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移住体験プログラム

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\教えて!栃木市のおすすめスポット/ 移住者向けツアープランを作る”ランチ”会

\教えて!栃木市のおすすめスポット/ 移住者向けツアープランを作る”ランチ”会 | その他
開催場所 栃木市岩舟農村環境改善センター(こなら館) 栃木市岩舟町下津原1572-1
募集期間 2023.08.01(火)~2023.08.18(金)

令和5年度ふるさと農業体験学習(ぶどう狩り&新規就農相談会)参加者限定イベントを開催します。
栃木市の特産品ぶどう(巨峰)の収穫体験後、ランチ会をしながら移住者との交流会を実施します。
ランチ会では、栃木市移住体験施設「IJUテラス蔵人館」に出店した「くりとくら」が販売する「Sotto deli」のお弁当を食べながら、栃木市移住プランのためのおすすめスポットを話し合います。
気軽にお申し込みください。

日時:令和5年9月9日(土) 12時00分~14時00分
会場:栃木市岩舟農村環境改善センター(こなら館) 栃木市岩舟町下津原1572-1
内容:①「くりとくら」のお弁当でランチ交流会
   ②ツアープラン作成ワークショップ
定員:先着20名 ※ふるさと農業体験学習の参加者限定
料金:1,000円(お弁当代)※お弁当のメニューは指定できません。
   小さなお子様でお弁当不要の場合、お子様分の料金はかかりません。
申込方法:申込フォームこちらをクリック
     ※ふるさと農業体験学習の申し込みも必要です。ふるさと農業体験学習の申し込みはこちらをクリック

主催:栃木市地域政策課(0282-21-2453)

栃木市について

栃木市

栃木市は栃木県の最南端に位置し、佐野市、鹿沼市、壬生町、小山市などに接しているほか、茨城県や群馬県にも隣接しています。
東京から鉄道でも高速道路でも約1時間と優れたアクセスを誇る一方、西には三毳山や岩船山、中央には大平山を中心とする太平山県立自然公園、南にはラムサール条約登録湿地である渡良瀬遊水地が広がる自然豊かなまち。
渡良瀬川、思川、巴波川、三杉川など豊かな河川も有します。
また北東部から南東部にかけては多彩な農産物を生産する県内有数の農業地帯となっています。

栃木市の先輩移住者の声

住む人が誇りに思えるような地域づくりを

住む人が誇りに思えるような地域づくりを

國府谷 純輝(こうや じゅんき)さん

自分たちの住む地域に自信と誇りを 2022年6月。普段は静かな寺尾地区に続々と人が訪れた。目当ては「テラオ“ピクニック”マルシェ」。寺尾地区の象徴とも言える三峰山(象が寝そべった姿に見えるので通称「象山」とも呼ばれる)の麓、芝生が広がる寺尾ふれあい水辺の広場で、初めて開催されたマルシェだ。このイベントの仕掛け人こそが國府谷さんである。 寺尾をPRするためのマルシェはこれが2回目。1回目は2021年12月。栃木市の街の中心部にあるとちぎ山車会館前広場にて「テラオ“キッカケ”マルシェ」を開催した。寺尾地区を知ってもらうきっかけになれば、というコンセプトのマルシェ。寺尾地区で商売をしている方による飲食・物販での出店や、名物・出流そばの実演実食などを行った。 当初は、「寺尾のイベントに人が集まるのか・・・」と地元の皆さんは不安でいっぱいだったそうだが、蓋を開けてみたら大盛況。 「イベントを終えたその時点で、“次はいつ開催する?”と、皆さんから声をかけられました。地域の皆がひとつになってイベントを大成功に導き、自信にも繋がったと思います」 移住して約半年でのイベント開催。テラオ“キッカケ”マルシェは、國府谷さんが寺尾地区の人たちにしっかりと受け入れられるキッカケにもなったであろう。 「1回目のイベントは寺尾を知ってもらうためのもの。次回は寺尾に来てもらうイベントにしたいと考え、自分が寺尾で好きな場所でもあり、みんなに知って欲しい場所でもある寺尾ふれあい水辺の広場で開催しようと決めました」 しかし、寺尾地区を会場とするマルシェは初めて。街中から車で20分ほどかかる場所での開催に、「さすがに今回は人は来ないだろう・・・」という声も多く聞こえた。 迎えたマルシェ当日。開始前から集まってくる人の姿を見て、住民たちの不安は一気に吹き飛んだ。赤ちゃん連れのファミリーから、手押し車で訪れるおばあちゃんまで、普段はひと気のない広場が、多くの人で賑わい、訪れたお客さんたちからは、「こんなにいい場所があったなんて」と喜びの声で溢れた。 「イベントが大成功だったのはもちろんですが、何より嬉しかったのは、出店してくれた地元の方に“寺尾にとって歴史的な一日になりました”と言われたことです。1回目のイベントの時も感じたのですが、“どうせ人は来ない”というような、どこか引け目のような思いを持たれている方が多い印象でした。でも2度のイベントを通じて、自分たちの住む寺尾に誇りや自信を持ってくれたんじゃないかな、って思っています」 コロナを機に自分の進みたい道へ 大学生の頃から地域活動に興味があったという國府谷さん。地域に学生を派遣してインターンシップを行う学生団体に所属し、事務局長を務めた経験もある。卒業と同時に起業も考えたが、一度は社会人経験を積むため人材サービス会社の営業職へ。 「人と人とを繋ぐことに興味があったので、仕事は大変ではありましたが楽しかったです」 しかしコロナウイルスの感染拡大に伴い状況が一変。在宅ワークになり、人と会う仕事はリモートで完結。徐々に楽しいと思えることがなくなってしまった。 「何のために仕事をしているんだろう?と考えるようになってしまって。3年間働いて社会人としての仕事の仕方もわかってきたし、自分の好きなことをやる時期が来たんだな、と捉えました」 まちづくり会社、NPO、地域おこし協力隊などへの興味から、実際にそれらの仕事に就く人たちから話を聞いた。そんな中、地元・栃木県での地域おこし協力隊募集の中から、一番自分の希望に近い栃木市・寺尾地区での活動に興味を抱いた。 「活動するなら、生まれ育った農村部のような田舎がいいなと思っていました。自由に動きたいこともあったので、フリーミッションだった点も希望に合っていました」 実際に現地を訪れ、寺尾地区の公民館で働く市職員や、住民の方とも話をした。中でも強く印象に残っているのが、寺尾地区への移住者で有機での農業を営む「ぬい農園」の縫村さんとの出会いだ。 「栃木市を訪れた時にいろんな方とお話ができて、移住するイメージが一層膨らんだのですが、帰り際に縫村さんが寺尾への想いを熱く語ってくれて。ぜひ来てほしい、と力強く言ってくれたんです。その想いに、グッと引き寄せられましたね」 すぐに決意が固まった國府谷さんは、栃木市地域おこし協力隊へ応募。2021年6月より、寺尾地区を拠点に活動することになった。 何事もチャレンジしてから判断する 地域おこし協力隊として着任し、まず行なったのは地区内の挨拶まわり。自治会長、企業、個人事業者といった方々はほとんど挨拶に伺った。 「職場が寺尾地区の公民館勤務だったので、その点もよかったです。開放感のある明るい雰囲気の公民館には、自治会長や農家さんなど多くの方が来られるので、その都度、職員さんが紹介してくれました」 少しずつ寺尾地区での人脈を広げながら、一年目はさまざまな取り組みを行なった。 マルシェの企画・運営、寺尾地区の総合情報サイト「テラオノサイト」やお店を紹介している「テラオノマップ」の製作、名物・出流そばのP Rのための動画製作、農業体験用の畑づくり、大学生のインターンシップ受け入れ、若手事業者を集めたプレイヤーズミーティング、テレワークスポットの発掘や紹介、YouTubeラジオ番組など、多岐に渡る。 「現在は活動2年目ですが、実際にやってみて違うな、と思うものもあったので、そういったものは一度やめて、手応えのあったものだけ継続しています。何でもやってみないとわからないので、今後もいろんなチャレンジをしていきます」 次々と新しいことへ挑戦する國府谷さんだが、それは寺尾地区の皆さんの支えがあってこそだという。 「寺尾の人たちは、チャレンジに前向きな人が多いんです。同世代だけでなく、上の世代の方たちが応援や感謝をしてくれて、“どんどんやれ!”といつも後押ししてくれます。自分がこれだけ自由に動けるのは、皆さんのサポートがあってこそだといつも感謝しています」 また、得意なことをやっているというより、初めてのことにチャレンジすることが多いという。そのため、その分野に詳しい方たちに話を聞きに行ったり、修行させてもらうことで、自分にできることを少しずつ増やしている。 「移住を後押ししてくれた縫村さんには、移住者の先輩として教えてもらうことも多いですし、畑のお手伝いをさせてもらうことで農作物のことを教えてもらったりもしています。こういった方が近くにいるのも心強いですね」 新しいことにチャレンジする姿勢は、プライベートでも人とのつながりを広げている。 「隣接する小山市協力隊の横山さんが“クロスミントン”というスポーツで日本チャンピオンになった経験があって、何度か練習会に参加させてもらいました。初めてでも楽しめるスポーツなので、栃木市でも流行らせたいなと思い、参加者を募って栃木市でも練習会をスタートしました。また、栃木市役所にサッカーチームがあり、そのメンバーにも加わらせてもらっています。趣味であるスポーツをきっかけに、寺尾地区以外のコミュニティも広がっていますね」 意外なことに、実は人見知りだという國府谷さん。 「だからこそ、いろんなものを創り上げて、自分がやっていることをコミュニケーションツールにしています。何か形になるモノやコトがあれば、それをきっかけに話を広げられるので、そういった地域への入り方もあると思いますよ」 寺尾をより多くの人に知ってもらいたい これからの取り組みについて、大きく2つの軸で動いていきたいと語る。 「イベントを通じて、寺尾に住むことへの誇りを持つ人を増やしたり、外から来る人の視点により、地元の人が寺尾の魅力を再発見する気づきを与える機会を作っていきたいと思います。また、自分自身もずっと寺尾に居られるように、事業化を意識しながら今後の活動に取り組んでいきたいです」 前回のテラオ“ピクニック”マルシェからコーヒー屋として自身も出店したり、育てたハーブでハーブティーを作るといった取り組みも始動している。 またこうした國府谷さんの動きが話題となり、寺尾地区に隣接する周辺地区からも「うちの地域も盛り上げてくれないか」と声が掛かるようにもなってきたという。 「うまくいくことばかりではないですが、主体的にチャレンジする気持ちは常に持って行動することが大事だと思っています。次は2022年12月10日に開催するテラオ“キッカケ”マルシェVol.2に向けて動いています。寺尾地区の皆さんとひとつになって、寺尾の魅力を伝えられたらと思います」

子育て、家事、仕事。今がちょうど良いバランス

子育て、家事、仕事。今がちょうど良いバランス

冨永美和さん

山形、栃木、茨城、やっと見つけた定住の地 山形に生まれ、就職も山形で。冨永さんが長年の慣れ親しんだ土地を離れたのは、結婚がきっかけであった。夫も同郷の出身だが、栃木県内で働いていたこともあり、2015年に山形から栃木県下野市へ移住。 冨永さんの会社は都内にも事業所があり、仕事は辞めずに転勤という形で東京に通勤することになった。その後、夫の転職を機に一度は茨城県古河市へ。 ちょうどその頃、第一子が生まれたこともあり、古河近辺でマイホームを建てたいと考えるようになったという。 東京通勤が可能な街を条件に、茨城県、埼玉県なども調べてみたが、条件に一番合ったのが現在暮らしている小山市であった。 下野市や古河市に住んでいた頃は、東京・港区のオフィスまで電車で通勤していた。在来線なので電車に乗る時間は1時間30分程度。ドアtoドアだと2時間ほどかかっていたという。 「下野市に住んでいた時は、まだ子どもがいなかったので東京通勤でもよかったのですが、出産後、古河市に移住し通勤していた時は、子どもと触れ合える時間がとても少なかったんです」。 朝は子どもが起きる前に家を出ていたため、コミュニケーションを取れるのは帰宅後のわずかな時間のみ。 「私の中で、子どもと会話する時間を確保することはとても大切で。通勤していた時の働き方ですと、いずれ会社を辞めなければいけないな、と考えていました」。 育児と仕事の両立の難しさに悩む中、第二子出産のため産休を取ることに。 ちょうど小山市に建てたマイホームも完成し、2018年4月、冨永さんファミリーは小山市に移住し、新たな暮らしが始まった。 仕事、育児、家事、全てをこなせるのはテレワークのおかげ 育児休暇の最中、世の中の動きが一変した。 新型コロナウイルスの影響で、2020年4月から所属する部署の社員は全員テレワークに。冨永さんは2020年8月に職場復帰するも、他の社員と同様にテレワークという形での復帰となった。現在もテレワークは続いているが、事務処理のため月に一度だけ出社している。 テレワークになったことで、生活は大きく変化したという。これまで通勤に充てていた時間で家事ができるようになったので、夜に家族とくつろぐ時間がとれるようになった。 「毎晩、子どもに絵本を読んであげられるようになりました。テレワークになったことで、仕事、育児、家事、全てが効率よくこなせられるようになったのはとても嬉しいですね」。 またテレワークのメリットとして、「昼休みを有効活用できるのは大きい」という。 細々した家事を昼休みの間にこなしたり、気分転換に外出し、簡単な買い物を済ませることもできる。最近は家にいる時間を心地よく過ごせるよう、花を買いに行くことも増えたそうだ。 逆にデメリットも多少なりともある。 2020年8月の職場復帰の際に部署が変わったのだが、同僚全員がテレワークだったため、顔と名前、担当業務を十分に把握しきれていない部分があった。そのため作業の非効率を感じることが稀にあるそう。 「私の場合、異動とテレワークのタイミングが重なってしまったという稀な状況ではありますが、全員がテレワークだとこういう難点もあるんだな、と感じています」と苦笑い。 それでも、チャットですぐ連絡が取り合えるため大きな支障はなく、テレワークの継続は強く望んでいるという。 取り入れたいヒントがたくさん、 冨永さん流テレワーク環境と実践のコツ 冨永さんの主なワークスペースは、リビングとキッチンの間にある。一般的な住宅の間取りではあまり見慣れない、半個室のようなスペース。 たまたまなのか、意図的なものなのか伺うと「もちろん意図的です。職場に数名、以前からテレワークをしている方がいたんです。地元に戻られて仕事を続けている方たちで。前例があるので、いつか私もテレワークができるかも。という思いがあり、家を建てる際に作業スペースを確保しました」。 専用の部屋を作らず、あえてリビングとキッチンの間にレイアウトした点が、仕事と育児と家事を両立したいという冨永さんらしい。 「ここなら、子どもがいる時でも目を離さずにちょっとした作業ができますし、昼休みや終業後、すぐ家事に取りかかることができるのでとても便利な場所です」。 良い点は他にも。「1つの部屋に、自分のデスク、リビングテーブル、ダイニングテーブル、3つの机があるんです。仕事では主に自分のデスクを使いますが、食事や気分転換したい時は使うテーブルを変えています」。 同じ部屋にいながら作業する場を変えるというのは、気分転換の方法として誰でも気軽に取り入れられそうだ。 そしてテレワークを楽しむために冨永さんが実践しているのが、飲み物を充実させることだ。「珈琲や紅茶は専用のマシンを使って、様々なフレーバーを楽しめるようにしています。毎日麦茶では、なかなかモチベーションが上がらないので」。 仕事をする上で心がけていることを聞くと「会社の方から連絡があった際は、すぐにレスポンスします。また、社内の方とはチャットを使ってやり取りしているので、できるだけ簡潔に、わかりやすく相手に伝えるよう意識しています」。 相手から見えない分、常に仕事をしている姿勢を示すことで信用を失わないようにすること。また相手もスムーズな仕事ができるよう心がけて対応すること。このようなことはテレワークによって学べたことだ、と話してくれた。 テレワークと小山の暮らしがもたらした日々の幸せ テレワークはしばらく続きそうではあるが、会社としては一時的な対応であるという。 「ただ、私としてはこのままテレワークを続けたい。会社にも相談しています」と話す。 仕事、家事、育児、全てがこなせる今のバランスが良いのはもちろんだが、その場所が小山であることもポイントになっている。 「今まで、いくつかの街で暮らしましたが、小山での暮らしがとても気に入っているんです」。 その理由として、気候が良いこと、広い公園が多いこと、子どもも楽しめるマルシェが多いことなど、子育て環境の良さがまず挙がるという。 またテイクアウトを行なっているお店や、SNSで情報発信してくれるお店も多く、小さな子どもがいるママにとってはとてもありがたいのだそう。 「お店の方の、地域を盛り上げよう!という気持ちが、SNSやマルシェを通じて伝わってくるんです。地元への愛着がとても強いんだなぁって。そんな街に暮らせて、本当に良かったと思います」。 小山で暮らしはじめて新たに見つけた趣味もある。 「次男が生まれてから、洋裁を始めたんです。息子たちの洋服を作ったり、洋服を作ってお友達にプレゼントしたり。子どもの為でもありますが、自分の趣味でもあるので、楽しいです。そういった時間が取れるようになったのもテレワークのおかげですね」。 東京から近く、新幹線も停車する小山市。その利便性の良さから、人口が増え続けている街でもある。 東京通勤している方も非常に多いが、小さなお子さんを持つママであれば、少しでも子どもと一緒にいる時間を確保したいところ。 テレワークによりお子さんとの時間をしっかり確保しながらも、月に1度の東京通勤は気軽に行ける、そんなバランスが子育てママにはちょうどいいのかもしれない。皆さんも、とちぎでテレワークをしながら、理想の暮らしを実現してみませんか。

暮らしと仕事のつながりが楽しい

暮らしと仕事のつながりが楽しい

早川友里恵さん

のびやかな街の雰囲気にひかれて 「就活を始めたばかりの頃は、東京で働きたい、栃木に戻りたいといった希望はまだ明確にはなくて、当時は就職氷河期だったので、興味のある企業を必死になって受けていました」 そう話す早川友里恵さんは、宇都宮市の出身。茨城県の筑波大学で学び、就職活動では東京や愛知などにある食品メーカーを中心に回った。「岩下食品」を受けたのは新生姜やらっきょうなどのファンで、普段からよく食べていたからだという。 だんだんと選考が進み、どの企業に就職するのか、これからどこで暮らしていきたいかを真剣に考えたとき、頭に浮かんできたのは栃木市の街並みだった。 「岩下食品の面接の日に早く着いてしまって、蔵が残る巴波川沿いなど、栃木の街を歩いて回ってみたんです。そしたら、街の雰囲気がすごくゆったりしていて、荒物屋さんや駄菓子屋さんなどのレトロで懐かしいお店もあれば、おしゃれな飲食店などの新しいお店も充実している。とても暮らしやすそうな街だなって感じました。逆に、面接でよく訪れていた東京は、立ち並ぶビルの圧迫感などに疲れてしまうことが多くて。私には、実家にも近く、のびのびとした雰囲気のこの街が合っていると思ったんです」 また、岩下食品では、高校で美術部に入っていた頃から独学で覚えた、イラストレーターやフォトショップの技術をいかせそうだったことも、大きな決め手に。こうして早川さんは2011年4月に栃木にUターン。岩下食品で働き始めた。 “しんしょうがくん”のブログをきっかけに、新プロジェクトへ 入社後、商品企画部に配属になった早川さんは、プレゼン資料や商品のポップ、チラシの制作などを担当。商品PRを目的としたイベントの企画・運営なども手がけてきた。3年目からは、ウェブサイトの更新も行うようになり、大幅なリニューアルも担当した。 「更新をタイムリーに、内容も自社で自由に作り替えられるように、というのが会社の方針で。主要なところだけを制作会社さんにお願いして、あとは“HTML”や“CSS”について勉強しながら、なんとか自分たちでリニューアルを行いました」 その後、ネット通販も担当。入社5年目の現在では、サイトの運営だけではなく、得意先に納品に出かけたり、集金を行ったり、注文を受けてから商品を届けるまでのあらゆる仕事に携わっている。 そんななか、入社2年目から若手の先輩社員たちと一緒に、自発的にスタートしたのが「ちょっとそこまで新生姜」というブログだ。 「ブログの主人公は、私がフェルトで手づくりした“しんしょうがくん”というキャラクター。この“しんしょうがくん”と一緒に、岩下の商品を使ったメニューを提供してくれている飲食店へ出かけたり、イベント出店の様子をレポートしたり、栃木の街並みを紹介したり、私たち自身も楽しみながら200件以上の記事をアップしてきました。すると、『なんか面白いことをやっている若手がいる』と社長の目にとまり、新たにオープンするミュージアムのプロジェクトに参加させてもらえることになったんです」 小さな会社だからこそ、多くのことに挑戦できる ミュージアムとは、2015年6月に栃木市内にオープンした「岩下の新生姜ミュージアム」のことだ。館内には、商品に関する展示だけではなく、新生姜を使った料理が味わえるカフェや新生姜の被り物をかぶって記念撮影できるコーナーや、岩下漬けの体験コーナーなど、遊び心あふれるコンテンツが充実している。 「私は主に『新生姜の部屋』を担当しました。ここは人間サイズになった新生姜が暮らす部屋をイメージして、細部まで新生姜にまつわるネタを散りばめています。新生姜と恋人になった気分で、さまざまな写真が撮影できるフォトスポットです!」 このほかにも、新生姜の被り物の企画や館内にあるジンジャー神社のおみくじ、絵馬のデザインなどを担当。クリスマスなどのイベント時には、飾りつけなどもすべて自分たちで行っている。 「ミュージアムに来てくれたお客さまに『あの展示がすごく面白かった!』『初めてこの商品を食べたけど、おいしかった!』などの声をいただくと、ますますやる気がわいてきます。岩下食品の魅力は、大きな会社ではないので、いろんな仕事に携われるところ。自発的に動くことで、さまざまなことに挑戦できます」 どんどん広がっていく、街の人たちとのつながり 毎朝、自転車で会社に向かう早川さん。通勤時間はわずか10分ほど、渋滞や満員電車に悩まされることはない。一方、住まいから栃木市の中心部へは、歩いて10分ほど。休日には散歩がてら、雑貨店や飲食店などに出かけることも多いという。 「栃木市には、おいしい飲食店が多くて、先輩たちとよく通っている市内のリゾット屋さんがミュージアムの料理を監修してくれたり、ファンだった洋菓子店が新生姜のマカロンを提供してくれたり、暮らしと仕事がつながっているところが楽しいですね。仲良くなったお店の方と一緒に、イベントやライブに出かけることもあるんです」 また、ここ数年で栃木市の街中には、シェアスペース「ぽたり」や古道具と雑貨の店「MORO craft(モロクラフト)」など、若い人たちが営むお店が次々と誕生している。早川さんも、ぽたりで開催されているライブやワークショップ、飲み会などに参加。ぽたりをきっかけに知り合った大工さんが開催する、木工教室のサポートも行っている。 「ここ1、2年で、地元の友達が本当にたくさん増えました。今、栃木市では、同世代の若い人たちが地域を盛り上げようとさまざまな活動をしていて、街に活気があふれています。私も、さらにつながりを広げていきたい。そして、ウェブなどの得意分野をいかして、地域の活動にも積極的に関わっていきたいです」 早川さんにとってこの栃木の街は、仕事に打ち込む場所であり、普段の暮らしを楽しむ場所。さらに今では、新たな出会いが広がっていく大好きな場所に。

誰もが地域を面白くすることができる

誰もが地域を面白くすることができる

田中 潔さん

400年にわたり受け継がれた、米づくりを守るために 田中さんが写真に興味を持ったのは、姉の結婚式を撮影したことがきっかけだった。そのとき撮った一枚の写真を、姉夫婦をはじめ多くの人がほめてくれた。大学受験に失敗し将来について悩んでいた田中さんにとって、周囲の言葉はひとすじの希望の光となった。 「その写真は、本当にたまたま撮れた一枚でした。けれど、一瞬で勝負が決まる写真の魅力に、強くひかれたのを鮮明に覚えています。当時は農業を継ぐのが本当にイヤで、カメラマンになろうと家出同然で実家を飛び出したんです」 20歳で上京した田中さんは、写真スタジオに勤めたあと、アシスタントとして経験を積み独立。十数年間、カメラマンとして第一線でキャリアを重ねてきた。「実家に戻るつもりは、まったくなかった」という田中さんだが、いつも実家から送ってもらい食べていたお米が、じつは他人がつくっているものだと知ったとき、その心境に大きな変化が。 「父は、年齢を重ねるうちに手が回らなくなり、米づくりを業者に委託していたんです。そのことを聞いたとき、400年続く米農家が他人のつくったお米を食べていることに危機感を感じました。自分が米づくりを守らなければと、実家に戻る決意をしたんです」 こうして2010年に地元に戻った田中さんは、栃木県内の農家のもとで有機栽培の基礎を学んだ。同時に、父親からも新波の土地に合った栽培方法など、多くのことを教わったという。 「昔、新波地区では洪水が多く、一面が水につかったこともあったそうです。それでも先祖がこの地を離れなかったのは、土地が豊かだったからにほかなりません。田中家には代々受け継がれてきた栽培の知恵や、粛々と続けられてきた自然を敬う風習などが息づいている。ぼくはこうした“土地の魅力”をもう一度掘り起し、大切に受け継いでいきたい。それこそが、自分の役割だと思うんです」 農業を魅力的かつ、稼げる仕事にしていきたい! 川が運んだ肥沃な土地に恵まれ、古くから「おいしい」と評判だった新波のお米。田中さんはこの地で、春には地元から出る“米ぬか”と“酒粕”でつくった有機質肥料を、秋には“米ぬか”や“もみ殻”を田んぼにまき、農薬や化学肥料を一切使うことなくコシヒカリを栽培している。また、肥料のもちをよくするために栃木県特産の“大谷石”の粉末を入れるなど、「土地ならではの味」を引き出すことを追及。こうして大切に育てたお米を、「NIPPA米(ニッパマイ)」という新たなブランドとして販売している。 「ぼくにとって、米づくりも写真の仕事も同じ“ものづくり”。その姿勢が変わることはありません。大切なのは『自分がいいと思うもの、おいしいと思えるお米をつくること』。写真表現で培った感性を生かしながら、自分だからこそできる新たな米づくりを、この新波から発信していきたいと考えています」 「NIPPA米」のファンは県内だけでなく首都圏にも多く、田中さんは直接「NIPPA米」を発送している。栃木市や宇都宮市にあるカフェや雑貨店、古道具店などでも「NIPPA米」を販売。益子の陶器市などのイベントにも積極的に出店し、「NIPPA米」でつくったおにぎりなどをお客さんに届けている。 また、毎年、田植えと稲刈りの時期に開催している体験イベントには、県内外から多くの家族が参加。「自分で植えたもの、かかわったものを食べるのは本当に豊かなこと。暮らしや食生活を見つめ直す、きっかけにしてもらえたら」と田中さんは願う。 「お客さんから直接『おいしかった』、『子どもがNIPPA米ばかり食べています』などの声をいただいたとき、この道に進んで本当によかったと実感します。ぼくは、農業を魅力的で稼げる仕事にしていきたい。カフェや雑貨店でお米を販売したり、イベントに積極的に参加したりと新たなチャレンジを続け、自分自身がその先駆けになることで、新波で農業をやってみたい、住んでみたいという人が増えていったら最高ですね!」 地域を面白くできる可能性が、誰にでも 現在、田中さんは、栃木市の中心部にある古道具と雑貨の店「MORO craft(モロクラフト)」の店主や、シェアスペース「ぽたり」のオーナーなど、同世代、若い世代の人たちと一緒に「ニュートチギ」という団体を設立。合併により広くなった栃木市全域で、つくる人・商う人・使う人のつながりを育みながら、新たな価値観で地域を見つめ直し、暮らしの楽しみや魅力を発信していきたいと考えている。 「地元に戻って感じたのは、つくり手やショップオーナーなど、身近なところにたくさん魅力的な人がいるということ。栃木市内ではまさに今、つくる人や商う人の連携が生まれ、新たなチャレンジが始まったばかりです。だからこそ、やる気と思いさえあれば、誰もが地域を面白くすることができる。そんな可能性にあふれているところが、このエリアの大きな魅力ですね」 昨年、田中さんは初めて酒米の栽培に挑戦。地域の酒蔵とコラボして「新波」という酒をつくり、地元の神社に奉納することを目ざしている。また、自分の田んぼの土とワラを焼いた釉薬を使い「めし椀」をつくるなど、今後は県内の作家と連携しながら「お米にまつわるさまざまなもの」をつくっていきたいという。 新波の地で田中さんが起こす新たな波は、きっとこれからも多くの人を巻き込み、さらに大きく広がっていくに違いない。

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