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塩原温泉のPR動画を作成しました

塩原温泉のPR動画を作成しました | 地域とつながる

https://www.facebook.com/nasushiobarachiikiokoshi/videos/1182112188836712

塩原温泉のPR動画を協力隊が作成しました。この動画は、先日日本テレビ系「ヒルナンデス」の塩原温泉特集でも放送されるなど、塩原温泉の魅力発信に役立てられています。

地域おこし協力隊のFacebookページやInstagramでも公開されているので、ぜひご覧ください。

那須塩原市地域おこし協力隊Facebook
https://www.facebook.com/nasushiobarachiikiokoshi/posts/3185453768187523

那須塩原市地域おこし協力隊Instagram 
https://www.instagram.com/p/CBVEM0_Aq_0/

那須塩原市について

那須塩原市

東京都心から約150㎞離れた栃木県北部に位置する那須塩原市。新幹線や高速道路のアクセスも良く「那須高原の玄関口」としての役割も担っています。塩原温泉や板室温泉、アウトレット、アウトドアを楽しみにたくさんの観光客が訪れ、2年連続で「世界の持続可能な観光地TOP100選」にも選出されています。
古い建物をリノベーションした個性あふれるお店が集まるエリアや道の駅「明治の森・黒磯」がある県道369号は、板室街道と呼ばれ、おしゃれな飲食店やアートな施設が増えており、散策にぴったりです。
那須塩原・黒磯・西那須野のJR3駅周辺のほか、国道4号・国道400号などの幹線道路沿いに市街地が形成されており、とても住みやすいまちですが、さらに那須塩原駅周辺を中心とした「人々から選ばれる魅力あふれるまち」を重点推進テーマに県北の中心都市としての拠点づくりを進めています。
6年連続転入超過(転入者が転出者を上回る状態)が続いており、若い移住者に選ばれているまちです。

那須塩原市の先輩移住者の声

テレワーク移住で、暮らしとビジネスのクオリティUP

テレワーク移住で、暮らしとビジネスのクオリティUP

岡田陽介さん

東京近郊でやっと見つけたベストな移住先 2020年12月に那須塩原市へ移住した岡田さん。以前から旅行で那須エリアに訪れていたのかと思いきや、初めて訪れたのは僅か2ヶ月前、10月のことだという。 新型コロナウィルスの感染拡大により世界の状況が変わり始め、2020年3月には早々にオフィスを移転。全社員テレワークに切り替えた。住まいを地方に移したり、働き方を変えるなど、テレワークを前向きに捉え、より自分に合った働き方を選択してくれる社員が増えたという。岡田さん自身も「今後、日本の経済モデルは、東京一極集中ではなく地方に向いて行かないと立ち行かなくなる」。そう感じて、早々に地方への移住を考え始めていた。 移住先に求めたのは主に3点。程々の広さ、インターネット環境、東京へのアクセス。週に1、2回は東京へ行くことを想定し、1時間圏内を中心に探した。当初は神奈川県の逗子や葉山周辺などを具体的に調べていたが、東京と比較してそこまでのメリットを感じられなかった。東京近郊で様々な地域を検討するも、なかなか思うような場所が見つからない中、2020年10月、たまたま夫婦旅行で那須塩原市を訪れた。 訪れる前は「東京から新幹線で70分だし、この辺りもいいかもね」くらいの軽い気持ちではあったが、実際に訪れてみると、新幹線駅がありながらもまだ開発途中で、他地域と比べ格安で新築一軒家を購入できることに驚き、直感で「ここだ!」と思い立ったという。そして翌月には家を購入、翌々月には移住という急展開を迎えることとなった。 周りにも勧めたい、那須塩原市での暮らし 実は那須塩原市に移住したことを、これまで周辺にはあまり話をしていなかったという岡田さん。移住して3ヶ月が過ぎ、デメリットよりもメリットの方がはるかに多い今の暮らしを通じて、この選択は間違いではなかったと確信を得ている。 「この働き方が日本の基準になっていくと思うんです。東京のヒト・モノ・カネを地方に循環させるというのは、モデルとして正しいと思うので」。 現在の暮らしについて聞いてみると、夫婦揃って「何を食べても、素材がとても良くて美味しい」というのが一番感じていることだそう。新鮮で美味しい野菜は近所の直売所で、乳製品や精肉も高品質のものが気軽に手に入る。ドラッグストアやスーパーマーケットなど、生活に必要なものも数分圏内にあるので、何ひとつ不自由はしていない。自宅から15分ほどで行ける温泉も複数あり、その日の気分で使い分けている。そんな那須塩原市での暮らしに「クオリティオブライフは確実に上がりました」と断言。 「庭もあるので、暖かくなったら友人を呼んで、バーベキューをしたいですね」。 那須塩原市での暮らしは、都内に住む友人や会社の同僚にも勧めたい、と笑顔で話してくれた。 経営者自らも実感しているテレワークの良さ 東京に住んでいた頃は、朝6時30分に起きて身支度し、ほぼ終日取引先まわりの日々。現在はおおよそ8時から仕事を始めるが「テレワークは朝起きて、すぐ仕事に取りかかれるので本当にいいですよね」と、身支度や通勤時間がカットできたのは大きいと喜ぶ。日中はほぼテレカン(WEB会議)で、19時頃まで仕事が続く。夕飯・風呂を済ませ、少し寛ぐ時間を設けた後、自身のデスクワークに2時間ほど時間を費やす。 仕事に欠かせないアイテムは、パソコン、モニター、Airpods(Apple社のワイヤレスイヤホン)、主にこの3点だ。自宅が職場になったため、デスクや椅子にもこだわりがあるかと思いきや、そこは意外にも無いという。その理由のひとつはAirpodsを活用しているためだ。 日中はほぼオンライン会議になったが、必ずしもパソコンを前に行うものばかりではないため、Airpodsをつけてリビングであったり、家の中を動きながら参加することもあるという。場所を変えること自体が気分転換にもなる。 また、ウォーターサーバーやコーヒーメーカーも大活躍しているという。外に出ない分、飲み物を充実させることは多くのテレワーカーにとって大切なポイントだ。 テレワークになって一番大きな変化について聞くと「会食がなくなったこと」という意外な回答であった。以前は、ほぼ毎日会食続きで、深夜まで続くこともしばしば。今は平日の夜にこなしているデスクワークだが、当時はその時間が取れなかったため、週末に回すことになり、休日はない状況であった。そういった意味で「テレワークによって本質的な仕事ができるようになりました」と語る言葉に重みが感じられた。 メリットは多く聞けたので、栃木でテレワークすることのデメリットを伺ってみたが「特に無いんですよ」と一言。何かあれば東京に行くこともあるが、新幹線に乗れば1時間で到着するため、デメリットと言うほどではないという。 社員からも好評だという岡田さん流テレワークのすすめ 現在、岡田さんの会社では全社員がテレワークだ。IT企業のため、従来から週1でのテレワークを認めていた。また、東京オリンピック前後は交通機関が麻痺することを見越して、週2、3でテレワークができるよう環境整備はしていた。そのため、いざ完全にテレワークになっても特に問題はなかったという。 「テレワーク、テレカンを取り入れる必要性は絶対に出てくると思っていましたし、もともと海外オフィスとのやり取りもあったので、皆オンラインでの対応に慣れていました」。 2020年3月時点で以前のオフィスは解約し、本社機能はフレキシブルオフィスのWeWork内に移転。 都内在住者は自宅に仕事部屋がある人は少ないため「仕事をする場がない」という声もあるが、そのような場合はWeWorkのオフィスを使えるため、総じて好評だという。 テレワークのためのサポートも充実させた。例えば、元々のオフィスに備え付けていた椅子やモニターを、希望者が買い取れるようにした。また、自宅の環境整備のため月額の支援金も支給した。 テレワークは生産性が上がる、という声がある一方「一日中誰とも話さなかった」など、コミュニケーションの面ではネガティブな声も聞く。コミュニケーション不足を解消するために、社員同士がslack上でカフェテリアのようなスレッドを作り、雑談ルームで息抜きをしたり、昼休みにみんなで一緒にzoomランチ会をするなど工夫を凝らしている。「経営者として、テレワークは社員の業務状況のチェックだけでなく、メンタルケアもしっかり行うことが大切です」。 那須塩原で考える今後の展望 那須塩原市に住み始めてまだ3ヶ月ほどではあるが、移住の際に市の移住促進センターを利用したことで行政関係者との繋がりも生まれ、広がっているという。 「地方にはまだまだデジタル化していない部分は多いですが、暮らしの各部分にデジタルを導入することで、価値が生まれることがたくさんあると思います。それにより税金が効率的に使われるようになれば市民サービスも向上し、自分たちにもメリットとして返ってくるので、そういう流れが作れたらいいな、と感じています」。 また新たな取り組みとして動画配信を取り入れたいとも語る。 「動画を活用することで、より業務を効率化できる部分もあるので、自室を活用して撮影にもチャレンジしたいです」。 経営者にとってもメリットが数多くあるというテレワーク。 縁もゆかりもない土地への移住でも「クオリティオブライフは確実に上がった」と話す岡田さんの言葉に、背中を押される方も多いのではないでしょうか。 みなさんも栃木でテレワーク、はじめてみませんか。

ふらっと、深い出会いを

ふらっと、深い出会いを

豊田彩乃さん

実家で過ごすように、ゆったりとくつろいでほしい 商店街に面した大きな窓が白み始めると、シャッターの開く音や、住民どうしが交わす挨拶の声などが聞こえてくる。ここは栃木県那須塩原市の黒磯駅前商店街。地域の人はもちろん、観光の人も行き交う、街の息づかいを身近に感じる場所に、2018年6月、「街音matinee(マチネ)」という名のゲストハウスが誕生した。 もし、街音に泊まったら、朝はいつもより少し早起きをして、7時からやっているという近所の和菓子屋さんやパン屋さんに出かけてみよう。近くには「1986 CAFE SHOZO」をはじめ人気のお店も点在している。少し足を伸ばして温泉につかったり、山登りを楽しんだり、自然に触れるのもいい。ただただ何もせず、街音の畳の上でゴロゴロと本を読む、という1日も贅沢かもしれない。 「まるで実家で過ごすように、ゆったりとくつろいでほしい」。それがオーナーの豊田さんの思いだ。 一方で、現在、豊田さんは那須塩原市の移住定住コーディネーターも務めており、「農業に挑戦したい」「お店を開きたい」などといった、移住を検討する希望者のニーズを聞きながら、一緒に街を巡ったり、人や物件を紹介したり、移住関係の補助金の申請などの手続きをサポートしたりといった仕事も手がけている。街音が、那須塩原を訪れ、この街について知るための〝起点〟になればという思いも持っている。 日本一周と世界各国の旅を経て知った、ローカルの魅力 豊田さんは埼玉県の草加市出身で、東京の大学に通っていた4年生のころ、留学のために1年間休学。資金を貯めようとアルバイトをすることにしたが、幸運にも、がん患者がタスキをつなぎながら日本を一周するというチャリティーイベントの運営スタッフに選ばれ、約半年かけて47都道府県を巡るという貴重な経験をした。 「このとき、日本には美味しいものや美しいもの、やさしい人など、知られていない魅力が山ほどあることを肌で実感しました。海外に留学する際も、いろんな地域を見てみたいと思い、アジアから中東、ヨーロッパ、アメリカまで、各国を巡ることにしたんです」 そんな旅の途中、イスラエルのパレスチナ自治区で滞在したのが、「イブラヒムピースハウス(通称:イブラヒム爺さんの家)」という名の宿だ。 「ゲストハウスの周囲の道路は舗装もされておらず、ちょっと危なっかしい雰囲気なのですが、そこにイブラヒムお爺さんの家があって、お爺さんがいることで、ツーリストたちがいっぱい来るし、地域の人や子どもたちも安心してそこを訪れる。そんな交流の起点となる場所って、素晴らしいなと感じたんです」 こうした世界各地や日本中を巡った経験から、地域に入り込んで、人と人の距離が近い関係の中で、いろいろなことを学びたいと考えるようになった豊田さん。そこで興味を持ったのが、地域おこし協力隊だ。「協力隊であれば、卒論を書きながらもすぐに地域に入っていろんな経験を積むことができるのでは」と考え、新潟や山形など、各地の自治体の情報を集めるなかで、選んだのが那須塩原市だった。 「那須塩原は、生活の場であると同時に、観光地でもあって、いろんな人の暮らしが交わる面白い場所だと感じました。また、現在、駅前で建設が進められている『まちなか交流センター』や『駅前図書館』の計画なども、当時から住民の皆さんが積極的にかかわって進められており、ますます地域が面白くなりそうだと実感したんです」 人と人が出会う、起点となる場所をつくりたい こうして那須塩原市の地域おこし協力隊の第一号として採用された豊田さんは、商工観光課の配属となり、3年間、国内外から観光客を呼び込むための様々な活動に取り組んだ。なかでも、企画を担当した観光ツアーのアイデアは、トラベルブロガーが日本の知られざる地域の魅力を探り紹介していくという「We Love Japan Tour2015」のHidden Beauty大賞で、準優勝にも輝いた。 また、黒磯駅前で年2回開催されているキャンドルナイトをはじめ、地域の活動にも積極的に参加。自分自身でも、地元農家とコラボしたさつまいもの収穫体験イベントや、ワイン用ぶどうの収穫体験、篠竹のかごづくり体験など、さまざまなイベントを企画している。 「今では、街じゅうに知り合いが増えました。多くの人と積極的にかかわるなかで、新しい発見があることを、身をもって体感し、そんな人と人が出会う、きっかけとなる場所をつくりたいという思いがますます強くなりました」 その場所が、まさに「街音 matinee」だ。黒磯駅前商店街でキャンドルナイトを主催する、黒磯駅前活性化委員会会長の瀧澤さん(上写真。一緒にバンドを組んで、キャンドルナイトで演奏している)の紹介で、もと紳士服店だったこの物件と出会ったのが2016年。 以来、豊田さんは準備段階からいろいろな人に関わってほしいと、2017年10月には栃木県による「はじまりのローカルコンパスツアー」を受け入れ、建物が持つ味わい深い良さはなるべく生かしながら、東京などの都市部から訪れた参加者と一緒に、壁塗りなどの改装を行った(下写真の布団ボックスも、いろいろな人に手伝ってもらいながらDIYで製作したものだ)。そのツアーをきっかけに、参加者と豊田さんは意気投合。同年代の建築士志望のメンバーや、篠工芸作家などと、夢を持つものどうしがお互いに応援しあう「あやとり」というグループも結成している。 「街音に泊まって、那須塩原の街をゆっくり巡ってもらえたらもちろん嬉しいですが、そうでなくても、いろんなイベントにちょっと顔を出していただくだけでもいい。そうやってさまざまな人が関わり、つながっていくなかで、この場所、この街がだんだんと色々な人にとっての〝大切な第二の拠点〟に育っていったら嬉しいですね」 そう話す豊田さん自身も、この街音を通じてたくさんの人と巡り合い、つながることで、どんどん那須塩原の街が好きになっている。

那須の街を“自分の居場所”だと思ってほしい

那須の街を“自分の居場所”だと思ってほしい

宮本 吾一さん

魅力的な人が集う、那須という街にひかれて 「Chusという店名は、那須五山のひとつ“茶臼岳”から名づけました。ふだん那須の山々を眺めながら暮らす人たちが気軽に集まり、人と人がつながって、みんなで街をおもしろくしていけるような、そんな場所にしていきたいと思って」 そう話すのは、Chus代表の宮本吾一さん。 Chusは、まさに「マルシェ(直売所)」と「ダイニング」が一体となった場所。約200坪の広々とした店内の手前には、那須の農家の人たちが育てたおいしい食材とともに、宮本さんが生産者に会って直接仕入れた全国各地の食材も並べられている。その理由は、ここで一度にいろいろな食材を購入できたほうが、那須の食材を食べてもらえる機会が増えると考えたから。食材と食材の出会いも楽しんでほしいという。一方、店内の奥はカフェスペース。Chusに並ぶ食材を使った料理が楽しめる。 東京で生まれ育った宮本さんは、20歳のときワーキング・ホリデーでオーストラリアへ。1年間、自然が身近な環境で暮らしたことをきっかけに、帰国後も田舎で暮らしたいと考えるようになった。そのとき、たまたま見つけたのが那須のリゾートバイト。それから3年間、観光シーズンは那須で働き、残りの期間は海外や国内を旅してまわった。 「はじめは、那須に住み続けようとは思っていませんでした。けれど、ここで過ごすうちに、いろいろな人と出会い、那須にはおもしろい人がたくさんいることを知ったんです。例えば、黒磯のSHOZO COFFEEや、森の中にある納屋を改装したバーなど、センスあふれるお店を営む魅力的な人が多くて。こんな生き方ができるんだ、自分もまだ誰も手がけたことがないお店を、那須で始めてみたいと思ったんです」 地元の農家とつながるために、マルシェを まずはリヤカーを改造した屋台で、コーヒー屋台を始めた宮本さん。その2年後に、オープンしたのが「Hamburger Cafe UNICO」だ。 「お店の場所からは、那須の美しい山々が一望できて、目線を上げて景色を眺めながら食べてもらえるものをと考え抜き、ハンバーガーにいきつきました。当時、ハンバーガーはファストフードの代名詞。だからこそ、あえてスローフードと手づくりを大切にした、那須の食材をまるごと味わえるようなハンバーガーを提供しようと思ったんです」 けれど、地元の食材だけで、つくり続けるのは難しかった。 「冬場には、どうしても地元の野菜が少なくなってしまう。那須でカフェやレストランを営む仲間に聞いてみたら、みんな同じ悩みを抱えていました。なんとか、農家の方にお願いして野菜をつくってもえないか。そのためには、何よりも農家と“つながること”が大切だと思ったんです」 “つながる”ための手段として、宮本さんは「マルシェ」を開くことを決意。那須の農家に5軒、10軒と電話をかけ続けるうちに、1軒の農家が協力してくれることに。その方に会いにいくと、マルシェの趣旨に共感し、いろいろな生産者を紹介してくれた。こうして10台の軽トラが並ぶマルシェを、2010年に初めて開催することができた。 「来場者は数百人ほどでしたが、お客さんも農家の方もとても喜んでくれて、笑顔で会話をするシーンが会場のいたるところで見らました。直接、顔と顔を合わせてつながることの大切さを、改めて実感したんです」 「マルシェを毎日開催してほしい」。その声がChusのはじまり それからもマルシェの開催を続けていくと、那須で設計事務所や不動産屋、牧場、味噌屋、カフェを営む人など、協力してくれる人が増えていった。そして7人のメンバーが集まり、2012年にマルシェは「那・須・朝・市」にバージョンアップ。現在は春と秋の2回開催され、毎回5000人が訪れるイベントに。お客さんからは「毎日開催してほしい」という声が多く寄せられるようになった。 「とてもありがたいことですが、メンバー全員が他に仕事をしながらボランティアで参加していて、毎週集まって準備を重ねても、半年に1回開催するのがやっとなんです。でも、諦めたくなかった。毎日開催すれば、人と人のつながりがどんどん広がり、街が面白くなっていく。どうしたら実現できるか?お店にするしかないと思ったんです」 ちょうどタイミングよく、もと家具屋だったこの物件が見つかった。こうして「那・須・朝・市」の7人のメンバーが共同運営するChusが、2015年1月にオープンした。 誰もが参加できる「公民館」のような場所に Chusは、一言で表現するなら、マルシェをそのままお店にしたような場所だ。 「マルシェの魅力はいろいろなお店が集まり、人と人、人とモノがつながる機会があふれているところ。同じようにChusも、多くの人が参加できる場所にしていきたい。一応、僕が代表ですが、Chusは僕のものでも、7人のメンバーのものでもありません。那須連山のふもとに暮らす人はもちろん、県外の人も、誰もが参加することができる。そんなマルシェの会場のような、公民館のような場所をつくることを、僕たちは目指しています」 例えば、毎週木曜日は、イベントを開催したい人のためにお店を開放。イタリアンや中華のディナー会、音楽ライブ、映画上映会など、オープンから1年足らずで50件以上イベントが開催されている。 「これまでにマルシェを開催し、Chusをオープンしてきましたが、行政からの補助金などは一切もらっていません。ただ自分たちが面白いから続けているだけなんです。楽しんでやっているからこそ、人の輪が広がっていく。それは結局、自分にとってもプラスになると思うんです。それに、マルシェやChusによって街が面白くなっていけば、自分のライフスタイルも充実していきます。 多くの人にChusに参加してもらうことで、Chusや那須の街を“自分の居場所”だと思ってくれる人を増やしていきたい。そして、一人でも多くの人が、自分の居場所を良くしようと一歩を踏み出してくれたら嬉しい」 2011年に震災が起こったとき、宮本さんは自宅の建設を計画中だった。観光客は激減し、お店を続けられないのではと不安になることもあったが、宮本さんは計画を変更せず、那須に自宅を建てることを決意。現在、家族3人で暮らしている。 ここが自分の居場所だと決めた宮本さんは、これからもChusから、街を面白くする様々な試みを発信してくれるに違いない。

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