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足利で暮らす様々な人達の暮らし方をご紹介します

足利で暮らす様々な人達の暮らし方をご紹介します | 地域とつながる

都会と田舎のあいだっこ、そんな足利には様々なライフスタイルがあります。
この連載では足利で暮らす様々な人達の暮らし方をご紹介します。
 
第3回は「聖地巡礼」をきっかけに移住した協力隊・中村の暮らし方です。

詳しくは下記URLをご確認ください。
http://www.kararikoturn.com/topics/topics.php?id=575

足利市について

足利市

足利市は東京から北へ約80㎞、電車で約1時間ほどの距離にあります。
東武伊勢崎線とJR両毛線が通るほか、北関東自動車道足利ICも有し、都心からのアクセスが良好です。

北部には日光連山へ続く山々、南部には関東平野が広がり、中央には渡良瀬川がきらめく、自然豊かで穏やかなまちです。
自然災害によるリスクが少なく、積雪はほとんどありません。

子育て環境や医療環境も充実しているので、安心して快適に暮らせます。
史跡や文化遺産が数多く残るほか、近年は映画やドラマのロケ地、アニメの聖地としても人気を集めています。

足利市の先輩移住者の声

持続可能な里山暮らしを目指して

持続可能な里山暮らしを目指して

後藤 芳枝(ごとう よしえ)さん

田舎での丁寧な暮らしに憧れて 群馬県出身の後藤さん。高校卒業を機に上京し、服飾専門学校へ。20代は東京での暮らしを満喫し、音楽活動や古本屋での仕事、キッチンカーでの弁当販売など、さまざまな仕事を経験した。 欲しいものや必要なものは全て買えば手に入るが、30代半ば頃から「東京での暮らしって、消費するだけだなぁ」と考えるようになったという。 「丁寧な暮らしを紹介する雑誌をよく読んでいて、ナチュラルな暮らしに憧れていました。東京での生活は、日々の生活音をとても気にしてしまい、そういったことを気にせずに暮らせるような田舎に移住したいな、と思うようになったんです」 田舎暮らし、移住。日々そんなワードを検索する中で、地域おこし協力隊のことを知った。 「でも、全国の活動事例を見ても目にするのは若い人たちが活躍する記事ばかり。若者しかなれないものだと思い込んでいたので、自分が協力隊になるなんて想像もしていませんでした」 実家がある北関東を候補に移住先を探していた際に、足利市での農業体験情報を見つけ、市に興味を持った。そこから行き着いたのが、市主催のコミュニティイベント『足カフェ』だ。 イベントへの参加をきっかけに、市職員や足利市地域おこし協力隊との繋がりができ、翌月には足利を訪れることになった。 「“田舎でこんな暮らしがしたい、という理想はあるけれど、その土地に必要なことで、生業にできることって何だろう?”と考えていて、足利市の職員の方に悩みを打ち明けたところ、“地域に必要とされていることを知るためにも、協力隊に応募してみたら?”と言われたんです。自分の歳で協力隊に応募できると思っていなかったので驚きましたが、それなら!と思いました」 足利市への訪問を機に、協力隊への応募を決意。それから3ヶ月後、後藤さんの足利暮らしがはじまった。 地域の“つなぎ役”として 協力隊のミッションは、“自らの足利暮らしを通じた移住・定住の促進に関する活動”とのことで、後藤さんは興味がある“農業・里山暮らし”に焦点をあてた取り組みをしたいと考えた。 「農業体験に力を入れて取り組んでいる名草地区を拠点に活動したい、と市役所に提案しました。市としても名草地区を盛り上げていきたいとのことで、割とスムーズに名草での活動をスタートすることができました」 とはいえ、農業の知識や経験は全くなかった後藤さん。 まずは自分の存在を知ってもらおうと、名草で地域活性をしている団体の方々に挨拶周りをし、皆さんの手伝いをすることからはじめた。 畑での農作業、草刈り、ハイキングコースの整備・・・さまざまな体験を通し、農作業に必要な準備や片付け、季節ごとの作業、農機具の使い方、農業における先人の知恵、暮らしのアイデアなど、里山での農ある暮らしを身につけていった。 「協力隊1年目は、各地域で活動している皆さんのお手伝いをしながら、里山での暮らしについて学ばせてもらいました。2年目には自分で畑を借りて、農業体験をやってみよう!と動き始めました」 借りた畑は『名草ちっとファーム』と名付けた。「畑をちっとんべー(“少しばかり”の意)やってます」という意味で、これが親しみがあってわかりやすい、と地元の人から好評を得た。 「自分で畑を借りて農作業を始めたことで、地域の方との関係性が良い意味で変わったなと感じました。それまでは手伝いだけで受け身だったのが、まだまだ同じ立場とまでは言えませんが、会話の内容も一段階上がったというか。人との繋がりも広がりましたし、やはり自分でやってみるって大切だなと実感しましたね」 少しずつ里山暮らしに手応えを感じていく中で、活動を形にしていこうと立ち上げたのが『名草craft』だ。 人と人を丁寧に繫ぐという思いと、自身も天然素材でものづくりをするような手仕事をしていきたい思いから、クラフトという言葉を選んだ。 「竹や麦などの素材を使って、かごやオーナメントを作っています。名草のような里山でも、かごを作れる人は少ないんですよ。そうした日本の昔ながらの手仕事を残していきたくて」 昔ながらの伝統でいえば、『名草生姜』も忘れてはいけない。 「協力隊3年目の時に、宇都宮大学の学生たちと地域課題を解決するための研究プロジェクトが始まりました。その中で、名草産の生姜に着目し、PRのためのワークショップや、商品開発、市内の飲食店の皆さんにも協力いただきレシピブックを作成しました」 協力隊の3年間を通じて後藤さんが感じた自身の役割は、“つなぎ役”になるということ。 「人と人を繋ぎ、ものづくりをしたり、誰かのやりたいことを形にしたり、困りごとを解決したり。つなぎ役がいることで実現することってたくさんある、ということを実感しています。その役割を担っていければと思っています」 里山で広がる人とのつながり 協力隊としてP Rに力を入れた『名草生姜』。後藤さん自身も名草生姜を守るべく、栽培をはじめた。 以前は名草地区でも複数の農家で生姜が作られていた。しかし、現在大規模に生姜を作っているのは、生姜農家の遠藤さんだけだという。 「生姜の栽培から、収穫、貯蔵、種作りまで、遠藤さんに教えてもらっています。わからないことがあれば、何でも丁寧に教えてくれるんですよ」 生姜に限らず、後藤さんは農業のイロハについて、遠藤さんをはじめ集落営農組合のおじいちゃん達にお世話になっている。 「米作りのこともアドバイスしてもらったり、農機具を貸してもらったり、とても助かっています。そのかわりに、農作業の後片付けや雑務などは私たち若い世代がやっているんですよ。持ちつ持たれつの関係ですね」 また、後藤さんがプライベートでも仲良くしているのが、同世代の奥村さんだ。 「とにかく話が合うんですよね。今欲しいものは・・・(二人が声を揃えて)耕運機!とかね。こんな暮らしがしたいとか、こういうことをやりたいとか、その感覚がとても近くて。話をしていて落ち着くんですよ」 ふらっと奥村さんの家を訪れては、お茶を飲んで何気ない会話を楽しんでいるという。 そんな奥村さんも、滋賀県から群馬県を経て、名草地区に魅せられてやってきた移住者仲間。養鶏を生業としており、「自分たちで作れるものは作る」という考えも後藤さんと通ずるところだ。 「狭い地域ではありますが、名草には魅力的な人が本当にたくさんいるんです。こうした人たちの存在が、私が名草にいる理由でもあります」 夢に描いていた暮らしができつつある 2022年3月に地域おこし協力隊の3年間の任期を終え、現在、後藤さんは足利市集落支援員として引き続き名草地区で活動している。 基本的には、協力隊時代に取り組んできたことを継続して行っているが、変化したところもある。 「協力隊の時は、自分のやりたいことで地域を盛り上げる活動をしていました。そのため、関わる人も既に地域で活動している人が多く、それ以外の方々と繋がるきっかけが少なかったと感じていました。集落支援員としては、もっと幅広く地域に貢献していきたいと思い、自分たちの活動を知ってもらうために新聞を作ったり、朝の太極拳をはじめました」 長年太極拳をやられている方がおり、朝のラジオ体操の感覚で太極拳の体験会をしてみたという。すると、これまで交流のなかったおばさま(お姉さま)世代がたくさん参加するようになり、また新たな人との繋がりができるようになった。 新たな人との繋がりは、新たな里山暮らしの知恵をもたらしてくれる。そうして、後藤さんは、ますます“名草の人”として地域に馴染んでいくのだ。 「そうして徐々にできることを増やしていって、いずれは自分の生業で地域に貢献しながら暮らしていけるようになりたいです」 「協力隊としては何もかも未知からのスタートでしたが、新しいことにチャレンジして周りに助けてもらいながら、色んな経験ができました。この歳になっても自分が成長できることってこんなにもあるんだ、と実感しています。時間はかかりましたが、今やっと30代の頃に描いていた理想の暮らしができつつあります。特別なスキルがなくたっていい。思い切って、ローカルでチャレンジしてくれる人が増えたらいいですね」

長く手元に置きたくなるデザインを

長く手元に置きたくなるデザインを

惣田紗希さん

より長く、その人の生活のなかにあるものを どこか切なく透明で、でも、奥底に強い意志を持っている。惣田紗希さん自身が“女の子”と呼ぶそのイラストをはじめて目にしたとき、そんなふうに感じた。 「この女の子は、誰でもなくて。描き始めたのは、あるコンテンポラリーダンスの映像を見たことがきっかけでした。同じ格好の女性が建物のなかでひたすら踊るシーンを目にしたとき、『体のラインがキレイだな』って思って。人の体を描きたいという思いから、半袖半ズボンになって、鼻と口が省略されていって……。最初は仕事とは別に、自分の日常の記録というか、考えを整理するために描いていたんです」 都内のデザイン事務所で、実用書などのデザインを手がけていた惣田さんは、2009年に退職。ちょうどその頃、友人に頼まれて「cero」というバントのジャケットデザインを担当したことをきっかけに、音楽関連のデザインを数多く手がけるようになった。仕事でイラストを描くようになったのも、CDジャケットがきっかけ。 「描きためていた“女の子”のイラストを、『ザ・なつやすみバンド』のメンバーが、『無機質だけどポップな雰囲気もあっていいね』と気に入ってくれて。ジャケットに女の子のイラストを描かせてもらったところから、キャラクターとして広まっていって。書籍や雑誌でのイラストの仕事も増えていったんです」 それまで、グラフィックデザイナーとして活動してきた惣田さん。イラストの依頼が増えるにつれて、「本業として経験を積んできたわけではないのに、自分がイラストレーターと名乗っていいのか」という葛藤もあった。 「でも、デザインの先人を見ると、自分でイラストを描き、デザインも手がけている人はけっこう多くて。どちらからの視点も、自分の仕事には大切な要素が多いことに気づいてからは、イラストの仕事も楽しくなってきました。今では、写真家やイラストレーターなど、いろんな人の力を借りて誌面をつくり上げるデザイナーの仕事も好きだし、イラストレーターとして誰かの力になることも面白いなって感じています」 現在、仕事の割合はデザインとイラストで半々。そのどちらの仕事をするうえでも、大切にしていることがある。 「音楽も本もデータで買える時代に、せっかくモノとして届けられるのなら、より長くその人の生活のなかにあり続けられるものをつくりたい。だから、『ジャケットを部屋に飾っています』『ブックレットを繰り返し読んでいます』などと言ってもらえたときは、本当に嬉しいんです」 惣田さんは、イラストを仕事で手がけるようになってから、1日1枚を目標にイラストを描き、SNSにアップしてきた。それられのイラストが韓国の出版社の目にとまり、『Waving Lines』という作品集として出版されている。 足利だからこそ生まれた、新たな作品 足利で生まれ育った惣田さんは、産業デザイン科に通っていた高校の頃、先生に『STUDIO VOICE』や『relax』などの雑誌を見せてもらい、デザイナーの仕事に憧れを持った。そして、桑沢デザイン研究所を卒業後、前述の都内にあるデザイン事務所へ。 「そこでは、グラフィックデザインの基本をみっちり学ばせていただきました。けれど、担当した本が、どんなふうに求められて、どんなふうに届いているのか分からないことが不安になって。一度デザインの現場を離れて、もう一度本まわりのことを勉強しようと思ったんです。本がお客さんの手に届く現場を見てみたくて、本屋さんで働いたこともありました。そのうちに、だんだん音楽関係の仕事が増えていって、フリーランスとして活動するようになりました」 それまで東京を拠点としていた惣田さんが、足利にUターンしたのは2013年春のこと。それ以降も、都内から依頼される仕事を中心に手がけている。 「都内で打ち合わせがあっても、足利からは特急で1時間、普通で2時間で行くことができるので、不便さはあまり感じません。むしろ東京にいなくても、自分で立てたスケジュールに合わせてのんびりと、面白い仕事ができることを日々実感しています」 自然が身近にある環境も、仕事にいい影響を与えてくれている。 「足利に戻ってからは、四季の移り変わりをはっきり感じるようになりました。例えば、仕事の息抜きによく散歩する渡良瀬川の土手も、季節によって緑の色が全然違うんです。それを記録するように描いていたら、自然と植物のイラストが増えていって。女の子と植物を組み合わせたイラストが、新たなテイストとして加わったんです」 若手作家が、気軽に作品を発表できる場所を足利に 2016年秋には、足利の「西門 -SAIMON-」というスペースで個展を開催。足利に戻ってから描きためた女の子と植物のイラストを中心に展示。紙だけでなく、木や布などの新たな素材にも挑戦した。 「木の絵を木材にレーザーで彫刻してみたり、風に吹かれる女の子を描いたイラストを布に落とし込んで、実際に布がゆれることで風に吹かれる様子を強調したり、いろいろな試みを盛り込みました」 20日間近くにわたり開催された個展には、「cero」や「ザ・なつやすみバント」のファンをはじめ、地元の若い人たちも多く足を運んでくれた。 「そんな子たちに話を聞いてみると、『足利には遊んだり、買い物したりするところがないから、市外や東京まで出かけている』という声が多くて。ちょっともったいないなって思いました。足利には『mother tool』さん(下写真)や『うさぎや』さんをはじめ、自家焙煎の喫茶店など、個性があって魅力的なお店や店主の方がたくさんいます。そんな足利の魅力を、もっともっと若い人たちに伝えていけたら」 現在、惣田さんは、共に受験した桑沢デザイン研究所を一緒に卒業し、同じフリーランスのグラフィックデザイナーとして足利にかかわっていこうとしている友人とともに、個展を開いた「西門」の活用法を考えるプロジェクトにも参加している。 「足利には本格的な美術品を扱う画廊はあるのですが、若手の作家が作品を発表できるところは少なくて。『西門』が若手の作家が気軽に展示やイベントを開催でき、若い人たちが立ち寄れたり、地元を離れている人が帰ってくるきっかけになるような場所にできればと考えています」

人と人、技術と技術をつないでいきたい

人と人、技術と技術をつないでいきたい

中村 実穂さん・俊也さん

人や技術をつなぐ。新たな関係から生まれるものを 見る角度や動きによって表情を変える木枠や、まるで星座のようにつながる糸とスチール、円を描きながらやわらかに連なる真鍮など、さまざまな形や素材、技術を組み合わせて、美しいモビールをつくり上げるのは、栃木県足利市にある「mother tool」。さらにステーショナリーや暮らしの道具など、全国各地の工場やデザイナーたちと連携しながら、数多くのオリジナルプロダクトを手がけている。 代表の中村実穂さんは、足利市の隣町、群馬県邑楽町(おうらまち)の出身。都内の短大を卒業し、インテリア・家具デザインの専門学校に進んだあと、両親が営んでいた組み立て工場を継ぐために地元へ戻ってきた。 実穂さん:「じつは親戚中に説得されて、しぶしぶ工場を継ぐ決心をしたんです。当時、主に手がけていたのはパチンコ台を組み立てる仕事。深夜までかかって何千台と組み立てる日もあれば、ぽっかりと数日空くこともある。納期が厳しく仕事に波があるうえ、依頼先からは『代わりの工場はいくらでもある』といわれることもあったりして、この仕事を続けていく意味が、なかなか見いだせなかったんです」 そんな状況のなか、実穂さんと俊也さんの心の中では「自らの手でものづくりをしたい」という思いが膨らんでいった。実穂さんはとにかく一歩を踏み出そうと、専門学校時代の先生である家具デザイナーの村澤一晃さんのもとへ相談に。そのとき村澤さんがかけた「組み立ては、パーツとパーツをつなぐのが仕事。その“つなぐこと”を意識してものづくりに取り組んでいったらいいのでは」という言葉によって、これからやるべきことが見えてきたという。それから実穂さんは、足利をはじめ、岐阜や徳島、福井、東京などの工場を見学したり、気になるデザイナーに会いに行ったり、全国各地を巡った。 実穂さん:「いろいろな方にお会いするなかで、それぞれの工場、デザイナーさんが得意とする分野や技術が分かってきました。その良さをより引き出す形で、人と人、技術と技術をつないでいきたい。それこそが、組み立て屋である私たちの役目だと思ったんです」 モビールは“組み立て屋”の腕の見せどころ 2006年2月にmother toolを設立し、最初に手がけたのが「木とアルミ」のシリーズだ。足利では戦前の飛行機から現在の自動車部品まで、アルミなどの金属加工が盛ん。その技術を代表するのが、ロクロのように回転する板状のアルミに、ヘラを押し当てながら形をつくる“ヘラ絞り”という職人技だ。 実穂さん:「熟練の職人さんが手仕事で生み出すパーツの誤差はほんのわずか。丁寧につくられた強固なアルミに、木目や色味など樹種のよさを引き出すことに長けた徳島の『テーブル工房 kiki』さんの木のパーツを組み合わせることで、やさしさもあわせ持ったステーショナリーをつくることができました」 その後、2011年にモビールづくりを始めたのは、村澤さんの「モビールをつくってみない?」という、何気ない一言がきっかけだった。モビールが大好きだったという実穂さんは「ぜひつくってみたい!」と、モビールをはじめプロダクトデザインを手がけるユニット「DRILL DESGIN」に相談。すると、「せっかくならオリジナルのモビールブランドを立ち上げよう」とDRILL DESGINが快くディレクションを担当してくれた。こうしてモビールブランド「tempo」が誕生。5人のデザイナーによる9種類のモビールに、いまではmother toolのオリジナルをくわえ10種類を展開。海外でも取り扱われるほど注目を集めている。 工場では俊也さんが、デザイナーが手がけた図面や模型をもとに試作を行い、どのスタッフが組み立てても均一なモビールになるよう、工程ごとのマニュアルや、パーツ・工具の作業位置を示す器具づくりなどを行っている。 「モビールは、各パーツをテグスなどでつないで組み立てていきます。そのとき、パーツとパーツの距離や角度が少しずれるだけで、せっかく職人さんがいいパーツをつくってくれても、表情や雰囲気が台無しになってしまう。モビールづくりは、まさに“組み立て屋”の腕の見せどころなんです」 さらに、実穂さんが続ける。 実穂さん:「モビールには金属や木、樹脂、ガラスなどさまざまな素材が使われます。そのため、いつか一緒にものづくりができたらと思っていた多くの工場と、新たに仕事ができるようになりました。モビールの展開を始めたことで、よりmother toolらしいものづくりができるようになったと感じています」 足利の地で育まれた技術や人を活かして 足利学校のほど近く、石畳の通りに面した建物に、2009年mother toolのお店がオープンした。「ものをつくるだけではなく、使う人に直接届けたい」「つくり手の思いや背景を伝えることで、つくる人と使う人をつなぐ役割も果たしていきたい」との思いから、店内にはmother toolの道具だけではなく、つながりのあるデザイナーや工場のプロダクトも数多く並べられている。さらに2014年には、工場も足利市内に移転。その理由は、足利にはさまざまな技術を持った工場が集まっているからだという。 俊也さん:「足利では金属加工だけでなく、古くから繊維業も盛ん。フットワークの軽い小規模な工場が多く、ありがたいことに、私たちと一緒に楽しみながらものづくりに取り組んでくださる工場も増えています。何か相談ごとがあれば、すぐに会いに行ける距離。雑談のなかから新たなアイデアが生まれることもあるんです」 実穂さん:「歴史ある建物が点在している足利の石畳エリアは、散歩をしていてとても気持ちがいい。のびやかな雰囲気が気に入っています。屋台をはじめ、おいしいコーヒー屋さんや個性あふれる飲食店など、個人が営む小さなお店が多いのも魅力ですね」 そんな足利の魅力を多くの人に知ってもらいたいと、実穂さんは地域づくりの団体「いしだたみの会」のメンバーとして、石畳エリアの魅力を伝える冊子「TALIRU」の制作にも携わっている。 「今後は足利に息づく技術をさらに掘り起し、新たなプロダクトとしてその魅力を発信していきたい」と考える二人。 地域で育まれた技術や人の強みを活かし、ほかの産地の素材や技術と組み合わせることで、新しい価値をつくり出す。mother toolのプロダクトは、東京などの大都市でなくとも面白いものづくりができること、地域に根ざしているからこそ生み出せるものがあることを気づかせてくれる。

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