したことを言葉にしている。 「通常の紙面とは逆に、『みやもっと』では、自分で体験したからこその感想や、そこから見えてきた街や人の姿、魅力を、自分自身の言葉で書くことを心がけています」 最初は顔には出さないけど、みんな歓迎してくれている 多里さんは、原稿を書くとき以外は、街へ出かける。移動は、徒歩が基本だ。 「暖かくなったら自転車にも乗りますが、街なかでは歩きが便利! 車のように駐車場を探さなくていいから、気になった場所へ身軽に立ち寄れるんです」 商店街を歩いていると、いろいろな人が声をかけてくれる。立ち止まって世間話をするなかで、意外な人から思わぬ情報を得られることもある。 「だからこそ〝枠〟をつくらず、できる限り幅広く、たくさんの人と会うように心がけています。もう一つ大切にしているのは、自分のことをオープンにすること。こちらから壁をつくらず、何でも話すようにしていると、相手も心を開いてくれる。これは、記者としての変わらぬ目標でもあります」 取材の途中に立ち寄った、「村山カバン店」の店主夫妻(上写真)も、家族のように接してくれる。コーヒーを出してくれたり、「おなか減ってない?」と、ときには一緒にお店のカウンターでお昼を食べさせてくれたりすることもある。 手作りパンを使ったサンドイッチ専門店「小時飯屋(こじはんや)」の店主も、いつも多里さんのことを気にかけてくれる(下写真:小時飯屋の店内の様子)。 「実は、就活で下野新聞社を受けるために、初めて宇都宮を訪れた帰りに、偶然立ち寄ったのが、小時飯屋さんだったんです。そのときお父さんが、『どこから来たの?就職活動? 栃木の人は表情には出さないけど、すごく温かいし、みんな外から人が来てくれるのをうれしく思っているから、大丈夫だよ!』と言ってくださって。もし受かったら、栃木に来よう!と前向きに思ったのを、今も覚えています」 世代間をつなぐ〝橋渡し〟の役割を、これからもっと このように地域と密接に関わる多里さんに、普段感じる「宇都宮の街なかの魅力」をうかがった。 「宇都宮は、東京や大阪ほど街の規模が大きくないぶん、初対面の人でも話してみると共通の知り合いがいたりして、コミュニティを築きやすいのが魅力だと思います。だからか、皆さん、職場や家庭以外にも、自分の趣味や好きなものに関する〝居場所〟を持っている人が多い。私も、よく近所のミュージックバーに行くのですが、2、3週間ほど間があいただけで、店主の方が『大丈夫?』と声をかけてくれる。そういう人の温かさに、日々支えられていますね」 もう一つ実感しているのは、幅広い年代の人たちが、地域をよくしようと活動していることだ。 「私も参加させてもらった『宮魁道中』をはじめ、若い人たちの新たな動きが、街なかで活発に生まれています。一方で、長年、商店街でお店を営んでいる上の世代の方たちも、地域の文化を受け継ぎながら、商店街を元気にしたいと考えている」 例えば、街の中心部にある二荒山神社の門前には、昭和30年代ころまで浅草のような仲見世があったという。 「初めてこのことを知った若い世代の人たちは、『復活させられたら、きっと面白いだろうな』とワクワクすると思うんです。そんな世代と世代をつなぐ〝橋渡し〟の役割を、これから果たしていきたい」 実は、春の人事異動により、3月から多里さんはまちなか支局を離れ、宇都宮総局へ異動することが決まった。けれど、まちなか支局で大切にしてきた、仕事や地域に対する思いに変わりはない。 「この2年の間に多くの人と接するなかで、実は日常のなかに〝いいもの〟がたくさんあることを気づかせてもらいました。これからも、外から来た人間だからこその視点で、何気ない宇都宮や栃木のいいものをたくさん再発見し、発信していきたいと思います」

ここ宇都宮を“着物のまち”に

ここ宇都宮を“着物のまち”に

荻原貴則さん

着物を楽しむ、すそ野を広げていきたい 階段をあがり長い廊下を進むと、大正・昭和初期の家具に彩られた空間が広がる。そこにずらりと並ぶのは、1000点以上に及ぶ着物や帯など。その豊富さだけでなく、すべてが正絹(絹100%)で、価格は5400円以下というところにも驚かされる。 「我ながら、安いなと思いますね(笑)。『着物に興味はあるけど、なかなか敷居が高くて』という方が、楽しむための第一歩にしてほしい。また、せっかく楽しんでいただけるのなら、本物を手に取ってほしいと思い、平成の初めころまでにつくられた絹の着物を厳選して揃えるようにしています」 そう話すのは、「きものHAUS」の店主の荻原さん。宇都宮で60年以上続く呉服屋の長男として生まれ、大学進学を機に東京へ。卒業後、一旦はアパレル会社の営業として働くが、数年経験を積んだのち着物の道に進んだ。 修業に入ったのは、銀座や伊豆に店を構える中古着物買い取り・販売店。北は青森から南は四国まで、全国各地の個人宅へ着物の買い取りに回るとともに、月に1度はデパートなどで催事も開催するという、なかなかハードな3年半を過ごした。 「最終的には、新宿タカシマヤで開催した催事の仕入れから値付け、販売までを、すべて任せてもらいました。着物を見る目や知識などはもちろん、経営者としての視点も叩き込んでいただき、本当に感謝しています」 こうして修業を終えた荻原さんだが、そのまま実家の呉服屋には入らず、自らお店を開くことを選んだ。 「着物離れが進むなかで、新たな挑戦をしていかなければ、呉服屋自体が成り立たなくなってしまう。その一方で、若い女性のなかにも『着物にあこがれている』『着付けを習ってみたい』といった潜在的なニーズは確実にあると思うんです。まずは、そのすそ野を広げることが重要だと考えています」 花魁姿の女性約70人が、オリオン通りを練り歩く 独立の場所として、荻原さんが選んだのは、地元・宇都宮だ。 「着物の大規模なセリ市場が開かれる東京に比較的近く、都内に比べて家賃が安い。さらに、リサイクル着物の競合店がほとんどなかったことも、宇都宮を選んだ理由です」 最初の店は、「haus 1952」という古民家を改装したシェアハウスの一室で開店したが、2年ほどで手狭になり、2018年2月、現在の場所に移転オープンした。 「というのも、当初、市内の着付け教室や着物のリメイク教室などをすべて調べて、とにかく営業に回りました。ありがたいことに、それをきっかけにお客様が口コミで広がり、3年以上経った今でも、毎月のように来てくださるリピーターの方が多くいます」 荻原さんは、着物を楽しむ機会を日常的に増やしていきたいと、これまでに参加者全員が着物をまとい、和太鼓の演奏と日本酒を堪能するイベントなどを定期的に開催してきた。 さらに、2018年12月8日(土)には、宇都宮市の中心部にあるアーケード街のオリオン通りを、約70人の花魁(おいらん)姿の女性が練り歩く「宮魁道中(みやらんどうちゅう)」というイベントを企画。着付けや衣装は、ニューヨークや京都などでも花魁道中を行った実績を持つ「時代衣裳おかむら」が担当。加えて、和小物や飲食、ライブイベントなど、さまざまなブースやステージが用意されている。 「宇都宮には、なにか新しいことに挑戦しようと動き出すと、その気持ちを受け取って協力してくれる人、一緒に楽しんでくれる人が多いと感じています。東京ほど街が大きくないぶん、人と人との距離感が近く、つながりやすいところが魅力。今回のイベントでも、さまざまな方が協力してくれました」 今後は、「宮魁道中」を毎年恒例のイベントに育て上げ、宇都宮を“着物のまち”にしていきたいと考えている。 「何よりも自分たちが楽しむこと。それが結果的に、宇都宮の街を元気にすることにつながっていけば、これほどうれしいことはないですね」 本物の職人技や日本の文化も、大切に伝えていきたい きものHAUSのロゴにもなっている模様(上写真)は、実は伝統的な着物の柄で“破れ格子”と呼ばれ、荻原さんがもっとも好きな柄の一つ。規則的な格子を崩したこの柄には、「秩序を破る」といった意味がある。 「江戸時代であれば、この柄の着物をまとっているだけで打ち首になったと言われています。いわゆる、“傾奇者”が覚悟をもって身に着けた柄です。このように着物の柄には一つひとつ意味があり、それを身にまとうことで自分を律したり、心意気を表現したりする。そういった着物ならではの伝統的ないい部分も伝えていきたい」 実家の呉服屋では、京都で280年続く帯の老舗「誉田屋源兵衛」の展示会を毎年開催するなど、伝統的な職人技を受け継ぐ、上質な商品を中心に扱っている。ゆくゆくは荻原さんも、そういった一流の商品を紹介する店を営むのが目標だ。 「実は中学生のころ、105歳まで帯をつくり続けられた名匠、山口安次郎さんが手がけた帯を目にしたとき、モヤモヤしていた気持ちが晴れ渡ったような気がしたんです。当時は、山口安次郎さんがどのような方かは分からなかったのですが、その素晴らしさに、とにかく感動したのを覚えています。今思えば、それが着物の世界に進んだ原点。現在は着物人口を増やすことに力を入れつつ、将来的には職人の本物の技や日本の文化を伝えることに、少しでも役立てたらうれしいです」

農家の右腕という新たな働き方

農家の右腕という新たな働き方

佐川友彦さん

グローバル企業から一転、ローカルな梨農家へ 宇都宮市で3代にわたり続く「阿部梨園」。そこで働く佐川友彦さん(下写真右)は、マネージャーとして経営改善から企画、PR、会計、事務、労務、システムまで、生産以外のすべての業務を担当している。 群馬県館林市出身の佐川さんは、東京大学農学部、同大学院を卒業後、外資系メーカーで研究職として、宇都宮市で2年間、茨城県つくば市で2年間働いてきた。そんな佐藤さんがグローバル企業から一転、ローカルで働くことを選んだのは、どんな理由からだろう? 「以前の仕事では、地元の方とかかわる機会がほとんどなくて。もっと自分が暮らす地域と深くかかわる仕事がしたい。また、事業全体を見渡す経験を積みたいと思い、転職を決意したんです」 実は、佐川さんは次の仕事が決まる前に、宇都宮へ戻ってきた。 「就職して最初に宇都宮で働いていたときに妻と結婚したのですが、その頃に今でも仲のいい友達が多くできて、ここが自分たちの居場所になっていたんです。また、宇都宮は栃木県の中心ということもあり、面白い企画の情報や魅力的な人たちが集まってくる。地方でありながらも、これからの自分の成長につながるような刺激が得られるところも、宇都宮を選んだ理由の一つです」 こうして宇都宮へ移り住み、ネットで仕事の情報を探していたとき、「NPO法人とちぎユースサポーターズネットワーク」が手がける、若者の力を活かして地域を元気にする実践型インターンシップの取り組みを知る。そのなかで、地域と深くかかわり、経営全体を経験できそうだと感じた、阿部梨園のプログラムに応募することに。 小さなことに忠実に向き合い、400を超える改善を実施 当初、阿部梨園のインターンシップで求められていたのは、イベントの企画といった新たな顧客や売上を生み出すことを目指した外部向けの取り組みだった。しかし、最初の数週間、阿部梨園の業務を体験するうちに、佐川さんは、それよりもまず取り組むべきことがあると感じたという。 「阿部梨園の梨は本当においしく、たくさんのお客様から愛されている一方で、経営や組織については多くの個人農家がそうであるように自己流で、至るところに改善点があると感じました。今後、阿部梨園が生き残っていくためには、まずは組織の内側を鍛えることが重要だと感じ、代表の阿部(下写真右)やとちぎユースサポーターズネットワークの岩井さん(下写真左)と話し合い、プログラムのテーマを『経営と組織の改善』に変えることになったんです」 そこで、事務所の掃除から始め、売上や顧客データの管理、スタッフの管理、業務の流れや販促物の見直しまで、インターンシップ期間中に70件の改善を実施。2015年1月に阿部梨園に入社してからも含めると、400件以上の改善に取り組んできた。 「改善といっても、多額の費用かけて大きな変化を起こすのではなく、『小さなことに忠実に向き合う』を大切に、できるところから少しずつ改善を重ねてきました。その結果、今ではスタッフのキャリアプランやコンプライアンスなどの分野にまで、取り組めるようになってきました」 こうした改善を実現できたのも、代表の阿部さんが信頼して任せてくれたからこそだと、佐川さんは考えている。 「これまでの経営や会計の内側をすべてオープンにしたうえで、改善点を指摘されることは、阿部にとって辛い部分もたくさんあったと思います。それでも阿部は、信頼してすべてをさらけ出してくれました。だからこそ、僕も結果を出さなければならないと、全力で改善に取り組んできました。インターンシップが終わった後、入社を決めたのは、阿部と一緒に仕事をしていきたいと思ったからなんです。その思いは、今も変わりません」 また、スタッフも労力や時間を割き、改善に積極的に取り組んでくれた。 「今ではようやく、当初のテーマだった新たな顧客や売上を生み出すためのチャレンジに、本腰を入れられる体制が整ったと感じています」 新たな客層にも、阿部梨園の梨を知ってもらうために 阿部梨園では、約20種類の梨を栽培。夏から秋の収穫シーズンには、事務所の前に販売スペースが設けられる。それに加えて、ウェブショップやFAXによる注文など、ほぼすべての梨を直接販売している。 「店頭に買いに来てくれるのは常連の方が多く、20年以上にわたり、毎年来てくださる方もいます。こうした常連さんを大切にしていく一方で、新たな客層にどうやって『阿部梨園の梨』を発信していくか、購入してもらえるようにしていくかについても、考えていかなければなりません」 そのための取り組みのひとつとして、本サイトでも紹介している下野市の「GELATERIA 伊澤いちご園」とコラボレーションして、阿部梨園の梨を使ったジェラートを商品化。「普段とは違うお客様にも、楽しんでもらえる商品が実現できた」と佐川さんは語る。 ここで培ったノウハウを、農業界に還元していきたい まさに“農家の右腕”として働く佐川さんだが、このような新たな働き方は、栃木でなければ実現できなかったと感じている。 「阿部やとちぎユースの岩井さんをはじめ、栃木ではさまざまな人が各地域で新しいチャレンジを続け、情報交換をしたり、コラボしたりと密に連携している。そんなみなさんのこれまでの活動があったからこそ、僕は今、“農家の右腕”という新たな仕事に取り組めているのだと思っています」 これまでは畑に出ることはなく、農家の右腕として現場を支えてきた佐川さんだが、今年からは少しずつ生産にも携わっていく予定だ。その目的は、現場チームと経営の融合。佐川さんが現場に加わることで、より連携した一枚岩のチームをつくり上げることができる。さらに、現場の実情や作業内容を把握することで、効果的な改善が可能になると考えている。 「阿部梨園だけでなく、多くの個人農家が同じような悩みを抱えています。これからは多くの個人農家が楽しく生き延びていくために、阿部梨園で培ったノウハウを農業界に還元していくことが目標です」

日々を丁寧に、栃木暮らしを満喫中!

日々を丁寧に、栃木暮らしを満喫中!

小栗恵子さん

横浜、東京を経て、地元の宇都宮へUターン この日の朝、小栗さんと待ち合わせたのは、週に数日、ウォーキングを楽しんでいるという、宇都宮市の街なかにある「栃木中央公園」(上写真)。そのあと、公園からほど近い「光琳寺」へ(下写真)。光琳寺では、毎月1日に誰でも参加できるラジオ体操と朝参りを行っていて、小栗さんは母親とよく参加しているという。「地域の幅広い年代の方たちと交流できる、いい機会になっています」と話す。 さらに、このあと訪れた「White Room COFFEE」や、中央公園そばの自家焙煎コーヒーショップ「FRENCH COFFEE FANCLUB」などのカフェをはじめ、雑貨店やパン屋、古書店などを巡るのも好きだという小栗さん。お気に入りのカフェなどで知り合った友人たちと一緒に、県内にとどまらず、茨城や群馬など県外のカフェにもよく足を運んでいる。 こんなふうに、栃木暮らしを満喫している小栗さんだが、「一度、宇都宮以外での暮らしも体験したい」と横浜の大学に進学し、4年間を過ごした。その後、「自分なりに地域に貢献できる仕事に就きたい」という思いを胸に就職活動を行い、全国で地域に根差した雑貨店を運営する会社に就職。最初に配属された宇都宮の店舗で3年間経験を積んだあと、バイヤー職として東京へ。 宇都宮の店舗で働いていたころ、よく訪れていたカフェが「伊澤商店」だ。そこで、「自分から一歩踏み込んで興味を持つことで、店主やそこに居合わせたお客さんとの距離が知縮まり、人のつながりが広がっていく楽しさ」を知った。 「でも、東京での3年間は仕事一色の生活で、もちろん得られたこともたくさんありましたが、カフェを巡ったり、音楽や映画を楽しんだりという自分の好きなことは、置き去りになっていました」 そして、2013年、小栗さんは宇都宮へのUターンを決意する。 「体調を崩したこともあったのですが、趣味の時間を大切にしたり、新たな何かを学んだり、自分の好きなもの、興味があることに、丁寧に向き合っていきたいと思ったことが、Uターンを決めた大きな理由です」 栃木には魅力的な場だけでなく、それを上手に楽しむ人も多い 宇都宮に戻ってから、小栗さんは大学で学んだ法律の知識を活かし、市内の土地家屋調査士事務所に勤めている。その仕事内容は地域に根差したもので、「地域に貢献したい」という思いは、雑貨店で働いていたころから変わらないという。 そして、休日にはカフェを巡ったりするなかで、偶然の出会いから始まる人とのつながりが増えていった。例えば、行きつけのカフェでたまたま居合わせた女性と意気投合し、一緒にカメラのワークショップに参加したり、同じカフェで、よく訪れる地元の映画館「ヒカリ座」のスタッフと知り合い映画館のイベントに参加したり、SNSを通じて知り合った作家さんに名刺入れ(下写真)をつくってもらい、その後、共通の趣味である山登りやトレッキングツアーに参加したり、自分の好きなことを大切に、一歩踏み込んで人と接することで、同じ興味を持つ仲間との出会いがどんどんと広がっている。 「地元に戻って感じたのは、栃木では宇都宮だけではなく各市町に魅力的なお店があり、それぞれがイベントや情報発信など、新たな挑戦をしているということ。例えば、マルシェやクラフトイベントはもちろん、各地の古書店が集うイベントや音楽イベント、ワインや日本酒を楽しむイベントなど、『小さなワクワク』があらゆるところに散りばめられていて、共通の趣味や興味を持つ人と仲良くなるきっかけがたくさんあります」 さらに、同時に感じるのは、暮らす人の受信力の高さ。 「栃木には、アンテナの高い方が多くて。もともと栃木に住んでいる人、移り住んだ人、また年代や性別にかかわらず、新たな情報をうまくキャッチし交換しながら、栃木暮らしを満喫している人がたくさんいらっしゃいます」 その情報の範囲は、県内にとどまらない。「お店どうしは、けっこう県をまたいで交流している」と小栗さんが話すように、栃木のお店が茨城や群馬のイベントに出店することや、その逆もあり、小栗さんもドライブがてら、県外のイベントへ出かけることもあるという。 「栃木県は北関東の中心にあり、茨城や群馬、埼玉などの近県にアクセスしやすく、自然と自分のフィールドが広がっていくところも大きな魅力ですね」  (取材中に立ち寄った、光琳寺近くにある「BAKERY SAVORY DAY」にて) 日々の出会いと、好きなことに丁寧に向き合いながら 最後に訪れた「White Room COFFEE」では、栃木に戻ってきてから出会った友人たちと一緒に食事を楽しんだ。 「彼女たちのように栃木での暮らしを満喫している人や、私と同じようにUターンして、外での経験を生かし魅力的なお店を営んでいる人に会うと、本当にたくさんの刺激を受けます。『自分も何かに挑戦してみたい』という気持ちが、自然とわいてくるんです」 高校時代は吹奏楽部で、大学時代はビッグバンドジャズサークルでトロンボーンを吹いていた小栗さん。これからは、「ジャズの街」と呼ばれる宇都宮で、もう一度、楽器を始めてみたいと考えている。 「これからも日々の出会いを大切に、自分の好きなことに丁寧に向き合いながら、栃木での暮らしをもっともっと楽しんでいきたいです」

街の人とつながる“入り口”を、栃木市に

街の人とつながる“入り口”を、栃木市に

中村純さん・後藤洋平さん

地域づくりを、自分の仕事にするために 東京農業大学で林業を学んでいた中村純さんは、その頃から地元・栃木市で、地域づくりのボランティアなどに参加。地域や林業にかかわる仕事に就きたいと考えたが、なかなか生計を立てていく道が見つからず、都内の大手ハウスメーカーに就職した。 中村さん:「営業の仕事を通じて、民間ではこうやって泥臭く必至に取り組んでいるから、利益を生むことができるんだと実感しました。やりたかった地域の仕事も、ボランティアでは続けられない。好きなことを続けるためには、その道でお金を稼ぐことが重要だと学んだんです」 27歳でハウスメーカーを退職し、東日本大震災の被災地でボランティアとして活動。そこで知り合った人にすすめられて、鎌倉のゲストハウスで働き始めた。 中村さん:「そこで、ゲストハウスのオーナーはもちろん、ウェブデザイナーやカメラマンなど、やりたいことを仕事にして面白く生きている人たちと出会い、こんな生き方もあるんだと視野が広がりました。自分もやっぱり地域に携わりながら生きていきたいと、地元に戻る決意をしたんです」 栃木市にUターンしてから、中村さんはまちづくりのワークショップなどに参加。そこで出会った人たちに、空き家バンクなどの企画書を見てもらったことをきっかけに、ビルススタジオのことを教えてもらった。ホームページを見ると、ちょうど人材募集の告知が! すぐに応募し、2011年の冬から不動産担当として働くことになった。 地域のことを考えながら建築をつくる 高校3年の大学受験が近づいたとき、後藤洋平さんは進路について迷っていた。後藤さんの父親は設計事務所を運営。しかし父と同じ道に進むのがなんとなく嫌で、一度は違う分野の学部を受験した。 後藤さん:「けれど、後期試験までの間に、父の建築の本を読んだり、設計した家を見に行ったりして、『人が生活する場所をつくる』という設計の仕事の面白さに強くひかれました。無理をいって浪人させてもらい、翌年、新潟大学の建築学科に進学したんです」 大学では、県内の豪雪地帯にある街で、古くから雪よけの通路としてつくられてきた大きな軒のような「雁木(がんぎ)」を、設計・制作する活動にも携わってきた。 後藤さん:「雁木は地域にとってのアイデンティティなんです。軒を連ねる家の一軒でも雁木を壊してしまうと、通路が途切れてしまうだけでなく、まちの誇りが失われてしまう。地域住民や自治体と協働して雁木通りを再生するプロジェクトに参加し、地域のことを考えながら建築をつくることの面白さを体感したんです」 卒業後は、都内の大手ゼネコンに就職。当時から、いずれ地元で設計事務所を開きたいと考えていたため、休日などに栃木市に帰省し、地域づくりの活動にも携わっていた。 後藤さん:「そんな頃、すでにビルススタジオで働いていた中村から『設計スタッフを募集しているぞ!』って電話があって。後日、もみじ通りの店主の方たちが集う忘年会に参加させてもらいました。そこで『単に建物を設計するだけではなく、場のコンセプトから不動産も含めて総合的に場所をつくっていく』というビルススタジオの取り組みを知ったとき、自分のやりたかったことはこれだ!と思ったんです」 新たな場から、広がっていく化学反応 築年数が経った物件や大谷石の蔵、倉庫など、一般的な不動産会社では扱われにくい、「ひとクセあるが、他にはない魅力を持った物件」を街から掘り起し、そこで営まれるライフスタイルまでを含めて提案するのが、中村さんの仕事。 一方、後藤さんは、入居や購入する人が決まった段階から、その人の思いや建物・土地が持つ魅力を大切に、コンセプトづくりから図面作成、見積もり、現場監理、引き渡しまで、すべてに携わっている。 ときには、二人のそれぞれの視点から、建物を活用していくための事業プランを考え、オーナーや入居希望者に提案することもあるという。 中村さん:「例えば、宇都宮市内にある大谷石でできた倉庫群のオーナーさんから、『個人か借りるには建物が広すぎて、入居者が見つからず困っている』と相談を受けました。大谷石の壁や鉄骨のトラス梁は無骨なつくりで、とても魅力的に感じたので、複数の店舗が集まる場所にリノベーションすることを提案。現在では、美容室や飲食店などの個性的な5店舗が入居する『porus(ポーラス)』というエリアに生まれ変わりました」 また、「宇都宮のまちなかで、面白い暮らし方をしたい」と希望していた方に、眺望に優れた6階建てのビルの最上階を提案。併せて、1~5階はシェアハウスとして活用する事業プランを提示したことをきっかけに、宇都宮市内初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING」が誕生した。 中村さん:「シェアハウスの住人たちが、近隣のお店が開催しているイベントに参加したり、地域の人たちと一緒に雪かきをしたり、新たな場ができたことで化学反応が起こり、交流や活動が広がっていくは、やっぱり嬉しいですね」 後藤さん:「僕たちが見つけ出した物件や、リノベーションした空間に共感してくれる人たちが集まってきてくれることもあり、自然と交流や新たな活動が生まれやすいのだと思います」 街の人とつながる“入り口”を、栃木市に 中村さんと後藤さんは、もう一人の同級生である大波龍郷さんと「マチナカプロジェクト」を立ち上げ、栃木市の地域づくりにも携わっている。 後藤さん:「マチナカプロジェクトをきっかけに、栃木市の中心部に誕生したシェアスペース『ぽたり』のコンセプトづくりや内装デザインなどをサポートさせてもらいました。ここではさまざまなイベントやワークショップが開催され、新たな出会いや人のつながりが生まれつつあります」 さらに、現在マチナカプロジェクトでは、栃木市の中心部にある空き建物を改装し、カフェやゲストハウスなどが入居する場をつくろうと計画している。 後藤さん:「いちばんの目標は、この場所を栃木市で新しい何かを始めたい人たちが、街の人とつながる“入り口”にすること。『もみじ通り』のように、この場所をきっかけに新たなお店が次々と誕生していく拠点にしていきたいです」 中村さん:「もう一つの目標は、ここの運営を通じてマチナカプロジェクトとして利益を上げていくこと。それこそが継続的にまちづくりに携わり、地域の魅力を高めていくためには大切だと思うんです」

自分たちの手で、暮らす街を面白く!

自分たちの手で、暮らす街を面白く!

村瀬正尊さん

現場に飛び込むことを決意。地域の課題解決を目ざして 「“民間自立型のまちづくり”というと難しく聞こえるかもしれませんが、ようは、『自分たちの手で、自分たちが暮らす地域を面白くしていこう』ということです。これまで地域活性化の取り組みは行政からの補助金に頼りがちで、一過性の活動で終わってしまうケースが多々見られました。そうではなく、自分たちで利益を上げながら、継続してまちづくりに取り組んでいくことが大切だと思うんです」 そう話す村瀬正尊さんは、小山市出身。大学生のころ、埼玉県草加市役所の「みんなでまちづくり課」で2カ月間、インターンシップを経験したことをきっかけに、まちづくりに興味を持つようになった。同じころ、若い世代などの起業を支援する「NPO法人 ETIC.(エティック)」のイベントなどにも参加。ここで自ら起業するという選択肢もあることを知ったという。 大学を卒業後、都内のオフィス家具メーカーに営業として2年間勤務したのち、やはりまちづくりの仕事に携わりたいと「ジャパンエリアマネジメント(JAM)」に入社。エリアマネジメント広告事業の立ち上げなどに携わった。 「エリアマジメント広告事業は、まちづくりの担い手が景観向上のためのルールに基づき、公道上や民有地の屋外広告を企業に販売し、得られた収入をエリアマネジメントの財源に充てようという事業。その立ち上げのために、深夜バスに乗って大阪や福岡、松山など全国各地の商店街を訪ねて回りました」 また、全国で自立的なまちづくりを目ざす団体や大学の教授、企業の担当者などが集うシンポジウムも開催。そうやって各地のまちづくり団体と関係を築いていたとき、一つの大きな壁にぶつかった。 「東京にいながら各地の地域活性化をサポートする活動は、どうしても『広く浅く』なってしまうのが課題でした。全国のいろんな方と知り合うなかで見えてきた地域の問題や、地元の人たちが抱える悩みを解決していくためには、思い切って現場に飛び込むことが必要だと思ったんです」 こうして村瀬さんは2009年、栃木県へ帰郷した。 “ハブ”となる人物との出会いが、大きな転機に 高校から埼玉の学校に通っていた村瀬さんは、じつはこれまで地元に対して、あまり関心がなかったという。栃木に戻ったとき唯一ツテがあったのが、JAMの仕事を通じて知り合った宇都宮大学の陣内教授だった。 「陣内先生に『県内で自分と同じような考えを持って、まちづくりに取り組んでいる若い人をご存じないですか』とうかがったら、ある3人の方を紹介してくれたんです」 その3人とは、本サイトでも紹介した、鹿沼で「CAFE 饗茶庵」やゲストハウス「CICACU Cabin」を運営する風間さん、宇都宮市のもみじ通りを拠点に、空間プロデュースを手掛ける建築設計事務所「ビルススタジオ」の塩田さん、インターンシップなどを通じて若者の力をいかし地域の課題解決を目ざす「NPO法人 とちぎユースサポーターズネットワーク」代表の岩井さんだった。 「自らの手で地域を盛り上げようと活動する3人の方と出会えたことで、『じつは栃木って、すごく面白い場所だったんだ』と実感しました。陣内先生も含む4人は、県内でさまざまな活動をする人たちをつなぐ“ハブ”の役割を果たしている方。みなさんに出会えたことで、県内での人脈が大きく広がっていきました」 自立型のまちづくりを目ざし、さまざまな活動を展開 2009年にマチヅクリ・ラボラトリーを立ち上げた村瀬さんが、塩田さんや風間さんとともに最初に手がけたのが「ユニオンスタジオ」のプロジェクトだ。宇都宮の中心部、ユニオン通りの空き物件を「ユニオンスタジオ」として活用。ここを拠点に、ユニオン通り界隈に暮らす“人”にフォーカスすることで、地域のつながりや魅力を探るフリーペーパー「Stew(しちゅう)」の発行などを手がけてきた。 2012年には、JR宇都宮駅西口から徒歩10分ほどにある空き倉庫を活用した「SOCO」プロジェクトをスタート。2階・3階はコワーキングスペース「HOTTAN(ホッタン)」として、1階は「TEST KITCHEN STUDIO」として活用している。 「TEST KITCHEN STUDIOには厨房設備や什器などを準備しており、『県内で飲食店を開きたい』という方が、その前に飲食店経営を経験する場として、人とのつながりを広げる場として利用していただいています」 また最近では、新たに「Plus BICYCLE」という情報誌の発行も始めた。 「栃木県内や宇都宮市内で、魅力的なお店やスポットを巡ろうとしたとき、街の雰囲気を肌で感じられる自転車は最適なツールです。ライフスタイルのなかに自転車をプラスすることで、より多くの人に栃木の魅力を実感してもらえたらと考えています」 ローカルと全国、両方の視点をいかして 2009年にマチヅクリ・ラボラトリーをスタートした頃、村瀬さんは「エリア・イノベーション・アライアンス(AIA)」の立ち上げにも携わった。AIAでは東京を拠点に、全国各地でまちづくり事業を展開する団体や企業をサポートしながら、民間自立型のまちづくりのノウハウを集め、これから同様の事業を始めようとする人たちの支援を行っている。また、自治体の財政が厳しさを増していくなか、公共施設を持続的に活用・運営していけるよう、公務員を対象にしたeラーニングなどのプログラムも提供している。 現在、村瀬さんは宇都宮を拠点に活動しながら、週2日ほど東京のAIAに出社。このように“二地域”で活動することには、大きなメリットがあるという。 「栃木県というフィールドがあることは、まちづくりの仕事を続けていくうえで、とても重要。このフィールドで実践し、成功した事例や得られたノウハウを、全国のほかの地域にいかすことができます。逆に全国の最新事例を、県内のまちづくりのヒントとして活用することもできるんです」 さらに村瀬さんは続ける。 「最近ではSNSの普及によって、東京にいながらにして地元のローカルな情報や旬な動きをタイムラグなく知ることができます。これまでは東京だけに向いていた意識が、地方にも向けられるようになっている。これはとても大きな変化だと思うんです。地方に関心を持つ都市部の人たちともつながり、巻き込んでいくことで、より面白いまちづくりが実現できるのではないかと感じています」 今後は、県内に民間自立型のまちづくり会社を立ち上げるのが村瀬さんの目標。自ら収益を上げながら、持続的に地域活性化に取り組むモデルケースをつくり出すことで、県内各地にその輪を広げていきたいと願っている。

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